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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2025年9月28日( ヨシュア記24:1~15「ヨシュアの告別の言葉」)

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ひとつだけ選びとるなら
・わたしたちが人生の分岐点に立つとき、誰と共に歩むか、何を選び取るかが大きな意味を持ちます。イスラエルの民が約束の地に定住し、指導者ヨシュアがその生涯の終わりに民を集めて語った「告別の言葉」は、現代を生きる私たちにも深い問いを投げかけます。
・ヨシュアの告別は、時代や状況を超えてわたしたちの選択に問いかけます。神が導かれた歩みを知ることで、過去の恵みと守りを思い起こし、今この時に何を選ぶべきかを考えさせられます。ヨシュアが民に求めたのは、迷いや妥協ではなく、確かな決断と信仰に満ちた選択です。古い習慣や偶像に流されるのではなく、主の導きに応答できるよう心を整え、家族や共同体の未来を見据えて歩み出すことが大切です。

歴史の振り返りと主の恵み
・ヨシュアはシケムに全イスラエルを集め、民の長老や指導者たちを前に、神がアブラハムから始まり、ヤコブ、モーセを通して導かれた歴史を振り返ります。主は民をエジプトから救い、荒れ野を越えて約束の地に導き、敵を打ち破る力を与えてこられました。ヨシュアは、「あなたたちが自分で労せずして得た土地、自分で建てたのではない町を与えた。あなたたちはそこに住み、自分で植えたのではないぶどう畑とオリーブ畑の果実を食べている。」(24:13)と主の言葉を繰り返し強調します。すべては神の恵みによるものであり、人の力や功績によるものではありません。
・ヨシュアは民に対して、主の導きと守りによって与えられた日々や土地が、ただ恩恵として授けられていることを思い起こさせます。その上で、過去のしがらみや古い習慣を捨て、ここから新たな歩みを始めるよう促します。民が立つこの瞬間は、神の歴史に織り込まれた節目であり、誰に仕えるかの選択は個人の信仰だけでなく、家族や共同体の未来にも直結する重大な分岐点です。ヨシュアの言葉は、受け取った恵みに感謝しつつ、それを土台にして確かな決断を下し、主への応答として新しい道を選び取ることの大切さを静かに語りかけています。
・ヨシュアは祝福の歴史を語ったうえで、民に現実を見据えるよう促します。イスラエルの民が今いる地は、神の導きと守りの積み重ねによるものであり、受けた恵みが新しい責任を伴うことを示しています。ヨシュアは、周囲の文化や過去の習慣に流されることなく、主から与えられた使命と新たな歩みを意識するよう呼びかけます。今という分岐点に立ち、過去の祝福を感謝するとともに、将来に向けて何を選び取るべきかを静かに問います。民はこれまでの歩みを思い起こし、その恵みに応答する形で、新しい信仰の一歩を踏み出す決意を迫られています。

選択と決断の時
・過去の偶像崇拝、エジプトやアモリ人たちの神々を捨てるよう強く求めるヨシュア。彼は民に「仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。」(24:15)と迫ります。主か、先祖の神々か、周囲の異邦の神々か。この選択の瞬間は、私たち一人ひとりにも訪れるものであり、人生の岐路に立つたびに、何を選び、誰に仕えるかが問われるのです。
・ヨシュアは、これまでの歴史や神の恵みに立脚して民に選択を迫るだけでなく、個々人が自発的に信仰の歩みを決断すること、その選択が今後の人生を形作る大きな意味を持つことを示しています。新しい土地での生活が始まる中、古い価値観や周囲の影響に流されず、ただ主を信頼して歩むことが、家族や共同体に祝福をもたらす確かな道であると気づかされます。
・この選択は、単なる個人の決意にとどまらず、家族や地域社会全体に新たな道筋を示すものとなります。新しい環境や時代の中で何を大切にし、誰を信じて歩むのかという問いは、それぞれの心に静かに投げかけられています。ヨシュアの時代と同じく、現代でも日々の選択や決断は、無意識のうちに自分自身と周囲の未来を形づくっていきます。過去の束縛や慣習を手放し、主の導きを信じて一歩踏み出す勇気こそが、豊かな人生と希望ある共同体への第一歩となるのです。

