1.帰還の道を整えられる主
・イザヤ34章はエドムの裁きを告げる。エドムは兄弟ユダの苦境の時にこれを侵略した。主はエドムを裁かれる。
-イザヤ34:5-6「天において、わが剣は血に浸されている。見よ、剣はエドムの上に下る、絶滅に定められた民を裁くために・・・主がボツラでいけにえを屠り、エドムの地で大いなる殺戮をなさるからだ」。
・歴史は人間の血に満ちているが、預言者はそこに神の摂理を見る。ユダの滅亡とバビロンへの捕囚もまた主の裁きであるが、主は彼らを赦し、再びエルサレムに帰される。イザヤ35章は帰還の道を整えられる主に対する讃美の歌だ。
-イザヤ35:1-2「荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ。砂漠よ、喜び、花を咲かせよ。野ばらの花を一面に咲かせよ。花を咲かせ、大いに喜んで、声をあげよ。砂漠はレバノンの栄光を与えられ、カルメルとシャロンの輝きに飾られる」。
・バビロンからエルサレムまでは900キロ、歩いても1ヶ月はかかり、間には荒涼たる砂漠が広がる。身体の弱い者、足腰の衰えた老人は帰れないのではないかとの不安があった。しかし主は彼らの足腰を強くしてくださる。
-イザヤ35:3-4「弱った手に力を込め、よろめく膝を強くせよ。心おののく人々に言え『雄々しくあれ、恐れるな。見よ、あなたたちの神を。敵を打ち、悪に報いる神が来られる。神は来て、あなたたちを救われる』」。
・この言葉は多くの人を慰めた。迫害の中にあった教会の人々に、ヘブル書記者はイザヤの言葉を引用して励ます。
-ヘブル12:11-12「およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。だから、萎えた手と弱くなったひざをまっすぐにしなさい」。
・神の祝福の時、見えない人の目も開き、聞こえない人の耳も開く。歩けなくなった人の足も強められ、荒野に水が湧き出で荒地に川が流れる。砂漠が緑の野に変えられ、帰還民に立ちふさがる障壁が取り除かれる。
-イザヤ35:5-6「そのとき、見えない人の目が開き、聞こえない人の耳が開く。そのとき、歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。口の利けなかった人が喜び歌う。荒れ野に水が湧きいで、荒れ地に川が流れる」。
・バプテスマのヨハネの弟子が「あなたはメシアなのですか」と聞いてきた時、イエスはこのイザヤの言葉を引用して、神の国が来た喜びを語られる。
-ルカ7:21-22「そのとき、イエスは病気や苦しみや悪霊に悩んでいる多くの人々をいやし、大勢の盲人を見えるようにしておられた。それで、二人にこうお答えになった『行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている』」。
2.荒野に水が湧く
・イザヤは続ける「主なる神はあなた方のために道を開かれ、あなた方に先立って進まれる。あなた方を阻んでいた砂漠は緑の野に変えられる」と。
-イザヤ35:7-8「熱した砂地は湖となり、乾いた地は水の湧くところとなる。山犬がうずくまるところは、葦やパピルスの茂るところとなる。そこに大路が敷かれる。その道は聖なる道と呼ばれ、汚れた者がその道を通ることはない。主御自身がその民に先立って歩まれ、愚か者がそこに迷い入ることはない」。
・主が帰還の道を整えられる。バビロン捕囚からの解放を歌った第二イザヤの歌に響く内容だ。イザヤ35章はエルサレムに帰還した民が再建された神殿で歌った賛歌であり、イザヤ書編集者はそれを35章に配置して、来るべき40章以下の第二イザヤとのつなぎにした(36−39章は列王記の記事の引用であり、第一イザヤは35章で終わる)。
-イザヤ40:3-5「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え、私たちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ」。
・新約記者はこのエルサレムからの帰還、神の国の到来をイエス・キリストの受肉の中に見ている。
-マタイ3:1-3「洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、『悔い改めよ。天の国は近づいた』と言った。これは預言者イザヤによってこう言われている人である『荒れ野で叫ぶ者の声がする。主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ』」。
・イザヤ35章は新約聖書に多く引用されている。人々は自分たちの置かれた状況の中で御言葉を聞いていく。新約聖書は旧約聖書を釈義した信仰告白の書だ。私たちもどう生きるべきかを知るために、それぞれの場で御言葉を聞いていく。帰還を歌う35:9−10の言葉は困難の中にある人々に希望を与える言葉だ。
-イザヤ35:9-10「そこに、獅子はおらず、獣が上って来て襲いかかることもない。解き放たれた人々がそこを進み、主に贖われた人々は帰って来る。とこしえの喜びを先頭に立てて、喜び歌いつつシオンに帰り着く。喜びと楽しみが彼らを迎え、嘆きと悲しみは逃げ去る」。