2019年9月29日説教(マタイ25:14-30,与えられた賜物をどう生かすか)

投稿日:2019年9月28日 更新日:

1.タラントンの譬え

 

・マタイ福音書の喩えを読んでいます。今日与えられた箇所はマタイ25章、「タラントンの譬え」です。マタイは記します「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かける時、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた」(25:14-15)。タラントンはお金の単位です。1タラントンは6000デナリオン、1デナリオンは当時の日給ですから、1タラントンは日給の6000日分、20年分の年収です。日給1万円とすれば、1タラントンは6千万円になります。非常に大きな金額です。「人は皆、神から多くの賜物を受け、期待されてこの世に遣わされている」とイエスは語られます。

・喩えを読み進めて行きましょう「五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた」(25:16-17)。最初の二人は預けられたお金を積極的に運用して殖やしました。しかし、最後の僕は「出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた」(25:18)。主人が帰ってきて、清算が始まりました。「かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました』。主人は言った『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』」(25:20-21)。五タラントンを元手に積極的に商売を行った僕は称賛されました。二タラントンを預かって殖やした僕も同じように称賛されます。

・最後に一タラントンを預かった僕が出てきて報告します「御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です」(25:24-25)。最後の僕も主人からの称賛を期待しています「慎重な僕よ、よく管理した」と。ところが主人が与えたのは称賛ではなく、叱責でした。「怠け者の悪い僕だ。私が蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。それなら、私の金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに」(25:26-27)。主人は最後に言います「さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ」(25:27)。僕は叱責され、預けられたお金も取り上げられます。

 

2.三人の僕たちのあり方

 

・この喩えで、イエスは、当時の宗教的リーダーたちを「一タラントンを託された僕 」になぞらえたのだといわれています。神から託されているものを人と社会に喜ばれる形でお返しすることをせず、律法に抵触しない形で(あれはしてはいけない、これはしてはいけない)、戒めを守ることに終始する姿勢を、イエスは痛烈に批判 されたのでしょう。その喩えをマタイの教会は、自分たちの教会の現実の中で聞きました。「主人が旅行に出かける時に、その財産を僕たちに預けた」、つまり「主人であるキリストが天に上げられ(旅行に出て)、後の事を弟子たちに委ねられ(タラントンを預け)、やがて帰って来られる(再臨される)、その時に、教会の群れを委ねられた自分たちはどう生きたかが問われる」とマタイは理解したのです。

・マタイの教会にも、「規則を守るだけで何も良いことをしようとしない」人々がいたのでしょう。喩えでは、最後の一人はリスクを避けるために何もしませんでした。商売に投資すれば失敗して元金を無くしてしまう可能性もあったからです。彼は言います「主人が恐ろしかった」(25:25)。主人は厳しい人であり、失敗するとどのような罰を受けるかも知れないと彼は恐れたのです。彼にあるのは主人に対する愛や信頼ではなく、恐怖です。バプテスマのヨハネは神を裁き主と見ていました。彼は言います「斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる」(3:10)。ヨハネの弟子たちは罪を犯さないように、汲々と生きました。しかし私たちが信じるのはヨハネではなく、イエス・キリストです。

・イエスは姦淫を犯した女性に言われます「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」(ヨハネ8:11)。仮に第三の僕が積極的に投資し、その結果預けられた一タラントンを失ってしまっても、主人であるキリストは許されると思います。「結果は思わしくなかった。しかしお前は頑張った。もう一度機会を与えよう」と。イエスは失敗を責められない、それを信じきれなかった第三の僕は叱責されたのです。私たちはイエスを通して神を知ります。神は私たちを愛し、私たちの過ちをも赦して下さる、「何を為したか」よりも、「何を為そうとしたか」を見られる方です。だからこそ福音は「良い知らせ」なのです。

 

3.私たちはどう生きるか

 

・今日の招詞として第一ペテロ4:10を選びました。「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい」。マタイの喩えでは、「それぞれの力に応じて」タラントンが配分されています(25:15)。五タラント預かった僕には、五タラントに価する才能があると考えられ、そこから才能や能力を「タラント、タレント」と呼ぶようになりました。私たちが与えられた賜物(タラントン)をどのように生かすのか、私たちにはその管理が委ねられているとペテロは語ります。私たちはこの地上で70年か、80年の時を生きます。人類の歴史が6500万年、神の目から見れば、私たちの人生は大河の一滴のようなものです。その大河の一滴が「私は成功したから勝ち組だ」と誇り、「私は負け組だ」とうなだれることに、「何の意味があるのか」と言われています。

