江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2023年1月22日説教(ルカ6:1-11,人の子は安息日の主である)

投稿日:2023年1月21日 更新日:

 

1.安息日論争

 

・ルカ福音書を読んでいます。今日読みますルカ6章前半では、イエスの弟子たちが安息日に麦の穂を摘んだためにファリサイ人たち咎められ、論争が起きたことを記しています。次にイエスが安息日に障害のある人を癒したことが再び論争になります。中心主題はいずれも「安息日」です。当時のユダヤ人にとって「安息日を守る」ことは大事な戒めとなっていました。しかし、イエスはあえてその安息日の戒めを破られた。それは何故か、そのことは現代の私たちに何を教えるのか、学んでいきたいと思います。

・物語は、イエスと弟子たちが安息日に麦畑を通って行かれた時、弟子たちが麦の穂を摘み、もんで食べ始めたことを、ファリサイ派の人々が咎めたことから始まります(6:1-2)。当時の律法では他人の畑の麦の穂を摘んで食べることは許されていました(申命記23: 26)。「しかし、安息日には許されない」とファリサイ人は主張します。何故ならば麦の穂を摘むことは刈入れ、仕事をする事であり、「安息日には仕事をしてはいけない」という律法の規定に反するからです。
・安息日の本来の意味は、農耕生活における休息日です。農耕は過酷な労働であり、休まないと体力を回復できない。だから「6日間働いて7日目には休みなさい」という、祝福としての安息日が与えられていました。「あなたは六日の間、あなたの仕事を行い、七日目には、仕事をやめねばならない。それは、あなたの牛や驢馬が休み、女奴隷の子や寄留者が元気を回復するためである」(出エジプト記23:12)。本来の安息日は「休んで元気を回復する」ための規定でした。

・その規定がバビロン捕囚後には、「安息日は聖なる日であるからこれを守れ」と意味が変わっていきます。「七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである」(出エジプト20:10-11)。安息日は「主が聖別された日」であることを強調すれば、安息日は「守らなければいけない」日になります。バビロン捕囚以降は民族の規律を維持するために安息日が重視され、やがては「安息日を犯す者は殺されなければならない」(出エジプト記31:15)という厳格規定に変わっていきます。「休むことができる」という規定が、「休まなければいけない日」へと意味を変え始めたのです。イエス時代の律法学者たちはこれを受けて、「安息日には仕事を一切してはいけない、麦の穂を摘むことも刈入れに当たるから禁止されている」と考えました。
・それに対してイエスは言われました「人の子は安息日の主である」(6:5)。人々は安息日の戒めを厳格に守るために細かい規則を作りました。例えば、火をおこすこと、薪を集めること、食事を用意することさえも禁じられるようになります。ここに至って、安息日が安息ではなく、人を束縛するものになっていきました。イエスは「恵みとして与えられた安息日を、束縛と苦痛の日にしてしまった」ファリサイ人や律法学者の偽善を追求されています。「人の子は安息日の主である」、これは当時の人々がびっくりする教えでした。「必要があれば安息日を破っても良い」とイエスは言われたのです。

 

2.イエスはあえて安息日に癒しをされる

 

・安息日破りはファリサイ派の人々にとっては許しがたい冒涜であり、彼等はイエスを背教者、異端の教師と見始めています。彼等はイエスが異端者である証拠をつかむために、安息日に片手の萎えた人を会堂に連れてきて、イエスがどうされるか見ようとします。ルカは記します「律法学者たちやファリサイ派の人々は、訴える口実を見つけようとして、イエスが安息日に病気をいやされるかどうか、注目していた」(6:7)。イエスはそれが罠であることを承知の上で、片手の萎えた人に言われます「立って、真ん中に出なさい」(6:8)。そしてファリサイ人たちに言われました「あなたたちに尋ねたい。安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、滅ぼすことか」(6:9)。

