江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2011年2月2日祈祷会(詩編82篇、神々を裁かれる主)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.小さき者の神

・本詩は「天上の法廷で主が神々を裁かれる」という特異な内容を持つ詩である。古代オリエントでは、神々がそれぞれの地を統治し、主なる神がその神々の上に立つという神話があった。その神話の形式に則り、神々を裁かれる主を描く。
-詩編82:1「神は神聖な会議の中に立ち、神々の間で裁きを行われる」。
・メソポタミヤ神話ではしばしば「神々の集い」が登場する。旧約聖書もその影響を受け(旧約聖書が最終的に編集されたのはメソポタミヤのバビロンの地である)、申命記やヨブ記等にその痕跡を残している。
-申命記32:8-9「いと高き神が国々に嗣業の土地を分け、人の子らを割りふられた時、神の子らの数に従い、国々の境を設けられた。主に割り当てられたのはその民、ヤコブが主に定められた嗣業」。
・古代民族はそれぞれ固有の神を持っていた。カナンの神はエルであり、バビロンの神はマルドゥク、そしてイスラエルの神はヤハウェだった。イスラエルがバビロンにより国を滅ぼされ、捕囚にされた時、人々はイスラエルの神がバビロンの神に負けたと疑った。しかしイスラエルは捕囚地で主なる神と改めて出会い(エゼキエルや第二イザヤ)、主なる神ヤハウェこそ全地を統治される神であられることを知り、他の神々は偶像にすぎないことを見出していく。
-イザヤ45:5-7「私が主、ほかにはいない。私をおいて神はない。私はあなたに力を与えたが、あなたは知らなかった。日の昇るところから日の沈むところまで、人々は知るようになる。私のほかはむなしいものだ、と。私が主、ほかにはいない。光を造り、闇を創造し、平和をもたらし、災いを創造する者。私が主、これらのことをするものである」。
・その唯一の神の信仰の中で、偶像神たちに「あなた方は何故弱者や貧者のために立たないのか」と詩人は告発する。虐げられている者たちの姿が神の目には映っている故に、悪者に有利な判定を下す存在に対して神は叱責される。
-詩編82:2-4「いつまであなたたちは不正に裁き、神に逆らう者の味方をするのか。弱者や孤児のために裁きを行い、苦しむ人、乏しい人の正しさを認めよ。弱い人、貧しい人を救い、神に逆らう者の手から助け出せ」。
・人間は本質的に自分たちの欲望を肯定してくれる偶像の神に惹かれる。旧約聖書はイスラエルの民すらも偶像礼拝に惹かれ続けてきたその歴史をえぐり取る。そのイスラエルをもう一度主なる神に復帰させるためには、国の滅亡-捕囚が必要だった。人間は砕かれないとわからない、裁きは人を救うためになされる、それが旧約の一貫した考え方だ。
-列王記下21:3-7「彼(マナセ)は父ヒゼキヤが廃した聖なる高台を再建し・・・バアルの祭壇を築き、アシェラ像を造った。更に彼は天の万象の前にひれ伏し、これに仕え・・・主の神殿の中に彼は異教の祭壇を築いた・・・彼は自分の子に火の中を通らせ、占いやまじないを行い、口寄せや霊媒を用いるなど、主の目に悪とされることを数々行って主の怒りを招いた。彼はまたアシェラの彫像を造り、神殿に置いた」。

2.神々を裁かれる主

・主なる神は、偶像の神々に対して、「あなた方は神ではなく人にすぎない。あなた方は死ぬ」と死刑判決を下される。地上の悪しき管理者たちは天上の神の権威を借りて統治を行う。古代の王たちは自分こそ神の子であると権威を誇り、現代の統治者たちは思想という偶像を用いて逆らう者を抑圧する。中国の毛沢東やロシアのプーチン他はまさにそうだ。
-詩編82:5-7「彼らは知ろうとせず、理解せず、闇の中を行き来する。地の基はことごとく揺らぐ。私は言った『あなたたちは神々なのか、皆、いと高き方の子らなのか』と。しかし、あなたたちも人間として死ぬ。君侯のように、いっせいに没落する」。
・最後に詩人は「主なる神よ、立ち上がり、この地を裁いてい下さい。自らを神の座に置く者たちを裁いてい下さい」と祈る。現代のキリスト者が「御国を来たらせたまえ」と祈るのも、正義をこの地上に求めることだ。
-詩編82:8「神よ、立ち上がり、地を裁いてください。あなたはすべての民を嗣業とされるでしょう」。
・イスラエルの王は神によって油注がれ、神の御心を行うために立てられる。だから神の御心に沿って悪しき者から弱者を守り、公平な政治を行うことが為政者に求められていた。ところが現実は権力者や一部の特権階級のための政治になってしまう。この不平等が無くならない限り、地上から戦争や騒乱はなくならない。そのために、強い者に傾く現実の政治に対して絶えず反省を求め、批判して行かなければいけない。それが預言者の役割であり、現代では地の塩としてのキリスト者の役割であろう。
-エゼキエル34:1-11「災いだ、自分自身を養うイスラエルの牧者たちは。牧者は群れを養うべきではないか。お前たちは乳を飲み、羊毛を身にまとい、肥えた動物を屠るが、群れを養おうとはしない。お前たちは弱いものを強めず、病めるものをいやさず、傷ついたものを包んでやらなかった。また、追われたものを連れ戻さず、失われたものを探し求めず、かえって力ずくで、苛酷に群れを支配した。彼らは飼う者がいないので散らされ、あらゆる野の獣の餌食となり、ちりぢりになった・・・それゆえ牧者たちよ、主の言葉を聞け。主なる神はこう言われる。見よ、私は牧者たちに立ち向かう・・・見よ、私は自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする」。

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