「わたしとわたしの家は主に仕えます。」
・ヨシュア自身は明確に宣言します。「わたしとわたしの家は主に仕えます。」(24:15)。指導者としての確固たる信仰と決意は、民に大きな影響を与えました。私たちが生きるこの世界でも、多くの価値観や選択肢があふれています。自分の家庭や職場、コミュニティで何を土台とするか、誰に仕えるか、その問いに真剣に向き合うことが大事です。
・ヨシュアが示した選択の覚悟は、単なる個人の宣言にとどまらず、共同体全体に新たな指針をもたらしました。信仰に基づく決断は、時に周囲の流れに逆らうことも求められますが、その歩みはやがて家族や隣人へも連鎖し、未来への希望となっていきます。主に仕えるという選択は、過去のしがらみや不安を断ち切り、「今ここ」から新しい人生を始める出発点となります。
・ヨシュアの決断は、単なる個人の信仰の表明にとどまらず、コミュニティ全体に新しい視点と勇気を呼び起こしました。自分だけでなく、家族や周囲の人々がどのような価値観に根ざして歩むべきかを静かに問い直し、迷いや惰性に流されることなく、意志をもって歩むことの重要さが浮き彫りになります。信仰に基づく選択は、決して容易なものではありませんが、一人ひとりの決断が積み重なって、未来の希望や豊かな共同体へとつながっていきます。人生のさまざまな場面で訪れる選択の機会に、過去にとらわれず、今この瞬間に誠実に応答すること。その歩みが、あなた自身の心を解き放ち、新たな一歩を支える確かな力となるのです。

招詞
・招詞に、マルコによる福音書1章17節を選びました。ご一緒にお読みしたいと思います。

-マルコによる福音書1章17節「イエスは、『わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう』と言われた。」 ありがとうございます。
・イエスがガリラヤ湖のほとりで弟子たちを招き、彼らに従うよう呼びかけた場面です。すべてを捨て、イエスに従う決断へと導かれる瞬間が表現されています。
・ヨシュア記24章の舞台は、イスラエルの民が約束の地に定住し、ヨシュアがその生涯の終わりに「仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。」と民に迫る場面です。ヨシュアの言葉は、偶像や過去の神々ではなく、主なる神に仕えることの意味を強く問いかけます。その決断は、個人と家族、共同体の将来を左右するものです。
・マルコ1章のイエスの招詞もまた、弟子たちに「わたしについて来なさい」と従うよう促し、新たな人生の選択を迫ります。ヨシュア記の「仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。」との呼びかけと響き合い、どちらも信仰の岐路に立つ者へ、決断と新しい歩みを促すメッセージとなっています。
・ヨシュアは「わたしとわたしの家は主に仕える」と宣言し、イスラエルの民に模範を示しました。
・イエスは弟子たちに「わたしについて来なさい」と招き、すべてを委ねて歩む信仰のあり方を示しました。
・招詞もヨシュアの言葉も、「今、誰に仕えるか」「何を選び取るか」という普遍的な問いを投げかけています。
・ヨシュア記24章の告別の言葉は、歴史や信仰の継承だけでなく、現代を生きる私たち一人ひとりにも響きます。イエスの招きは、人生の分岐点で主に従う勇気を与え、本当の平安と希望へと導きます。ヨシュアの決意とイエスの「わたしについて来なさい」という言葉はどちらも、「主と共に歩む」「主に従う」という信仰の選びにつながっています。この選びが、私たちの人生を新しい希望と光へ導いてくれます。
・ヨシュア記の「仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。」と、イエスの「わたしについて来なさい」という招きは、いずれも信仰の核心にある決断を促します。私たちが迷いの中にあるとき、この二つの言葉が響き合い、私たちの心に主への新たな応答が生まれますように。主に仕える人生、主に従う歩みを、共に選び取っていきましょう。
・ヨシュア記の物語とイエスの招きに共通するのは、信仰が一度きりの選択ではなく、日々の歩みの中で更新され続けるものであるということです。わたしたちは時に迷いや不安の中にありながらも、過去に受けた恵みや導きを思い起こし、今この時、自分に与えられた場所で新たに信仰を選び取ることができます。信仰の歩みは、静かな決意と柔らかな心で、繰り返し「主に仕える」「主に従う」と応答し続けることにほかなりません。それは大きな決断でありながら、日常の小さな選択や態度の積み重ねでもあります。ヨシュアの時代から現代に至るまで、神の招きは絶えることなく響き続け、私たちの人生の岐路や日々の営みに新しい光をもたらします。

