1.割礼をめぐる教会内の対立と使徒会議
・使徒言行録を読み続けています。エルサレムに始まった教会は新しく加入したギリシア語系ユダヤ人たちがエルサレムから追放されて、その一部がアンティオキアに逃れ、異邦人を含めたキリスト教会がそこに生まれます。アンティオキアは様々な人種が住む国際都市であり、教会も様々な人種が集う国際教会でした。そこではユダヤ人と異邦人の区別もなく、異邦人の入会に際し、「割礼を受けてユダヤ人になりなさい」との要求も生まれませんでした。ところが母教会のエルサレムはユダヤ人だけの教会であり、全員が割礼を受けたユダヤ人で構成されていました。彼らはアンティオキア教会の「無割礼の福音」を認めず、異邦人は洗礼だけでなく割礼をも受けるべきだと「割礼の福音」を主張し、教会間に対立が生じ、それを解決するためにパウロとバルナバがエルサレムに行き、会議が行われました。「エルサレム使徒会議」、紀元48年に開かれた最初の教会会議です。
・ルカは記します「ある人々がユダヤから下って来て、『モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない』と兄弟たちに教えていた。それで、パウロやバルナバとその人たちとの間に、激しい意見の対立と論争が生じた。この件について使徒や長老たちと協議するために、パウロとバルナバ、そのほか数名の者がエルサレムへ上ることに決まった」(15:1-2)。エルサレム教会は異邦人伝道には賛成していましたが、異邦人も割礼を受けないと救われないという立場でした。割礼とは「男性の性器の亀頭を覆っている包皮を切開し、切り捨てる」というユダヤ教の宗教的儀式です。元来は衛生的な視点からの処置でしたが、創世記では「選びのしるし」として、イスラエルの民は割礼を受けるように神が命じ、割礼を受けていない男子は民から断ち切られると記しています(創世記17:23‐27)。 割礼はユダヤ人にとっては「救いのしるし」であり、当然受けるべきもので、「イエスを信じてもそれは変わらない」とエルサレム教会は信じていました。
・異邦人への割礼に反対するパウロは、これまでの異邦人伝道の成果について報告し、「神が自分たちと共にいて異邦人の改宗が為された」と主張しますが(15:4)、保守派の人々はあくまでも割礼にこだわります。使徒言行録は記します「ファリサイ派から信者になった人が数名立って、『異邦人にも割礼を受けさせて、モーセの律法を守るように命じるべきだ』と言った」(15: 5)。そして両者の間に激しい議論の応酬が行われ、会議は紛糾します(15:6)。このままでは教会が分裂しかねないと危惧したペテロが立ち上がり、仲裁します。「人の心をお見通しになる神は、私たちに与えてくださったように異邦人にも聖霊を与えて、彼らをも受け入れられたことを証明なさったのです。また、彼らの心を信仰によって清め、私たちと彼らとの間に何の差別をもなさいませんでした」(15:8-9)。
・ペテロは前にローマの百人隊長コルネリウスに無割礼のままに洗礼を授けています(10:44-48)。それはコルネリウスの上にも聖霊が下り、神は異邦人もそのままで受け入れてくださることを知らされたからです。だから彼は語ります「それなのに、なぜ今あなたがたは、先祖も私たちも負いきれなかった軛を、あの弟子たちの首に懸けて、神を試みようとするのですか。私たちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです」(15:10-11)。当時、エルサレム教会を指導していた主の兄弟ヤコブもペテロに同調して語ります「私はこう判断します。神に立ち帰る異邦人を悩ませてはなりません。ただ、偶像に供えて汚れた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と、血とを避けるようにと、手紙を書くべきです」(15:19-20)。こうして異邦人に割礼を強制しない方向で会議の結論が出たとルカは報告しています。
2.問題の解決と教会の一致
・アメリカの神学者W.H.ウィリモンは、この使徒15章に「教会はその議論をどのようになすべきかのモデルがある」と語ります。「教会は指導者の言葉を傾聴する。パウロはガラテヤ書で異邦人の割礼の問題についてペテロと衝突したことを述べており、使徒15章に描かれているほど、ペテロが快くパウロに賛成したわけではない。それにもかかわらず、教会は指導者を信頼する」。彼は続けます「教会は勇気ある明晰な議論が出来る、大胆な幻を持ったパウロのような人々を必要としている。しかし教会が正しい活動方針を決定する時、必要なものは、『経験による確証』、『聖書による検証』、それに『新しい啓示』である。この三つを共通の権威とする時、教会は正しい決定が出来る」。教会内で意見の相違があるのは当然ですが、その相違を教会は御言葉と祈りで解決して行きます。多数決は教会においては必ずしも望ましい解決法ではありません。多数決は少数者を分派に追い込み、やがて教会を分裂させるからです。
・ペテロは会衆に語りました「先祖も私たちも負いきれなかった軛を、あの弟子たちの首に懸けて、神を試みようとするのですか」。またヤコブは語りました「神に立ち帰る異邦人を悩ませてはなりません」。問題解決を行う時に、両者がお互いに主張を譲らない時、つまり「自分たちが正しい」と固執する時、そこには合意は生まれません。保守派と改革派は互いに譲らず、「激しい争論」を続けました(15:7)。しかし、ペテロやヤコブのように視点が相手方に向かう時、異邦人の立場に立って物事を見た時、争論は止み、御旨にかなった決定を為すことが出来ました。
