江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2023年1月15日説教(ルカ5:12-26、癒しから救いへ)

投稿日:2023年1月14日 更新日:

 

1.重い皮膚病の人の癒し

 

・今日はルカ福音書から、病の癒しの記事を読んでいきます。ルカは記します「イエスがある町におられた時、そこに、全身重い皮膚病にかかった人がいた。この人はイエスを見てひれ伏し、『主よ、御心ならば、私を清くすることがおできになります』と願った」(ルカ5:12)。「重い皮膚病」、原語のギリシャ語では「レプラ」です。このレプラという言葉は特殊な響きを持っております。

・私が用いている聖書は1996年版の新共同訳聖書で、その聖書では5章12節前半は「イエスがある町におられた時、そこに全身らい病にかかった人がいた」とあります。皆さんのお持ちの聖書では「らい病」ではなく、「重い皮膚病」になっていると思います。1997年4月以降、聖書協会は「らい病」を差別用語だとしてその使用を取りやめたからです。その背景にありますのは1996年の「らい予防法」の廃止です。らい病(1996年以降はハンセン病)は、有史以来、天刑、業病、呪いなどと考えられ、忌み嫌われてきた病気です。日本でもハンセン病にかかった人は施設に強制収容され、病気が治っても施設を出ることは許されませんでした。ハンセン病の治療薬プロミンが発見されたのは1943年ですが、長いあいだ「治らない病気」、「強い伝染性」を持つ病気として、患者はすべての交わりを断たれ、収容所への入所を強制されました。日本で「らい予防法」が廃止されたのは1996年、ほんの20年前です。日本だけではなく、世界中でこの病気について誤解をして、差別してきた歴史があります。

・ギリシャ語レプラは、ヘブル語「ツァラァト」の訳語です。ツァラァトとは「打たれたもの」、病人は神に打たれた者、神に呪われた者として、宗教的に「汚れた者」とされました。この病気は細菌によって皮膚の表面が壊死していく病気であり、顔や手が崩れていくその症状から人々に忌み嫌われ、また伝染する故に恐れられていました。町の中に入ることは許されず、道を歩く時には「私は汚れているから近寄らないで下さい」と言わねばなりませんでした(レビ記13:45-46)。その重い皮膚病人がイエスのところに来たことは、「近寄ってはいけない」という境界線を超えた、見つかったら石打で殺されるかもしれない危険を犯しての行為でした。彼はイエスが病の人々を癒されるのを目撃し、「この方は不思議な力をお持ちだ。この方なら私の病気も治して下さるかもしれない」と思い、必死の思いで来た。彼はイエスに求めます「御心でしたら、清めて下さい」。「治して下さい」ではなく、「清めて下さい」です。「重い皮膚病」者は、汚れている者として社会から排斥されていた、汚れているから「清め」が必要なのです。

・重い皮膚病者が境界線を越えてイエスに近づき、憐れみを求めました。ルカは記します「イエスは手を差し伸べてその人に触れ、『よろしい。清くなれ』と言われた」(5:13)。「重い皮膚病者」は感染危険性があるから触れてはいけない、今日でいう伝染病患者、コレラやペストと同じ扱いでした。今日のコロナウィルス禍の拡大の中で、注目されているのはルターの感染症についての文書です(神戸改革派神学校・吉田隆校長「ウイルス禍についての神学的考察」)。14世紀の中頃、アジアからヨーロッパ全土を襲った黒死病(ペスト)は、ヨーロッパの全人口の4分の1から3分の1を死に至らしめ、その後も散発的に流行を繰り返し、1527年の夏、マルティン・ルターがいたヴィッテンベルクをも襲いました。市当局者たちはルターたちに避難を命じますが、ルターは拒否して病人や教会員たちをケアするために残ります。彼は教会に当てた公開書簡「死の災禍から逃れるべきか」の中で述べます「命の危険にさらされている時こそ、聖職者たちは安易に持ち場を離れるべきではない。説教者や牧師など、霊的な奉仕に関わる人々は、死の危険にあっても堅く留まらねばならない。私たちには、キリストからの明白な御命令があるからだ。人々が死んで行く時に最も必要とするのは、御言葉と礼典によって強め慰め、信仰によって死に打ち勝たせる霊的奉仕だからである」。他方において、ルターは、死の危険や災禍に対してあまりに拙速かつ向う見ずな危険を冒すことの過ちについても述べています。「私はまず神がお守りくださるようにと祈る。そうして後、私は消毒をし、空気を入れ替え、薬を用意し、それを用いる。行く必要のない場所や人を避けて、自ら感染したり他者に移したりしないようにする。私の不注意で、彼らの死を招かないためである・・・しかし、もし隣人が私を必要とするならば、私はどの場所も人も避けることなく、喜んで赴く」。

