1.献げ物の細則
・レビ記6−7章には、1−5章で定められた献げ物の細則が記されている。最初は、全焼の献げ物に対する細則である。祭壇の火は燃やし続けよと書かれている。
―レビ記6:2-6「アロンとその子らに命じて言いなさい。焼き尽くす献げ物についての指示は次のとおりである。焼き尽くす献げ物は祭壇の炉の上に夜通し、朝まであるようにし、祭壇の火を燃やし続ける。・・・祭壇の上の火は絶やさず燃やし続ける。祭司は朝ごとに薪をくべ、その上に焼き尽くす献げ物を並べ、更にその上に和解の献げ物の脂肪を置き、燃やして煙にする。祭壇の上の火は常に絶やさず燃やし続ける。」
・神殿においては、朝夕2回の献げ物が捧げられた。祭司は終夜起きて、薪をくべ続ける。
―出エジプト記29:38-41「祭壇にささげるべき物は次のとおりである。毎日絶やすことなく一歳の雄羊二匹を、朝に一匹、夕暮れに他の一匹をささげる。・・・また、朝と同じく夕暮れにも、雄羊に穀物の献げ物とぶどう酒の献げ物を加え、燃やして主にささげる宥めの香りとする。」
・毎日捧げることが大事だ。神は毎日、私たちのために心を配られるのだから、私たちも毎日応答する。
―?テサロニケ5:16-19「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。“霊”の火を消してはいけません。」
・穀物の献げ物も、毎日捧げられる。
―レビ記6:13「上等の小麦粉十分の一エファを日ごとの穀物の献げ物とし、半分を朝、残り半分を夕方にささげる。」
・贖罪の献げ物のために使われる、煮炊きする土の鍋は打ち砕かれる。聖なるものの血や脂が器にしみこむからである。聖なるものは、そこまで聖別する必要がある。
―レビ記:21「献げ物を煮るために用いた土鍋は打ち砕く。しかし青銅の鍋で煮る場合は、鍋を磨き、水でゆすぐ。」
・パウロは人間を「土の器」と呼んだ。私たちは土の器であって、毎回打ち砕かれなければいけない存在である。しかし、神はそのような私たちを用いて、その業を為される。
―?コリント4:7-9「私たちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかになるために。私たちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。」
2.何故、献げ物について、こんなに詳細に定めるのか
・人間はギリシャ語で「アントロポス」と呼ばれる。アントロポス=アンテ・レポー、アンテ=反対する、レポー=かがむ、下を向く。人間は神の前にかがむことに反対する存在、自らを神より高くする存在なのだ。だから、詳細な献げ物の規定が定められ、守るように命令されているのだ。
―創世記8:20-22「ノアは主のために祭壇を築いた。そしてすべての清い家畜と清い鳥のうちから取り、焼き尽くす献げ物として祭壇の上にささげた。主は宥めの香りをかいで、御心に言われた。『人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。私は、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。地の続くかぎり、種蒔きも刈り入れも、寒さも暑さも、夏も冬も、昼も夜も、やむことはない。」
・朝夕捧げよ、祭壇の火を絶やすなと言われる。神は日夜働いておられるからだ。
―マルコ4:26-28「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。」
・種は蒔きさえすれば、成長していく。神が働かれるからだ。しかし、同時に人の役割もある。種をまくことだ。種をまかない限り、実は結ばない。私たちは神の共働者なのであり、私たちが5つのパンを差し出すから、5000人の人が食べることが出来るのだ。
―?コリント3:6-9「私は植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。植える者と水を注ぐ者とは一つですが、それぞれが働きに応じて自分の報酬を受け取ることになります。私たちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです。」