1.日常の務めに励め(24:1-9)
・主の祭壇の明かりは、夜の間も絶やしてはいけないと命令される。主は夜も働かれるからだ。
−レビ記24:3「アロンは主の御前に、夕暮れから朝まで絶やすことなく火をともしておく。これは代々にわたってあなたたちの守るべき不変の定めである。」
・油はオリーブを砕いて自然にとれた純粋の物を用い、圧搾して搾り出した物ではいけないといわれる。燃やす油に最良のものを用いる。人が見ていないところでも最善を尽くす。それが礼拝だ。
−サムエル上16:7「主はサムエルに言われた。『容姿や背の高さに目を向けるな。私は彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る』」。
・安息日ごとにパンを供えよ、それは祭司のためのパンになると言われる。
−レビ記24:8-9「アロンはイスラエルの人々による供え物として、安息日ごとに主の御前に絶えることなく供える。これは永遠の契約である。このパンはアロンとその子らのものであり、彼らはそれを聖域で食べねばならない。それは神聖なものだからである。燃やして主にささげる物のうちで、これは彼のものである。」
・神は人間の食物を必要とされない。安息日ごとにパンを捧げるのは祭司が養われるためである。この神の思いを忘れると、律法は硬直化したものになる。
−マタイ12:3-8「イエスは言われた。『ダビデが自分も供の者たちも空腹だったときに何をしたか、読んだことがないのか。神の家に入り、ただ祭司のほかには、自分も供の者たちも食べてはならない供えのパンを食べたではないか。安息日に神殿にいる祭司は、安息日の掟を破っても罪にならない、と律法にあるのを読んだことがないのか。・・・『私が求めるのは憐れみであって、いけにえではない』という言葉の意味を知っていれば、あなたたちは罪もない人たちをとがめなかったであろう。人の子は安息日の主なのである。」
2.目には目を、歯には歯を(24:10-23)
・ある男が他と争い、『主の名を用いて相手を呪った』。イスラエル人なら石打の刑に処せられるが、この男が異邦人だったので、会衆は男をモーセのもとに連れてきた。
−レビ記24:11「イスラエル人を母に持つこの男が主の御名を口にして冒涜した。人々は彼をモーセのところに連行した。」
・異邦人であるとも、主の掟は適用されるとして、主はこの男を石打の刑で殺すように命じられた。
−レビ記24:15-16「神を冒涜する者はだれでも、その罪を負う。主の御名を呪う者は死刑に処せられる。共同体全体が彼を石で打ち殺す。神の御名を呪うならば、寄留する者も土地に生まれた者も同じく、死刑に処せられる。」
・イエスが死刑にされたのも、神名冒涜の罪であった。
−マタイ26:64-66「イエスは言われた。『・・・あなたたちはやがて、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に乗って来るのを見る』。そこで、大祭司は服を引き裂きながら言った。『神を冒涜した。これでもまだ証人が必要だろうか。諸君は今、冒涜の言葉を聞いた。どう思うか。』人々は、『死刑にすべきだ』と答えた。」
・共同体の秩序を乱す者は殺されなければいけない。しかし、誰がそれを判定するのか。イエスは律法の文言ではなく、その精神を見よと言われた。
−マタイ12:31-32「人が犯す罪や冒涜は、どんなものでも赦されるが、“霊”に対する冒涜は赦されない。人の子に言い逆らう者は赦される。しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも赦されることがない。」
・19節以降に有名な『同害報復法』が規定されている。これは過剰報復を禁止するための規定であった。
−レビ記24:19-20「人に傷害を加えた者は、それと同一の傷害を受けねばならない。骨折には骨折を、目には目を、歯には歯をもって人に与えたと同じ傷害を受けねばならない。」
・しかしイエスはこれを批判され、際限なく許せと言われた。
−マタイ5:38-40「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、私は言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」
・律法では同胞を隣人として愛せといわれた。それは敵は憎んでも良いということだ。しかし、イエスは同胞を超えて敵を愛せ、それが父の御心だと言われた。
−マタイ5:43-45「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、私は言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。」