江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2025年12月21日(ルカによる福音書2:1~20 飼い葉桶から始まる平和)

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皆さん、クリスマスおめでとうございます。クリスマスの訪れを迎え、世界に真の平和が訪れることを願います。ルカによる福音書2章1~20節に描かれる「飼い葉桶から始まる平和」の物語は、混乱や不安、対立の絶えない現代社会において、私たちに根源的な希望を示しています。今日、私たちは飼い葉桶に生まれた救い主の意味を深く味わい、神の平和の普遍性について共に考えたいと思います。

私たちの住むこの世界、日々のニュースに心を痛めることが少なくありません。戦争や紛争、社会の分断、身近な人との対立など、平和から遠い現実が世界中に広がっています。そんな中でクリスマスを迎えることは、私たち一人ひとりが、今ここで「平和をつくる者」として歩む使命を新たに受け取る機会でもあります。

 

飼い葉桶から生まれた理由

イエス・キリストの誕生は、ベツレヘムの飼い葉桶という非常に質素な場所と言うよりも粗末な場所から始まりました。ローマ皇帝アウグストゥスの人口調査の命令により、ヨセフとマリアはナザレからベツレヘムへ旅を強いられ、宿屋には泊まる場所がなく、家畜小屋でイエス様はお生まれになったのです。なぜ神は、救い主をこのような場所に誕生させたのでしょうか。

2:6,7「彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、 初めての子を産み、」とあります。レビ記12:2~4には、「妊娠して男児を出産したとき、産婦は七日間汚れている。産婦は出血の汚れが清まるのに必要な三十三日の間、家にとどまる。その清めの期間が完了するまでは、聖なる物に触れたり、聖所にもうでたりしてはならない。」とあります。40日間彼らを受け入れる宿屋がなかった、そして彼らが40日間宿屋にとどまれない経済的な理由もあったと考えられます。

それは、神のご計画の中で「弱さ」「貧しさ」「孤独」に寄り添うことが重要視されていたからです。飼い葉桶は、王宮でも豪華な家でもなく、動物たちが食事をする場所です。そこで生まれたイエス様の姿は、神が人間の最も低い場所にまで降りてきてくださること、そしてどんな状況の人にも神の愛が届くことを象徴しています。

また、飼い葉桶は、神の謙遜と自己犠牲のしるしでもあります。イエス様は「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」 (マルコ10:45)と語られました。神は、力や富を誇るのではなく、弱さや貧しさをも内包する愛によって世界を救おうとされたのです。

 

飼い葉桶と平和のつながり:謙遜と包摂の象徴

飼い葉桶は、謙遜と包摂の象徴です。「包摂(ほうせつ)」という言葉は、「誰一人取り残さず、すべての人を受け入れる」という意味です。社会的な立場や背景、強さや弱さに関係なく、あらゆる人を排除せず、共にあることを大切にする姿勢を意味します。クリスマスの飼い葉桶の物語は、神の愛が特定の人だけでなく、すべての人に向けられているという、広く開かれた受容や受け入れの心を表しています。

イエス様の誕生がこのような形であったことは、神の平和が誰にでも開かれていることを示しています。豪華な場所ではなく、誰もが足を踏み入れることのできる家畜小屋での誕生は、社会的に弱い立場の人々にも神の救いが届くことの証しでもあります。

平和とは、特定の人や集団だけに与えられるものではありません。イエス様は、飼い葉桶に生まれることで、すべての人の間に隔たりなく、神の愛と平和が注がれることを体現されました。謙遜の姿は、争いや対立の根源である「自己中心性」から私たちを解放し、互いに受け入れ合う心を育てます。飼い葉桶は、神の包摂的な愛の象徴であり、平和を生きる道の出発点なのです。

このように、飼い葉桶に生まれたイエス様の姿は、私たちに謙遜と愛、そして包摂の大切さを教えてくれます。クリスマスは、すべての人に開かれた神の恵みと平和を思い起こし、わたし自身もまた、周囲の人々を受け入れ、支え合う心を持つことの大切さを新たにする機会となります。

 

羊飼いへの知らせ:普遍的な平和のメッセージ

天使が最初に救い主の誕生を告げたのは、町の有力者や知識人ではなく、社会の片隅で生きていた羊飼いたちでした。彼らは当時、社会的に低い立場にあり、しばしば疎外されていました。しかし、神はそのような人々に「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」(2:10,11)と告げられたのです。

この知らせは、神の平和が特別な人だけではなく、すべての人に与えられる普遍的な恵みであることを示しています。神は身分や立場に関係なく、心の貧しい者、悩み苦しみの中にいる者にこそ、真っ先に近づいてくださるのです。天使たちが歌った「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」(2:14)という賛美は、クリスマスの本質を端的に表現しています。