・感染の危険がある中で、イエスはあえて重い皮膚病者に触れます。「よろしい、清くなれ」、原文では「私は望む。清くなれ」、病者を排除する社会に対する激しい怒りがここにあります。ルカは続けます「イエスは厳しくお命じになった。『だれにも話してはいけない。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたとおりに清めの献げ物をし、人々に証明しなさい』」(5:14)。「厳しく注意して言われた」、原文「エンプリマオマイ=激昂して」です。重い皮膚病者は病気が治されただけでは十分ではなく、祭儀的な汚れを取り除かなければ社会に復帰できません。「病気は神の呪いだ」として彼を排除する人々、「愛の神を怒りの神に変えてしまう」人間の罪に、イエスは怒りを覚えておられるのです。

 

2.中風の人の癒し

 

・ルカは重い皮膚病者の癒しに続いて中風の人の癒しを描きます。「男たちが中風を患っている人を床に乗せて運んで来て、家の中に入れてイエスの前に置こうとした」(5:18)。中風とは「麻痺」と言う意味で、何らかの理由で体が麻痺になり、起き上がることも出来ないようになった、脳卒中や脳梗塞の後遺症だったのでしょう。この人は四人の男に担がれてここに来ました。人を戸板に載せてと遠い所から担いでくるのは大変な作業です。男たちは汗びっしょりになって、やっとイエスのおられた家まで病人を運んで来ましたが、家は戸口まで人があふれていて、中に入ることは出来ません(5:18)。彼らはそれを見て、「屋根に上って瓦をはがし、人々の真ん中のイエスの前に、病人を床ごとつり降ろした」(5:19)。

・パレスチナの屋根は平らで、木の骨組みの上に粘土がかぶせてあるだけで、外側には屋上に上がるための階段もありました。四人の男たちは床を担いだまま、屋根に上り、屋根に穴をあけ、その穴から、病人をつり下ろしました。もうもうたる土煙が立ったと思われます。中にいた人たちは驚きました。イエスも驚かれたでしょう。しかし、イエスは、そこまでしてイエスに助けを求めてきた男たちの熱心さに、感動されました。イエスは「その人たちの信仰を見て」(5:20a)、病人に言われました「人よ、あなたの罪は赦された」((5:20b)。

・そこにいた律法学者はイエスの言葉を聞いて、つぶやきます。「神を冒涜するこの男は何者だ。ただ神のほかに、いったい誰が、罪を赦すことができるだろうか。」(5:21)。イエスは彼らに言われました「『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。」(5:23)。「罪が赦された」と宣言されても、誰もその結果を検証できません。しかし「起きて歩け」と言うのは難しい。「歩け」といって歩けなければ、言った人はうそをついたことになります。イエスは言われます「『人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう』。そして中風の人に、『私はあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい』と言われた」(5:24)。すると「その人はすぐさま皆の前で立ち上がり、寝ていた台を取り上げ、神を賛美しながら家に帰って行った。人々は皆大変驚き、神を賛美し始めた。そして、恐れに打たれて、『今日、驚くべきことを見た』と言った」(5:25-26)。

 

3.癒しの意味

 

