江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2006年10月4日祈祷会(ルツ記3章、主の憐れみを求めて)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.贖い主を求めて行為するルツ

・夫を亡くして故郷に帰ったナオミとルツは落穂拾いで生計を立てようとする。嫁ルツが働いた畑はたまたま親戚ボアズの畑であり、事情を知ってルツに親切を施したボアズの行為に、姑ナオミは神の憐れみを感じ始める。
―ルツ記2:20「生きている者にも、死んだ者にも、御恵みを惜しまれない主が、その方を祝福されますように。・・・その方は私たちの近親者で、しかも買い戻しの権利のある私たちの親類の一人です。」
・買戻す=ゴーエールとは、贖うとの意である。律法では、近親者が土地をなくしたり、奴隷になった場合は、縁続きのものが買い戻すように定められていた。姑ナオミはルツのために、ゴーエール(最近親者)であるボアズに積極的に近づくように勧める。具体的には、ルツにボアズの床に入る(求婚すること)を勧めた。
―ルツ記3:1-4「私の娘よ、私はあなたが幸せになる落ち着き先を探してきました。あなたが一緒に働いてきた女たちの雇い主ボアズは私たちの親戚です。あの人は今晩、麦打ち場で大麦をふるい分けるそうです。体を洗って香油を塗り、肩掛けを羽織って麦打ち場に下って行きなさい。・・・あの人が休むとき、その場所を見届けておいて、後でそばへ行き、あの人の衣の裾で身を覆って横になりなさい。その後すべきことは、あの人が教えてくれるでしょう。」
・ルツはその通りにした。体を洗って油を塗り相手の床に入ることは求婚の行為である。
―ルツ記3:7-9「ボアズは食事をし、飲み終わると心地よくなって、山と積まれた麦束の端に身を横たえた。ルツは忍び寄り、彼の衣の裾で身を覆って横になった。夜半になってボアズは寒気がし、手探りで覆いを捜した。見ると、一人の女が足もとに寝ていた。「お前は誰だ」とボアズが言うと、ルツは答えた。「私は、あなたのはしためルツです。どうぞあなたの衣の裾を広げて、このはしためを覆ってください。あなたは家を絶やさぬ責任のある方です。」
・ボアズはルツを見出して驚く。ボアズは裕福な有力者だった。年齢的には父親の年であり、男やもめだった。ボアズはルツの行為が情欲に動かされたものでないことを知り、心を動かされる。
―ルツ記3:10-13「私の娘よ。どうかあなたに主の祝福があるように。あなたは、若者なら、富のあるなしにかかわらず追いかけるというようなことをしなかった。・・・私も家を絶やさぬ責任のある人間ですが、実は私以上にその責任のある人がいる。今夜はここで過ごしなさい。明日の朝その人が責任を果たすというのならそうさせよう。しかし、それを好まないなら、主は生きておられる。私が責任を果たします。さあ、朝まで休みなさい。」

2.贖われるナオミとルツ

・翌朝、ルツは姑ナオミの待つ家に帰った。ナオミもまた夜通し起きて、結果を待っていた。ボアズより近しい近親者がいたことは意外であったが、為すべきことを為したのだから後は主に委ねようと、姑は嫁に言った。
―ルツ記3:18「私の娘よ、成り行きがはっきりするまでじっとしていなさい。あの人は、今日中に決着がつかなければ、落ち着かないでしょう。」
・ルツの行為は舅によって子を得たタマルの行為に似ている。タマルも家を絶やさぬように贖いを求めて行為している。
―創世記38:18「ユダはそれを渡し、彼女の所に入った。彼女はこうして、ユダによって身ごもった」。
・マタイ福音書のイエスの系図中には4人の女性が登場するが、いずれも積極的に贖いを求めた女性たちだ。
―タマル=ユダの長子エルの妻となったが、エルが死ぬと弟オナンの妻となった。オナンも死ぬと、オナンの弟シェラが成人するまで実家に帰って待ったが、シェラが成人しても父ユダが結婚させようとしなかったので、遊女を装ってしゅうとユダと結ばれ、ペレツとゼラフを産んだ。
―ラハブ=エリコの遊女(ヨシ2:1)。彼女はエリコの城壁の中に家を持ち、探るためにヨシュアが遣わした2人の斥候をかくまい助けた。ヨシュアは、それに感謝し、ラハブ一族を助け、夫を与えた(ヨシ6:22‐25)。その夫からボアズが生まれる。
―ルツ=モアブの女。エリメレク、ナオミ夫妻の子マフロンと結婚したが、義父と夫に先立たれて、故郷に帰るナオミに従ってベツレヘムに行き、姑ナオミを助けた。エリメレクの親族の一人であるボアズと知り合い、ボアズはルツをめとり、ルツはエッサイの父であるオベデを産んだ。
―バテシバ=ヘテ人ウリヤの妻であったが、夫ウリヤが戦場にいる時ダビデ王に召し入れられて妊娠し、ダビデはウリヤを殺しバテシバを妻とした。バテシバは後にソロモンを産んだ(?サム11‐12章)。
・古代の系図は通常は男性だけで構成されるが、ここに異邦人であり、また性的不道徳が批判されかねない女性たちが記される。イエスの系図の中に罪を犯したが、必死に求めた人たちがいたのである。マタイは、私たち自身がタマルやバテシバのような罪人であるからこそ、贖い主としてイエスが来られたとの信仰を告白している。
―ヘブル4:15「この大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、私たちと同様に試練に遭われたのです」。
・ルツ記の中心的な言葉はヘセド=憐れみとゴーエール=買戻すだ。私たちは神の憐れみを受けて買戻された存在だ。
―エペソ1:7「私たちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです」。

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