現代へのメッセージ
・ヨシュアの言葉は、過去の歴史や信仰の継承だけでなく、今を生きる私たちにも響きます。主なる神は変わらず、私たちの歩みを導き、守り、祝福してくださる方です。人生の中で迷いが生じたとき、ヨシュアのように、恐れずに決断し、主に仕えることを選び取る勇気を持ちたいものです。
・わたしたちの日常には、目立たない選択や静かな決意が重なり合っています。それぞれの場面で、何に心を向け、どのような価値観を大切にして歩むかが、やがて人生の大きな方向を形作っていきます。時に迷いや不安に包まれることがあっても、主に仕える選択は、確かな拠り所と新しい希望をもたらします。私たちの今日の小さな一歩が、やがて確かな信仰の歩みとなり、周囲にも温かな光をもたらすことでしょう。
・人生の節目や日常のささやかな瞬間にも、私たちは新たな選択を求められることがあります。そのような時、自分自身の内側から湧き上がる問いに耳を傾け、静かに主の導きを仰ぐことは大事です。日々の営みの中で、どんな小さな選択にも誠実であろうとする姿勢が、やがて確かな信仰の実りへとつながっていきます。たとえ困難や試練があったとしても、主がともに歩み、道を照らしてくださるという確信が、心の支えとなるでしょう。それぞれの歩みの中で与えられた恵みに感謝しつつ、今日もまた新たな一歩を踏み出していきたいものです。

結び
・「仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。」というヨシュアの告別の言葉は、私たちを新たな信仰の歩みへと促します。主に仕えることを選び取るとき、あなたの人生には本物の平安と希望が与えられるでしょう。ヨシュアの信仰と決断に倣い、あなたも主に仕える人生を歩んでいきましょう。
・これまでの歩みの中で与えられてきた恵みや導きを心に留め、今日という日も、主の前に自らの選択を新たにする機会としたいものです。それぞれの状況や環境は異なりますが、どんな時も主の御声に耳を澄ませ、与えられた使命や役割に誠実に応えていくことが大事です。日々の小さな行動や思いやりの積み重ねが、やがて大きな実を結び、私たち自身のみならず、周囲の人々にも豊かな祝福をもたらすことでしょう。

祈り 信仰の選びと主への応答を願う祈り
・恵み深い真の命の神さま、
今、あなたの御前に心を静め、ヨシュアの言葉を思い巡らしながら祈ります。
あなたがイスラエルの民を導かれたように、私たち一人ひとりの歩みも、
絶えず御手の中で支えられていることを覚え、感謝します。
・どうか、今日私たちが受け取った御言葉を心にしっかりと刻み、「誰に仕えるか」を自ら選び取る勇気と決断を与えてください。
迷いや不安の中にあっても、あなたに従い、
あなたを第一とする信仰の道を歩み続けることができますように。
日々の小さな選択や決断の中にも、
あなたへの誠実な応答をもって歩むことができますよう、聖霊の導きをお与えください。
困難や試練の時にも、あなたがともにいてくださることを信じ、希望と平安に満たされますように。
主に仕える人生を選び取る私たちの歩みが、周りの人々の祝福ともなりますように。
感謝と賛美をもって、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。
アーメン

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