江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2009年1月15日祈祷会(イザヤ26章、民族の哀歌)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.裁きのなかにある民の祈り

・イザヤ24-27章はイザヤ黙示録であり、イザヤの後継者たちが歴史を回顧し、出口の見えない中で主の救いを待ち望む詩だ。時代はギリシャ支配下の前4世紀頃と思われる。詩は神への讃美から始まる。都市は城壁で外敵から守られる。主は城壁となって、私たちを守ってくださると詩人は讃美する。
-イザヤ26:1-4「その日には、ユダの地でこの歌がうたわれる。我らには、堅固な都がある。救いのために、城壁と堡塁が築かれた。城門を開け、神に従い、信仰を守る民が入れるように。堅固な思いを、あなたは平和に守られる、あなたに信頼するゆえに、平和に。どこまでも主に信頼せよ、主こそはとこしえの岩」。
・私たちはバビロンに国を滅ぼされ、ペルシャに支配され、今またギリシャ人が私たちを支配する。しかし、主は奢る者を砕き、貧しい者を高めて下さる。この信仰はマリアの賛歌やイエスの山上の説教に継承されている。
-イザヤ26:5-6「主は高い所に住まう者を引きおろし、築き上げられた都を打ち倒し、地に打ち倒して、塵に伏させる。貧しい者の足がそれを踏みにじり、弱い者の足が踏みつけて行く」。
-マタイ5:3-4「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる」。
・7節から讃美は祈りに変わる。主は正しい者の道を照らし、悪しき者に恥をお与えになる。詩人は歴史を裁きの道と捕らえている。彼は正しい者が必ずしも報われず、悪しき者が栄えると言う不条理があることを見つめながら、主はこの不条理を正して下さると祈る。
-イザヤ26:7-11「神に従う者の行く道は平らです。あなたは神に従う者の道をまっすぐにされる・・・神に逆らう者は、憐れみを受けても正しさを学ぶことがありません。公正の行われている国で不正を行い・・・あなたの高く上げられた御手を彼らは仰ごうとしません。民に対するあなたの熱情を仰がせ、彼らに恥を受けさせてください。敵対する者に向けられるあなたの火が彼らを焼き尽くしますように」。

2.民族の哀歌と希望

・12節からは平和を求める祈りが為される。しかしその平和はイスラエルが救われる平和であり、敵を愛する平和ではない。詩人は敵の死を願い、イスラエルの領土回復を祈る。イエスの言われた敵を愛する平和(マタイ5:43-48)、あるいは聖フランシスの求める「自らが死ぬ」平和ではない。新約の平和はイエスの死を通して与えられた。
-イザヤ26:12-15「主よ、平和を私たちにお授けください・・・私たちの神なる主よ、あなた以外の支配者が我らを支配しています。しかし私たちはあなたの御名だけを唱えます。死者が再び生きることはなく、死霊が再び立ち上がることはありません。それゆえ、あなたは逆らう者を罰し、滅ぼし、彼らの記憶をすべて無に帰されました。主よ、あなたはその民を増やされました。あなたはその民を増やし、栄光を示し、その土地の境を四方に広げられました」。
-フランシスの祈り「主よ、私を平和の器とならせてください。・・・ああ、主よ、慰められるよりも慰める者としてください・・・それは、私たちが、自ら与えることによって受け、許すことによって赦され、自分の体をささげて死ぬことによって、とこしえの命を得ることができるからです」。
・16節以下では嘆きが歌われる。相次ぐ異国の支配という生みの苦しみをしたのに救いは来なかった。イスラエルが救われることも敵が滅ぼされることも無かった。その中で死者をよみがえらせる力をお持ちの方への祈りが為される。「死からのよみがえり」、直接的にはイスラエル民族の再生を願う祈り、エゼキエル37章の幻と同じだ。
-イザヤ26:17-19「妊婦に出産のときが近づくと、もだえ苦しみ、叫びます。主よ、私たちもあなたの御前でこのようでした。私たちははらみ、産みの苦しみをしました。しかしそれは風を産むようなものでした。救いを国にもたらすこともできず、地上に住む者を産み出すこともできませんでした。あなたの死者が命を得、私のしかばねが立ち上がりますように・・・あなたの送られる露は光の露。あなたは死霊の地にそれを降らせられます」。
・終わりの日が来る、神がその裁きを為される日が。その日はノアが箱舟に逃れたようにあなたも逃れよ。
-イザヤ26:20-21「さあ、わが民よ、部屋に入れ。戸を堅く閉ざせ。しばらくの間、隠れよ、激しい憤りが過ぎ去るまで。見よ、主はその御座を出て、地に住む者に、それぞれの罪を問われる。大地はそこに流された血をあらわに示し、殺された者をもはや隠そうとはしない」。
・黙示は危機的状況の中で語られる。そこでは来るべき日の救いが語られる。イエスはイザヤ書やダニエル書を引用されながら、来るべき日の希望を黙示的に語られた。私たちもこの希望を闇の中で語る。
-マルコ13:24-27「それらの日には、このような苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める」。

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