江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2020年12月27日説教(マタイ2:13-23、闇の中に光が)

投稿日:2020年12月26日 更新日:

 

1.クリスマスの後で

 

・クリスマスが終わり、本年最後の礼拝の時を迎えました。マタイは、イエスがお生まれになった時、東方から三人の占星術の学者たちが星に導かれて幼子イエスを礼拝したと記します(2:1)。占星術の学者たちはエルサレムの王宮を訪ねて聞きます「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」(2:2)。「ユダヤ人の王」という占星術師たちの言葉は、ユダヤ王ヘロデを不安にします(2:3)。ヘロデはイドマヤ出身の異邦人で、ローマ軍の後押しを受けて王になりましたが、民衆の支持はありませんでした。ヘロデは、占星術師たちの言葉(新しいユダヤ人の王)に王位を脅かす者の出現を予感し、不安になったのです。

・ヘロデは「メシアは何処に生まれるのか」と祭司長たちに問い質しました。祭司長たちはミカ書の預言から、ベツレヘムであると答え(2:6)、占星術師たちはベツレヘムを目指してエルサレムを出発します。東方でみた星が先立って進み、彼等はイエスとその両親が住む家に導かれ、幼な子を拝したとマタイは記します(2:11-12)。その後、「ヘロデのもとに帰るな」という啓示を受け、別な道を通って故国に帰って行きました。他方、御使いはイエスの父ヨセフに現れ、「ヘロデが命を狙っているのでエジプトに逃げよ」と指示し、ヨセフはマリアと幼子イエスを連れてエジプトに逃れたとマタイは記します(2:13)。

・マタイは、ユダヤ王ヘロデが自分の地位を脅かす新しい王の出現を怖れ、兵士たちにベツレヘムの2歳以下の男の子たちをすべて殺させたと記します「ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた」(2:16)。マタイは、子たちを殺された母親の嘆きの声がベツレヘムにとどろいたと記します「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから」(2:18)。ベツレヘムでの虐殺が実際にあったのか、マタイ以外の記述はなく、歴史上は真偽を確認できません。しかし王座を守るために妻や子を殺したヘロデであれば、機会があればそうしたであろうことは推測できます。

 

2.難民となられたイエス

 

・クリスマスは、救い主が誕生されたという喜びの日ですが、同時に「罪のない子供たちが巻き添えで殺され、イエスも国を追われて難民となられた」という悲しい時でもあったとマタイは語ります。イエスが難民としてエジプトに逃れられたことが歴史的事実かどうかは確認できません。しかしそのような伝承があったことは事実でしょう。西南学院神学部の須藤伊知郎先生はマタイ教会の成立を次のように分析します「マタイの共同体はおそらくユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者からなる混成の教会であり、ユダヤ人キリスト者の中核はおそらくイエスの語録資料を携えて紀元後30-70年ごろにイスラエル本国でユダヤ人伝道を行っていた。この人々は66-70年に起こった第一次ユダヤ戦争の際、非戦の立場を貫いたために、同胞のユダヤ人たちから敵国ローマの協力者とみなされて迫害され、ユダヤでの宣教活動に挫折し、失意のうちに戦争難民となり、北方のシリアに逃れていったものと思われる。この人々がシリアに入ってマルコ福音書を所有していたグループと出会い、新しい共同体を創った。それがマタイの教会であろう」(「新約聖書解釈の手引き」、268-271)。マタイ自身も難民として故国を追われた、ですからイエスが故国を追われてエジプトへ逃れられたという伝承を、わがことのように受け取ったのでしょう。

・ノーベル文学賞を受賞したパール・バックは、「わが心のクリスマス」という本の中で、少女時代に経験した中国でのクリスマスの出来事を記しています。彼女の両親は宣教師で、彼女は少女時代を中国の鎮江で過ごしています。彼女が12歳の時、中国北部で大飢饉があり、飢餓に追われた何十万人もの難民が彼女の住む町に流れ込んできました。彼女は記します「朝になると、表門と裏門の前から、毎日のように死体が運び去られた。物乞いに来た人々は、施錠された門に隔てられ、力つきてその場で死んだ。私たちだれもが門を開けなかった。それは飢えた人々が畑の大麦を襲うイナゴの群のように、飛び込んでくるに違いないからだ・・・その12才の時のクリスマス、キリスト降誕祭の当日、門前に飢えて横たわっている人々の一人に赤ん坊が生まれた。あのベツレヘムの子のように、『宿には彼らのいる場所がなかった』ので、私の母は若い女を門の中に入れた。赤ん坊はわが家で生まれた。その子はしかし、すぐに死んだ。若い母親も生きられなかった・・・赤ん坊は一握りの骨になり、生命の始まりにはならなかった」。

