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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2009年5月28日祈祷会(イザヤ46章、負う神と負われる神〜偶像礼拝から離れよ)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.バビロンの偶像神を見よ

・第二イザヤの直面した問題は、50年間のバビロン捕囚で疲れ果て、信仰を無くしてしまった、イスラエルの民をどのように鼓舞し、もう一度立ち上がらせるかであった。「何故御顔を隠されるのか」、詩篇88編は民の嘆きを歌う。
-詩篇88:2-15「主よ、私を救ってくださる神よ、昼は、助けを求めて叫び、夜も、御前におります。私の祈りが御もとに届きますように。私の声に耳を傾けてください。私の魂は苦難を味わい尽くし、命は陰府にのぞんでいます・・・あなたは地の底の穴に私を置かれます、影に閉ざされた所、暗闇の地に・・・主よ、私はあなたに叫びます。朝ごとに祈りは御前に向かいます。主よ、なぜ私の魂を突き放し、なぜ御顔を私に隠しておられるのですか」。
・信仰を無くした者は、イスラエルの神を捨て、勝利者バビロンの神マルドゥクに帰依した。そのような民にイザヤは偶像神の本質を見よという。ベルは主神マルドゥク、ネボはその子ナブーの神だ。彼らは自力では歩けない。彼らは人々を守護するどころか、人々の重荷になっているではないかと。
-イザヤ46:1-2「ベルはかがみ込み、ネボは倒れ伏す。彼らの像は獣や家畜に負わされ、お前たちの担いでいたものは重荷となって、疲れた動物に負わされる。彼らも共にかがみ込み、倒れ伏す。その重荷を救い出すことはできず、彼ら自身も捕らわれて行く」。
・ペルシャ軍侵攻の噂が飛び交い、バビロンの人々は神殿から主神と子神の像を運び出し、避難させようとした。しかしあまりの重さに車を引く獣たちが倒れ、像もまた倒れた。これがお前たちが信仰する神の真実だとイザヤは言う。捕囚時の預言者エレミヤもまたバビロンの神々が破壊されるとの預言をしている。その預言がまもなく成る。
-エレミヤ50:1-3「バビロンに向かって。カルデア人の国に向かって。主が預言者エレミヤを通して語られた言葉。告げ知らせよ、諸国民に。布告せよ、旗を掲げて布告せよ。隠すことなく言え。バビロンは陥落し、ベルは辱められた。マルドゥクは砕かれ、その像は辱められ、偶像は砕かれた。一つの国が北からバビロンに向かって攻め上り、バビロンの国を荒廃させる。そこに住む者はいなくなる。人も動物も皆、逃れ去る」。
・「私はそのようなものではない」と主は言われる。「偶像は人が担ぎ、背負って立たなければならず、人を救う力はない。しかし私は人を担い、背負い、救い出す」と主は宣言される。
-イザヤ46:3-4「私に聞け、ヤコブの家よ、イスラエルの家の残りの者よ、共に。あなたたちは生まれた時から負われ、胎を出た時から担われてきた。同じように、私はあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう。私はあなたたちを造った。私が担い、背負い、救い出す」。
・46:4は短い文節の中に、私=アニーという言葉が5回も登場する。新改訳はそれをそのままに訳す。
-イザヤ46:4(新改訳)「あなたがたが年をとっても、私は同じようにする。あなたがたがしらがになっても、私は背負う。私はそうしてきたのだ。なお、私は運ぼう。私は背負って、救い出そう」。

2.私たちを負ってくださる主

・古代の戦争は神々の戦争であり、負けた国の神は焼かれ、神殿から引き摺り下ろされて辱められ、勝利者の国に持ち去られた。そのような偶像と私を同じとするのか。人が自分に似せて造る偶像と私を言うのかと神は言われる。
-イザヤ46:5-7「お前たちは私を誰に似せ、誰に等しくしようとするのか。誰に私をなぞらえ、似せようというのか。袋の金を注ぎ出し、銀を秤で量る者は、鋳物師を雇って神を造らせ、これにひれ伏して拝む。彼らはそれを肩に担ぎ、背負って行き、据え付ければそれは立つが、そこから動くことはできない。それに助けを求めて叫んでも答えず、悩みから救ってはくれない」。
・しかし私はそのようなものではない。私は天地を創造し、人々を動かして歴史を形成する。私の業を見よ、私は東からペルシャ王キュロスを呼び起こし、私の計画を遂行させる。私こそ神、あなたを造り、あなたを救うものだ。
-イザヤ46:8-11「背く者よ、反省せよ、思い起こし、力を出せ。思い起こせ、初めからのことを。私は神、ほかにはいない。私は神であり、私のような者はいない。私は初めから既に、先のことを告げ、まだ成らないことを、既に昔から約束しておいた。私の計画は必ず成り、私は望むことをすべて実行する。東から猛禽を呼び出し、遠い国から私の計画に従う者を呼ぶ。私は語ったことを必ず実現させ、形づくったことを必ず完成させる」。
・あなたたちがそれを信じなくとも私は行う。その時、あなたたちは私が主であることを知るだろう。
-イザヤ46:12-13「私に聞け、心のかたくなな者よ、恵みの業から遠く離れている者よ。私の恵みの業を、私は近く成し遂げる・・・私は遅れることなく救いをもたらす。私はシオンに救いを、イスラエルに私の輝きを与える」。
・日本人の宗教心は、名を知らぬ神への帰依だ。西行法師は伊勢で歌った「なにごとのおわしますかはしらねども、かたじけなさに涙こぼるる」。これはギリシャ人の信仰「知られざる神」に近い(使徒言行録17章)。人間の限界を知り、超越者を求めるが、その名を知らない。イザヤはそれに対して、「私こそ神」と主は言われたと繰り返す。

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