江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2009年10月7日祈祷会(詩篇18編後半、王の戦い〜聖書は戦争について何を語るのか)

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1.王を戦いの勝者へと導く主

・古代イスラエルは元来は部族連合体であり、緊急の場合は指導者が立てられて共同体を統治した。ただ周囲を敵国に囲まれるイスラエルは常に敵の侵略に脅かされ、やがて優れた軍事的統率者としての王を求めるようになる。
-?サムエル記8:20「我々もまた、他のすべての国民と同じようになり、王が裁きを行い、王が陣頭に立って進み、我々の戦いを戦うのです」
・王は優秀な戦士でなければいけない。初代王として立てられたサウルは優れた戦士だったし、二代目のダビデも戦士として頭角を現した。この詩篇でも、「足が早く、腕力に優れた」戦士になることが賞賛されている。
-詩篇18:32-35「主のほかに神はない。神のほかに我らの岩はない。神は私に力を帯びさせ、私の道を完全にし、私の足を鹿のように速くし、高い所に立たせ、手に戦いの技を教え、腕に青銅の弓を引く力を帯びさせてくださる」。
・王は「主が支えてくださる故にくるぶしは固く立ち、敵を追い詰め、倒すことが出来る」と讃美する。
-詩篇18:36-39「あなたは救いの盾を私に授け、右の御手で支えてくださる。あなたは、自ら降り、私を強い者としてくださる。私の足は大きく踏み出し、くるぶしはよろめくことがない。敵を追い、敵に追いつき、滅ぼすまで引き返さず、彼らを打ち、再び立つことを許さない。彼らは私の足もとに倒れ伏す」。
・王は軍事統率者として、敵を追跡し、撃破する。今日でもアメリカ大統領は全軍の指令官だ。
-詩篇18:40-43「あなたは戦う力を私の身に帯びさせ、刃向かう者を屈服させ、敵の首筋を踏ませてくださる。私を憎む者を私は滅ぼす。彼らは叫ぶが、助ける者は現れず、主に向かって叫んでも答えはない。私は彼らを風の前の塵と見なし、野の土くれのようにむなしいものとする」。
・国を敵国から守る戦いは「主の戦い」と呼ばれ、王は神の名の下に戦う。従って敵との戦いは「聖戦」と呼ばれた。
-詩篇18:44-46「あなたは私を民の争いから解き放ち、国々の頭としてくださる。私の知らぬ民も私に仕え、私のことを耳にして私に聞き従い、敵の民は憐れみを乞う。敵の民は力を失い、おののいて砦を出る」。
・詩人が祈る神は戦いの神だ。詩篇18篇の神は異邦の神と同じ基調を持つ、民族の神だ
-詩篇18:47-50「主は命の神。私の岩をたたえよ。私の救いの神をあがめよ。私のために報復してくださる神よ、諸国の民を私に従わせてください。敵から私を救い、刃向かう者よりも高く上げ、不法の者から助け出してください。主よ、国々の中で、私はあなたに感謝をささげ、御名をほめ歌う」。

2.聖書は戦争について何を語るのか

・聖戦の思想はイエスによって否定される。イエスは一切の暴力の行使を禁止された。
-マタイ26:52-54「イエスは言われた『剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。私が父にお願いできないとでも思うのか。お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう。しかしそれでは、必ずこうなると書かれている聖書の言葉がどうして実現されよう』」。
・イエスを継承した使徒たちも戦争への参加や力の行使による敵の打倒を禁止した。
-ローマ12:18-20「あなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。『復讐は私のすること、私が報復する』と主は言われる」と書いてあります。『あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる』」。
・しかし、ローマ帝国によるキリスト教公認は、教会の戦争観を根本的に変えた。「政府は神により立てられ、全てのキリスト者は自分たちの政府に従うべきであり、国家の秩序を守るためであれば死刑も戦争も許される」と教会は戦争を肯定し、アルル司教会議(314年)では戦争参加を拒否するものを教会から除名することを決議された。戦争肯定の根拠にも聖書が用いられていく。
-ローマ13:1「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです」
-黙示録19:11-15「見よ、白い馬が現れた。それに乗っている方は、「誠実」および「真実」と呼ばれて、正義をもって裁き、また戦われる。・・・天の軍勢が白い馬に乗り、白く清い麻の布をまとってこの方に従っていた。この方の口からは、鋭い剣が出ている。諸国の民をそれで打ち倒すのである。また、自ら鉄の杖で彼らを治める」。
・教会は少数派の受難期においては、聖書の使信を忠実に受け止めるが、多数派になった時、立場に応じての聖書の拡大解釈、ないし自己思想の読み込みを始める。信仰が民族や国家の枠内にあるときは、戦争が肯定されていく危険を持つ。私たちが平和を希求するのであれば、自分たちの本国はこの地上にはないことを認識すべきであろう。
-ヘブル11:13 この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです」。

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