・ファリサイ人たちも緊急の場合は安息日規定を破っても良いと認めていました。当時のラビは語りました「人間の命を救うことは安息日を押しやる」。「あなたたちのうち、だれか羊を一匹持っていて、それが安息日に穴に落ちた場合、手で引き上げてやらない者がいるだろうか。人間は羊よりもはるかに大切なものだ。だから、安息日に善いことをするのは許されている」(マタイ12:11-12)。ファリサイ人は反論します「この場合は緊急事態にはあたらない、手の萎えた人を今日治す必要はないではないか。明日でもよいのに、なぜ安息日の今日、行うのか」ということです。しかしイエスは更に一歩を踏み込まれます「安息日に行うべきは善か悪か」、「安息日に病人を癒して何が悪いのか。安息日は人のためにあるのではないか」と。隣人愛の要求が律法に新しい命を吹き込みました。しかし、「規則は規則だ」とするファリサイ人や律法学者にはそれは受け入れがたい要求でした。だから彼らはイエスを殺す相談を始めるのです(6:11)。

・ファリサイ人にとって、片手の萎えた人の障害が癒されるかどうかはどうでも良いことでした。彼等はイエスがここで安息日破りをされるかどうかに注目していました。人々の頑なな気持ちにイエスは怒り、また悲しみながら、手の萎えた人に言われます「手を伸ばしなさい」(6:10)。彼は手を伸ばし、癒されました。会堂に感動と讃美の声が流れました。しかしファリサイ人は感動することなく、その場を去ります。ルカは記します「彼らは怒り狂って、イエスを何とかしようと話し合った」(6:11)。イエスは癒しが行われてざわめく会堂の中で、ファリサイ派の人々の頑なさにため息をつかれたかもしれません。

 

3.私たちと安息日

 

・現代の私たちは、安息日をどのように考えるべきなのでしょうか。ユダヤ教の安息日は土曜日でしたが、初代教会はイエスの復活を覚えて、安息日を土曜日から日曜日に変えました。安息日を土曜から日曜に動かすことのできるキリスト教会は、もはや律法の戒めからは自由です。ですから私たちも杓子定規ではなく、イエスならどうされるだろうかという視点から安息日を考え直すことが求められます。

・私たちは日曜日に礼拝に参加し、神の前に静まります。それが私たちの安息です。しかし、教会に来ることの出来ない時もあります。子供の運動会がある時は礼拝を休んでいいのか、夫が病気で寝込んでいる時はどうするのか、会社に日曜出勤しなければいけない時はどうするのか、多くの信仰者が悩まされています。基本的には、イエスの言葉「人の子は安息日の主である」に従って判断すればよいと思えます。私たちは神の前に安息するために教会に集まるのですから、仮に他の用事を神様からいただいたのであれば、それに従って安息日を過ごせば良いのです。

・「子どもの運動会が日曜日にある」、子どもと共に過ごすことが神から与えられた安息だと思えば礼拝を休んで運動会に行くことも信仰の決断です。しかし運動会が午後も続くのであれば、礼拝を終えてから運動会に駆け付ける方がもっと良い。「日曜日に出勤しなければいけない」、多くの場合日曜出勤をしなくとも業務に影響はありません。労働の束縛から解放されるために日曜日の出勤は断る、それもまた信仰の決断です。「夫が病気で寝込んでいる」、夫の看護のために自分が必要だと思えば、礼拝を休むこともまた信仰の行為です。礼拝を休んでも良い、しかし夫の枕元で聖書を共に読み、共に祈るならば、もっと良い。

・今日、礼拝を休むことが、ある場合には赦されるかもしれません。しかし、同時に、礼拝には今日でなければいけないという面もあります。礼拝は一期一会、今週の礼拝と来週の礼拝とは異なる。イエスが「明日ではなく、今日癒された」ことの意味を考える必要があります。明日ではいけない、まさにこの時、時間がクロノス(流れる時)からカイロス(この時)に変わりうることを覚えることもまた大事なことです。

 

4.安息日の神学的意味を考える

 