・パール・バックは回想します「今、自分の国に住み、クリスマスの喜びの中で、私は彼らを想い出す。あの母と子は物乞いではなかった。泥棒でもなく、浮浪者でもなかった。ただ、『身を横たえる場所がなかった』のである・・・クリスマスが来るたびに私はあの母と子を思い出し、改めて誓いを新たにする。彼らは今も生きている。飢えに悩まされ、戸口で倒れて死んでいくこの地上の多くの人々の中に、今も生きている」。この悲しいクリスマスを体験したパール・バックは、戦後アメリカ人将兵と東洋女性の間に生まれ、棄てられた混血児たちを養うための「ウェルカム・ハウス」を造り、作品の印税のほとんどを捧げて、孤児たちの養母になっていきます。日本でも戦後、占領米軍兵士と日本人女性の間に多くの混血児が生まれ、社会問題になりました。そのような出来事がアジア各地で起こり、子どもたちは混血故に棄てられていきました。クリスマスは平和の祭典ではなく、人間の罪による悲しみの時です。

 

3.闇の中に光が

 

・イエス誕生の出来事の中に闇があったとマタイは証言します。メシアの誕生に不安を抱いたヘロデにより、幼児虐殺が起こされました。マタイはエレミヤ31:15を引用して、幼児虐殺の悲惨さを描きます「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから」(マタイ2:18)。今日の招詞にエレミヤ31:15-17を選びました。マタイの引用したエレミヤ書31章15節とそれに続く言葉です。

・「主はこう言われる。ラマで声が聞こえる。苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。ラケルが息子たちのゆえに泣いている。彼女は慰めを拒む、息子たちはもういないのだから。主はこう言われる。泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる。息子たちは敵の国から帰って来る。あなたの未来には希望がある、と主は言われる。息子たちは自分の国に帰って来る」。エレミヤの預言の前半(31:15)をマタイは引用してベツレヘムの悲しみを述べましたが、同時に彼は後半の言葉(31:16-17)を思い起こせと告げます。エレミヤは語ります「主はこう言われる。泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる」。ラマはイスラエルの民がバビロンに連行された時に、捕囚民が集合を命じられた場所です。子供たちが捕虜として敵地に連れて行かれる光景を見て、イスラエルの母たちは泣きました。その時、主は言われました「あなたが流したその涙は報われる。あなたの息子たちは帰って来る」。イエスはヘロデの陰謀から逃れられましたが、残されたベツレヘムの息子たちは殺され、母親たちは涙を流しました。しかし、「その母親たちの涙は報われる」とマタイは主張します。

・エレミヤは主の言葉を続けます「見よ、私がイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る・・・私の律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。私は彼らの神となり、彼らは私の民となる」(31:33)。イエスは十字架の前日に弟子たちと最後の食事をとられ、言われました「この杯は、あなたがたのために流される、私の血による新しい契約である」(ルカ22:20)。キリストの苦難はその出生と共に始まりましたが、その苦難は十字架で完成されます。神はイエスを十字架につけるために、生まれたばかりのイエスの命をヘロデから助けられたとマタイは語るのです。

・幼子を殺したのはヘロデです。ヘロデの心の闇、罪が多くの子供たちを殺しました。パール・バックの経験した難民の赤ん坊も「身を横たえる場所がなく」、生まれてすぐに死んで行きました。イエスもまた「泊まる場所がなかった」ゆえに、宿の外で生まれられました(ルカ2:7)。人の罪がこの世に闇をもたらします。この闇をなくすためにイエスは馬小屋で生まれられ、十字架に死なれました。少数の人はその十字架に出会って、変えられ、闇の中に光をもたらします。マタイは福音書の最後に、イエスの十字架刑を見て悔い改めたローマの百人隊長の言葉を記します「本当にこの人は神の子だった」(27:54)。十字架を見て、人は自分の罪を知り、悔い改め、心の中の闇が解け始めます。

・ヘロデは特別の悪人ではありません。歴史が私たちに教えるのは、自分の生活のために子供たちを殺したのは、ヘロデが初めてではないし、ヘロデの後も繰り返し行われたという事実です。日常に目を向ければ、私たちはこの日本で毎年20万人の子供たちを人工妊娠中絶という形で殺しています。望まない妊娠をした時、私たちの大半は、胎内の子を中絶して問題を解決しようとします。自分の地位が奪われるかも知れないとの不安から子供たちを殺したヘロデと、安定した生活を守るために胎内の子を殺している私たちとどこが違うのでしょうか。ヘロデが闇の中にいたように、私たちも闇の中にいます。

・私たちの心の中にも、ヘロデがいます。そのヘロデ的存在が、他者のために命を捨てる存在に変えられる出来事が起きます。それが十字架の出来事であり、クリスマスはその十字架に死ぬために世に来られたイエスを想起する時です。先に紹介したパール・バックは最後に次のように語ります「クリスマスに呼び起こされた愛は生き続けて生活の一部になる。それがクリスマスの目的と意味であり、世界の人々の愛が、良き愛が、人生の中に生きてこそ、クリスマスは全うされるのである」。「目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる」と言われた神の言葉は、心を変えられた信仰者の働きにより、成就します。今日が2020年度の最後の礼拝です。世の人々は年の初めに、今年1年が無事でありますように、災いが来ませんようにと祈ります。しかし、キリストに出会った者は別の祈りをします「来年もまた、苦しみや悲しみがあるでしょう。それは人の罪が造るものです。その闇を取り除くために、私たちに何が出来るか、教えて下さい」。

-

Copyright© 日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会 , 2024 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.