1.約束の地での契約更新
・エジプトから解放されたイスラエルの民は、シナイ山に導かれ、そこで神との契約を結んだ。エジプトから解放し、民を約束の地に導くとの神の約束に感謝し、神の民として従って行くという契約である。
−出エジプト記24:5-8「モーセは血の半分を取って鉢に入れて、残りの半分を祭壇に振りかけると、契約の書を取り、民に読んで聞かせた。彼らが『私たちは主が語られたことをすべて行い、守ります』と言うと、モーセは血を取り、民に振りかけて言った『見よ、これは主がこれらの言葉に基づいてあなたたちと結ばれた契約の血である』」。
・それから40年、民は約束の地を前にしたモアブの地にいる。目の前のヨルダン川を渡れば、そこは約束の地だ。ヨルダン川を渡ったら、そのシケムの地で契約を更新せよと今改めて民に命じられる。
−申命記27:2-3「ヨルダン川を渡り、あなたの神、主が与えられる土地に入る日には、大きな石を幾つか立て、漆喰を塗り、あなたが川を渡ったとき、その上にこの律法の言葉をすべて書き記しなさい。こうしてあなたは、・・・主が約束されたとおり、あなたの神、主が与えられる乳と蜜の流れる土地に入ることができる」。
・民はヨシュアに率いられて川を渡り、約束の地に入った時、命じられた通り、その地で契約の更新を行った。
−ヨシュア記8:30-31「ヨシュアはエバル山にイスラエルの神、主のための祭壇を築いた。この祭壇は、主の僕モーセがイスラエルの人々に命じ、モーセの教えの書に記されたとおり、鉄の道具を使わない自然のままの石で造られた。彼らはその上で、主に焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげた」。
・救いは契約であり、契約は血によって署名される。犠牲の血が新約においてはキリストの血により更新される。
−ルカ22:19-20「イエスは・・・食事を終えてから、杯も同じようにして言われた『この杯は、あなたがたのために流される、私の血による新しい契約である』」。
2.契約更新としての礼拝
・イスラエルは神の民となった。だから主の声に聞き従えと命じられる。
−申命記27:9-10「イスラエルよ、静かにして聞きなさい。あなたは今日、あなたの神、主の民とされた。あなたの神、主の御声に聞き従い、今日私が命じる戒めと掟を行わねばならない」。
・イスラエルはまだ服従を実証していないのに神は契約を結ばれる。私たちが服従するから契約=救いが与えられるのではなく、契約=救いが与えられたから服従する。救いは恵みなのだ。
−ヨハネ15:16「あなたがたが私を選んだのではない。私があなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、私の名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、私があなたがたを任命したのである」。
・契約の宣言を受けて民の前に祝福と呪いが置かれる。どのような選択をするのか、戒めを守るのか破るのか。祝福を受けるのか、呪いとなるのか、それは民の選択だ。
−申命記27:12-13「あなたたちがヨルダン川を渡ったならば、民を祝福するために、シメオン、レビ、ユダ、イサカル、ヨセフ、ベニヤミンはゲリジム山に立ち、また呪うために、ルベン、ガド、アシェル、ゼブルン、ダン、ナフタリはエバル山に立ちなさい」。
・改めて民は戒めを守る事を誓う。それがシケム十二戒といわれる戒めだ。
−申命記27:15-26「『職人の手の業にすぎぬ彫像や鋳像は主のいとわれるものであり、これを造り、ひそかに安置する者は呪われる』。それに答えて、民は皆『アーメン』と言わねばならない。『父母を軽んずる者は、呪われる』。民は皆『アーメン』と言わねばならない。・・・『この律法の言葉を守り行わない者は呪われる』。民は皆『アーメン』と言わねばならない」。
・民は戒めを守ると誓った。しかし、人の罪はそれを守らせない。パウロはそれに気づいた。
−ローマ7:14-24「私たちは、律法が霊的なものであると知っています。しかし、私は肉の人であり、罪に売り渡されています。私は、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。・・・内なる人としては神の律法を喜んでいますが、私の五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、私を、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。私はなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれが私を救ってくれるでしょうか」。
・イエスは神の戒めを守ることの出来ない呪いを身に受けて死なれ、私たちを贖われた。だからイエスにより頼む。
−ローマ3:28「私たちは、こう思う。人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである」。