・今日の招詞にマルコ12:29-31を選びました。次のような言葉です「イエスはお答えになった『第一の掟は、これである。イスラエルよ、聞け、私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。第二の掟は、これである。隣人を自分のように愛しなさい。この二つにまさる掟はほかにない』」。律法学者の「あらゆる掟のうちでどれが第一でしょうか」との問いに対して、イエスが答えられた言葉です。「神を愛することと隣人を愛すること」こそが、法の核心であるとイエスは答えられたのです。安息日を守ることは大事ですが、あくまでも二次的な戒めなのです。「人の子は安息日の主」なのですから。

・当時のユダヤ人にとっては、安息日を守ることは戒めの根幹をなすものでした。バビロン捕囚時代、国を失ったユダヤ人は民族のアイデンティティーを「割礼と安息日」に求め、「割礼を受けることがユダヤ民族の証し」であり、「安息日に礼拝を守る」ことで、民族の同一性を保とうとしました。捕囚帰還後もユダヤ教指導者たちは安息日を最重要の戒めとし、細かい規則を作って、安息日厳守を人々に要求しました。安息日には一切の仕事をすることが禁じられ、火をおこすこと、薪を集めること、食事を用意することさえも禁じられ、守らない者は「主との契約を破る者」として批判されるようになります。

・イエスは安息日に多くの癒しを行われました。ある意味、「あえて安息日に癒しを行われた」と思えるほどです。イエスはその行為を通して、「安息日を再び祝福の日に戻せ」と言われているのです。ルカ6章ではイエスが安息日に会堂で片手のなえた人を癒された時に、それを安息日故に批判する人々に対してイエスは言われました「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、滅ぼすことか」(6:9)。「この人が神により障害が癒されたことをなぜ喜べないのか、安息日以上に大事な戒めがあるのではないか」とイエスは言われています。

・イエスの後に続く教会が「安息日は礼拝を守らなければいけない。礼拝を守らない者には厳罰を課す」と言い始めたら、それは人間を再び律法の奴隷にする行為です。西暦321年、キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝は「日曜休業令」を出し、日曜日に仕事をすることを法律で禁止しました。中世のカトリック教会は「日曜日の商店の開業や娯楽を禁止」しました。その流れを受けて、アメリカやイギリス、フランス、ドイツなどでは、ごく最近まで、日曜日の商店営業は禁止されていました(閉店法等)。日本で日曜日が休日になったのは明治9年(1876年)からで、在留の外国人の要請を受けて制定されたと言われています。それ以前の休みは、「盆と正月」くらいでした。日本は、休むことを知らない社会、あるいは、休むことが許されない社会だったのです。この日曜日休日がやがて、「日曜日の休息は国家が保障しなければならない労働者の権利である」ことが認められて、日本でも一般化していきます。イエスの「人の子は安息日の主である」という言葉は、日本社会をも変えたのです。

・カール・バルトは教会教義学の中で、キリスト者の倫理を「神の御前での自由」という表題で記し、さらに安息日を巡る問題を「祝いと自由と喜びの日」として書きます。このことは安息日の戒めが私たちにとって自由を与える特別な日としての性格を持つことを示しています。日曜日を「礼拝を守らなければいけない日」と考えた時、それは私たちを縛る日になります。そうではなく、日曜日を「礼拝に参加することが出来る日」に変えることが出来れば、私たちの人生はどんなにか豊かになるでしょう。

・新約学者の荒井献氏は聖書注解の中で述べます「安息日は人のためにある。この安息日を法一般に置き換えたならば、現代にも通用する普遍的原理になるであろう。つまり『法は人間のために定められたものであって、人間が法のためにあるのではない』」(荒井献「問いかけるイエス」)。筑豊じん肺訴訟では一審敗訴の国が控訴・上告を行い、判決確定までに19年を要しました。この結果、原告170人のうち144人は最終判決前に亡くなります。同じ問題が水俣病訴訟、原爆症訴訟、B型・C型肝炎訴訟でも生じています。規則と公平を建前とする官僚の態度はファリサイ人と同じです。「法は人のためにある」という考えはそこにはありません。「安息日は人のためにある」を、「法は人のためにある」と読み替えるならば、安息日規定は優れて現代的な意味を持ちます。「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」。この言葉はイエスが命をかけて戦い取られた福音であることを覚えたいと思います。

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