「心の貧しい者」とは、物質的な貧しさだけでなく、謙虚に自分の限界や弱さを認め、神や他者に頼る心を持つ人を指します。自分の力や知識だけで生きようとせず、助けや導きを必要とする姿勢を持つ人です。聖書は、こうした人々にこそ神の恵みと平和が注がれると記しています。

この天使の知らせを受けた羊飼いたちは、ただ驚くだけでなく、すぐに行動に移しました。彼らは「天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、『さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか』と話し合った。(2:15)そして、急いで飼い葉桶に寝かされた幼子イエス様のもとへ向かったのです。彼らの素直な心と勇気ある一歩は、神の恵みへの応答の模範と言えます。

また、羊飼いたちがイエス様に出会った後、その出来事を人々に伝えました。彼らが目撃した神の平和と喜びは、周囲の人々にも広がっていきました。クリスマスの物語は、私たち一人ひとりもまた、与えられた恵みや平和を分かち合う存在であることを示しているのです。

 

招詞:イザヤ書9章5節の預言と成就

招詞に、旧約聖書イザヤ書9章5節を選びました。皆さんとご一緒にお読みしたいと思います。

「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、『驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君』と唱えられる。」 ありがとうございます。

この預言は、イエス・キリストの誕生によって成就しました。イザヤは、混乱と戦争が絶えない時代にあって、「平和の君」が来られることを告げています。クリスマスは、神が約束された平和の実現の日です。飼い葉桶から始まった救い主の物語は、イザヤの預言が現実となった瞬間であり、神の平和が人々の間に訪れたしるしなのです。

このように、イザヤ書の預言とその成就は、神の約束が歴史の中で確かに実現することを示しています。クリスマスは単なる祝祭ではなく、私たち一人ひとりがその約束の中に招かれていることを思い起こす機会です。私たちは、救い主イエス・キリストを通して与えられる平和と希望に心を開き、日々の歩みの中でその恵みを受けとめていきたいと思います。

 

神の平和とは何か:聖書的解釈と現代的意義

聖書が語る「平和(シャローム)」は、単なる戦争や争いのない状態ではありません。神の平和とは、神との関係、人との関係、そして自分自身との関係が回復され、完全に満たされる状態のことです。

イエス・キリストは「平和の君」として、分断された世界に和解と一致をもたらす方です。飼い葉桶の誕生は、神が謙遜の姿をもって人々に近づき、深い愛によって隔たりを取り除いてくださることの証しです。現代社会においても、対立や分断が絶えません。しかし、神の平和は、私たちが互いに受け入れ合い、赦し合う心を持つときに実現します。

イザヤの預言が示すように、平和の君は「驚くべき指導者」「力ある神」「永遠の父」として、私たちを導き、支え、守る存在です。神の平和は、すべての人に開かれた恵みであり、私たちがどんな状況にあっても希望を持つことができる源泉なのです。

 

平和を生きるために

クリスマスの物語は、私たちに「平和を生きる」ことへの問いかけでもあります。飼い葉桶に生まれた救い主は、謙遜と包摂の姿を通して、私たちが互いに受け入れ合い、赦し合うことの大切さを教えてくださいます。

私たちは、日々の生活の中で、誰かを排除したり、心の中で壁を作ったりしていないでしょうか。神の平和は、そうした壁を取り除き、すべての人に開かれた愛を分かち合うことにあります。イエス様が飼い葉桶に生まれたように、私たちも謙遜な心を持ち、弱さや苦しみの中にいる人々に寄り添う者となりたいものです。

また、イザヤ書9章5節が約束する平和の君は、私たち一人ひとりに「あなたの人生にも平和が訪れるように」と語りかけてくださっています。神の平和は、私たち自身が受け入れることで、家庭や職場、社会へと広がっていくのです。

 

すべての人と共におられる神

又イザヤ書7章14節には、「それゆえ、わたしの主が御自ら/あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み/その名をインマヌエルと呼ぶ。」と記されています。これは後に新約聖書、マタイによる福音書1章23節にも引用され、「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」とあります。インマヌエルとはヘブライ語で「神は我々と共におられる」という意味であり、神が人間と直接関わり、寄り添う存在であることを示しています。これは、クリスマスに救い主が誕生された意味を深く照らす重要な預言です。

 

イエスの名前の意味と救いの具体例

では、なぜイエスの名が「インマヌエル」ではなく「イエス」となったのでしょうか。聖書によれば「イエス」はヘブライ語で「ヨシュア」―「主は救う」という意味です。インマヌエルが「神が共にいる」ことを示すのに対し、「イエス」は「救い主」としての役割を明確にしています。実際にイエスは、貧しい人、病気の人、苦しみや不条理に悩む人々と共に歩まれ、誰一人として見捨てることなく、寄り添い続けました。

救いとは、単に問題がなくなることではありません。ヨハネによる福音書1章9節に「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。」とあるように、イエスはすべての人に光をもたらし、どんな状況にあっても共に歩んでくださるのです。