3.教会とは何か
・今日の招詞にガラテヤ2:11-12を選びました。次のような言葉です「さて、ケファがアンティオキアに来たとき、非難すべきところがあったので、私は面と向かって反対しました。なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです」。使徒15章では、ペテロとヤコブの仲裁によって保守派のエルサレム教会と改革派のアンティオキア教会との間に合意が成立し、教会の分裂が防がれたとルカは記します。しかしその解決策は、「偶像に供えて汚れた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と、血とを避けるように」というものでした(使徒教令)。いずれもユダヤ教の食物規定に関する戒律であり、割礼は免除されても、「ユダヤ教の戒律は守りなさい」という中途半端な決定になっています。
・人間は災禍をもたらす自然現象を神の怒りと受け止め、それを宥めるための供犠、供物等を捧げる宗教儀礼を生みだしてきました。イスラエルでもそうであり、焼きつくす捧げ物は「神への宥めの香り」と呼ばれてきました(レビ1:9)。しかし預言者たちは、「それは人間中心の宗教であり、神はそのようなものは喜ばれない」と激しく批判しています。「犠牲を捧げれば救われる」という考え方は、「捧げる」という人間の行為を中心にする行為であり、そこには神はなく、あるのは自己の救いを求める自我だけであると預言者は批判します(エレミヤ7:9-11)。しかし、人々は割礼や犠牲の捧げもの、食物祭儀という伝統を捨てることができなかった。使徒会議で決まったにもかかわらず、エルサレム教会側の律法強制の姿勢は消えなかったのです。
・その時に、これまでパウロの理解者であったペテロやバルナバでさえも、その態度を後退させたとパウロはガラテヤ書で語ります。「ヤコブのもとからある人々が来るまでは、ケファ(ペテロは)異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだした。そして、ほかのユダヤ人も、ケファと一緒にこのような心にもないことを行い、バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしまいました」(2:12-13)。今日でいう「忖度(そんたく)」、指導者の顔色をうかがう行為です。パウロはペテロやバルナバさえ、そうしたと批判しています。当時、主の晩餐式は共同の食事の中で営まれていました。異邦人と共に食卓につかないことは、共に礼拝をしないことを意味し、見過ごしに出来ない問題でした。だからパウロは激しく怒ります。やがてパウロは第二回目の伝道旅行に出かけますが、この時にはバルナバは同行しません(15:39)。結果的にアンティオキア教会もまた、ユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者に分裂してしまったのです。
・「割礼の強要」の問題は、今日のバプテスト教会においては「浸礼の強要」の問題となります。一部のバプテスト教会は他教派の「滴礼のバブテスマ」を認めず、入会時に再度「浸礼のバプテスマ」を受けるように求めます。あるいは無教会派は「洗礼によって人は救われるのではない」として、洗礼を施さないで会員を迎えますが、一部の教会は無教会派の人びとを否定します。私たちはどうするのでしょうか。聖書は洗礼は救いの条件ではないと述べます。パウロが語るように「実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われる」のです(ローマ10:10)。洗礼によって救われるのではなく、救われたから洗礼を受けます。それは、結婚は両性の合意によって有効になりますが、結婚式を行ってそれを公にすることによって祝福されることと同じです。洗礼は祝福の出来事なのです。
・無割礼者と食卓を共にしないという問題は、今日の問題でもあります。バプテストを含めた一部の教会では、「主の晩餐式は信徒(洗礼を受けた会員)に限る」と限定します。日本基督教団では、「未受洗者に聖餐に預からせた」として、紅葉坂教会の北村慈郎牧師を教団会規違反として免職処分としました。私は教会の伝統よりも、新しい人を教会に受け入れるためには、不要な伝統は捨てても良いと思っています。初代教会が割礼を捨てたように、です。エルサレム教会は紀元70年のエルサレム陥落後は姿を消します。ユダヤ教と妥協を重ねることを通して、やがてユダヤ教の中に埋没していったと考えられています。
・私たちはこれからどのようにして教会を形成していくのでしょうか。先に紹介したウィリモンは語ります「成長する教会とは、大胆に御言葉を宣教し、文化的現状にあえて挑戦し、現実の政治制度を永久に所与のものとして受け入れることを拒否し、その宣教の真理を確信し、真理のために喜んで苦しむ教会である。神はこのような教会を成長させるのである」(現代聖書注解「使徒言行録」p199)。エルサレム教会は割礼と食物戒律を捨てることが出来ないばかりに滅んでいきました。「洗礼なしには救いはない」、「洗礼を受けない人は主の晩餐に預かることが出来ない」とする態度は、「割礼なしに救いはない」、「食物戒律を守らない異邦人は汚れている」として滅んでいったエルサレム教会と同じではないでしょうか。「新しい人々を福音に招く」ために、不要な伝統は捨てる勇気を持つ教会を形成したいと願います。