・イエスは病の癒しに先立って、罪の赦しを宣言されました。何故でしょうか。私たちが人生において求めるものは、自分の力ではどうしようもない病気や苦難が取り除かれることです。生きることは苦難の連続であり、その中で、私たちは現実を打ち破る力、病を癒し、困難を取り除く力を求めています。ですから、イエスの前には癒しを求める人々があふれ、教会にも癒しを求めて人が訪ねて来ます。私たちが求めるのは、「目に見えない罪の赦し」ではなく、「目に見える病や苦難の解決」です。しかし、イエスは中風の人に、まず罪の赦しを語られました。当時のユダヤ社会では、病気は「罪を犯した人間に対する神の罰だ」と考えられていました。イエスはこれをきっぱりと否定されます「あなたの罪は赦された」。「あなたは神の怒りにより病になったのではない」と言われたのです。イエスは神の愛を示すために、「起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と言われます。家に帰る、社会生活に復帰しなさいとの意味です。

・今日の招詞にマタイ8:17を選びました。「それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。『彼は私たちの患いを負い、私たちの病を担った』」。ルカ5章にある記事がマタイでは8章にあります。ほぼ同じような記述ですが、マタイは重い皮膚病人や悪霊につかれた人の癒しをイエスがなされた事を伝えた後で、イザヤ53章の言葉を引用しています「彼は私たちの患いを負い、私たちの病を担った」。イエスは重い皮膚病者に手を伸ばして、その病を癒されました。それは伝染病に感染する危険を犯す行為です。律法を規定するレビ記は述べます「人の汚れに触れる場合、触れた人は汚れる。・・・彼がそれを知った時には、罪に定められる」(レビ記5:3)。イエスは重い皮膚病者に触れられる事を通して、その人の病、その人の苦しみを自分のものとされて、病を癒されたのです。

・イエスは重い皮膚病者を癒された後、言われました「行って祭司に体を見せ、モーセが定めたとおりに清めの献げ物をし、人々に証明しなさい」(5:11)。レビ記14章には、重い皮膚病が治癒したら、祭司に身体を見せ、治癒を確認して、清めの儀式を受ければ、その人は再び社会に戻れると規定されています。イエスは「あなたは清められたのだから、もう一度社会の中で暮らしなさい」と言われました。日本ではハンセン病にかかった人は施設に強制収容され、病気が治っても施設を出ることは許されませんでした。それを考えると、2000年前に、重い皮膚病者の社会復帰を促す方がおられたことは素晴らしい福音でした。

・二つの病の癒しに共通するものは必死の願いです。重い皮膚病者は殺されるかもしれない危険を冒して町に入り、イエスの前にひれ伏しました。中風の人を運んできた男たちは、人の家の屋根をはぐと言う非常識なことまでしてイエスを追い求めました。両者とも、この時を逃したらもうイエスに会えないかも知れないという切迫感の中でイエスを求めています。そして、イエスは求める者には応えて下さった。私たちがイエスに出会うのは、苦しみを通してです。苦しいから必死に求め、必死に求めるから応えて下さる。

・イエスの癒しの力は、病む人を共感する力から生まれます。イエスが癒された人々は、当時の社会において罪人、穢れた者とされていた人々でした。触れてはいけないと禁止されていた重い皮膚病者に、「手を差し伸べてその人に触れ」、癒されます。一人息子の死を悲しむ母親を「憐れに思い」、死体に触れるなという当時のタブーを冒してまで「棺に手を触れ」、彼を生き返らせます(ルカ7:11-17)。「癒し」の行為は、禁止されていた安息日にも行われました(マルコ3:1-6)。そのことにより、イエスは祭司や律法学者から異端とされ、捕らえられ、十字架で殺されていきます。

・イエスは自らが痛むことにより、病む者たちの痛みを共有されていきました。「あなたの罪は赦された」という宣言は、「その罪は私が代わりに引き受ける」という決意のもとで為されているのです。ルカ5章の物語は「癒しの物語ではなく、救いの物語」なのです。癒しの背後にはイエスの十字架があります。イエスは重い皮膚病者の罪も私たちの罪も、背負って十字架につかれたのです。その十字架によって、私たちは解放されたのです。私たちが伝えるべきは「救いは十字架からくる」という真理です。その真理を伝えるために、私たちはここに集められています。

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