・ガラテヤ書3章28節は、「そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」と語ります。イエスの救いは、すべての国籍、立場、性別を超えて開かれています。私たち一人ひとりがこの救いに招かれているのです。

 

十字架上のイエスと二人の罪人―聖書物語から学ぶ包容力

インマヌエルの恵みは、イエスが十字架上で示された出来事の中にも鮮明に表れています。イエスは馬小屋で生まれ、謙遜な人生を歩まれましたが、十字架上では二人の罪人―伝承によればゲスタス(悔い改めなかった強盗)とデイスマス(悔い改めた強盗)―と共にいました。

ゲスタスは自らの罪に向き合うことなく、「お前がキリストなら、自分を救ってみろ。そして私たちも救ってみろ。」と最後まで心を閉ざし、イエスを罵りました。しかし、そのゲスタスのすぐそばに、イエスは黙って立ち続けていたのです。イエスは、拒み、怒り、侮辱する者にも寄り添い、同じ痛みと死を共にされました。

一方、デイスマスは苦しみの中で自らの罪を悔い改め、「イエスよ、あなたが御国に入られる時、私を思い出してください。」と願います。イエスは「今日、あなたは私と共にパラダイスにいる」と約束されました。悔い改める者には救いが開かれ、心を閉ざす者にも、イエスは変わらず寄り添われました。イエスがどちらの側にも立ち続けたことは、誰にでも無条件で寄り添う神の姿を力強く示しています。

 

孤独や苦しみの中に寄り添う神

この「インマヌエル」の恵みは、現代の私たちにも深く関わっています。たとえば、孤独を感じている時、病気や困難に直面している時、自分の弱さや過ちに悩む時―神は遠く離れた所から見ているのではなく、私たちのすぐ隣で静かに寄り添ってくださいます。

私自身も心が沈んだ時、神に祈ることで、目に見えない優しい励ましを感じてきました。教会での礼拝の中で、涙を流す人の近くに座り、ただ黙って座り続けることしかできなかった経験があります。けれど、その静かな共感こそが、インマヌエル―共にいてくださる神の姿だと気づかされました。

現代社会でも、孤独や苦しみの中にある人々のそばに神は寄り添ってくださいます。私たちは時に自分の心を閉ざし、神を責めたり、遠ざけたりすることがあります。しかし、イエスはそうした私たちのそばにも立ち、「私はここにいる」と静かに語りかけてくださるのです。

 

すべての人に寄り添うイエスの包容力と希望

クリスマスに生まれたイエスは、信仰のある人、立派な人だけでなく、弱さや迷い、苦しみを抱えるすべての人のために来られました。イエスは悔い改める者には新しい希望を与え、心を閉ざしてしまう者にも「私はここにいる」と寄り添い続けてくださいます。このインマヌエルの恵みは、どんな人にも開かれた包容力であり、安心と希望の源です。

今年のクリスマス、主イエスがあなたのそばに立ち、揺れる心に平和を、迷う心に光を、そして悔い改める心に赦しと希望を与えてくださいますように。私たちは、どんな状況にあってもイエスが共にいてくださることを信じ、心からの感謝と賛美を捧げたいと思います。

 

クリスマスにおける平和の祈り

最後に、クリスマスにあたり、世界の平和、家庭や社会の平和、心の平和を皆さんと一緒に祈りたいと思います。飼い葉桶から始まった救い主の物語は、すべての人に神の愛と平和が注がれていることを告げています。

イザヤ書9章5節の預言に込められた希望を胸に、私たちも平和の使者として歩み出しましょう。神の平和が、私たち一人ひとりの心に、そしてこの世界に満ちることを願いつつ、クリスマスの季節を過ごしたいと思います。

ルカ2:14「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」この天使の賛美が、私たちの日常を満たし、神の平和が広がっていくことを心から願います。

飼い葉桶に生まれたイエス様は、今も私たちと共にいてくださり、心の中に平和をもたらそうとしています。今年のクリスマス、私たち一人ひとりがイエス様の愛と平和を受け止め、家族や友人、地域の人々と分かち合っていきましょう。そこから、神の平和が新たに始まることを信じて、共に祈り、歩んでいきたいと思います。

福音も癒しも、十字架上の贖いも、復活もイエス・キリストの誕生から始まったのです。

皆さん、クリスマスおめでとうございます!

 

お祈りします。

愛する真の命の神様、クリスマスの恵みを感謝します。

飼い葉桶に生まれたイエス様の謙遜と愛を、私たちの心に深く刻ませてください。

どうか、あなたの平和が私たち一人ひとりの心に満ち、家庭や社会、

世界へと広がっていきますように。悲しみや困難の中にいる人々を覚えて、

あなたの慰めと希望が届きますように助けてください。私たち自身も、愛と赦しを大切にし、平和の使者として歩むことができますようお導きください。

このクリスマス、イエス様の愛と平和を分かち合い、

あなたの栄光を現す者となれますように。

主イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

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