・イエスは言われました「何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、思い悩むな・・・あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである」(6:31-32)。クリスチャンの生活は、家庭生活・職業生活・信仰生活のトライアングルの中で営まれています。通常、私たちは家庭生活、職業生活という個人の生活を基礎に置き、その上に神との交わり、信仰生活を立てます。だから家庭生活ないし職業生活が不安定化すれば、信仰生活も揺らぐ。しかし、聖書が私たちに語るのは、人生の基礎を信仰生活、神との関係に置きなさいということです。神との平和が確立すれば、人との平和も確立する。この世の問題(家庭生活、職業生活)は父なる神に委ね、「まず神の国と神の義を求めなさい、今この時を生かされている意味を考えなさい」と言われています。その時、大河の一滴にすぎない私たちの生涯の意味が価値あるものに変わります。

・ルターは言いました「大胆に罪を犯せ、そして大胆に信ぜよ、そして神の栄光を現せ」。罪を恐れて、タラントンを土の中に埋めてしまう生き方をしていたら、神の恵みは分からない。私たちが人生の基礎を信仰生活に置き、その結果預けられた一タラントンを全部失っても、神は見ていて下さるとルターは言います。だからルターは命をかけて、当時のカトリック教会を批判していきました。ドイツの牧師ボンヘッファーはヒトラー暗殺計画に加わり、失敗して1945年に処刑されますが、彼は語りました「車に轢かれた犠牲者の看護をすることは大事な務めだ。しかし、車が暴走を続け、新しい被害者を生み続けているとすれば、車自体を止める努力をすべきだ」。教会の大勢はナチスが行なっている犯罪を知りながら、見て見ぬ振りをしていました。つまり、「タラントンを土の中に埋めていた」。その中で、彼は牧師でありながらあえて暗殺計画に加わりました。行為の可否について様々な批判はありえましょうが、彼は与えられたタラントンを生かすために行動したのです。

・では社会の腐敗や不正を指摘し、改善していく行為が「タラントンを生かす」ことなのか。戦前のクリスチャンたちはそう考えて、社会改革運動に乗り出して行きました。賀川豊彦は貧しい人々も連帯すれば豊かになれると考え、消費生活運動や共済運動に力を入れました。生活協同組合や農業共同組合は賀川の遺産です。海外の宣教団体は教育や医療を通じて世の光になろうとして、ミッションスクールや病院を建設していきました。それらは、大切な働きではありますが、時代と共に聖書的理想が失われ、世俗化してきました。

・今私たちが目指すべきものはクリスチャンにしかできない業です。9月16日に行われた神学校デーは「障がい者と共に生きる教会」というテーマで開かれ、講師に日本バプテスト連盟・奈良キリスト教会の松原宏樹牧師を招きました。彼は最初に通常の幼稚園から除外される発達障害や自閉症の子供たちを受け入れるための幼稚園を設立しました。たまたま教会員の中に保育士の方がいて、その助言を受けてのことです。また死にゆく人を見守るためのホーム・ホスピスを造りました。彼の母親が末期がんになり、受け入れてくれる施設がなかったからです。現在はNPO法人みぎわを通しての障がいのある子どもたちの特別養子縁組の働きを強めています。教会員の助産師の訴えを具体化したものです。いずれも教会に基礎を置いた活動から生まれた運動です。彼のような社会事業を誰でも、どこの教会でもできるわけでありません。しかし彼は与えられたタラントンを増やすにはどうしたらよいかを真剣に模索しています。

・近隣の市川八幡教会は「ホームレス支援」を教会の業として行っています。茂原バプテスト教会では、礼拝に手話通訳を置き、聾唖の方が集まるようになりました。私たちに求められているのは何かを皆さんと共に模索していきたい。この篠崎の地に文字通りの神の国を建設したい。世の荒波の中で疲れた人が逃げ込む「逃れの町」(民数記35:6他)を造りたい。今は具体化できませんが、幻を持ち続けたい。そのために皆さんのタラントンが、働きが必要です。教会は神によって集められ、使命を与えられた共同体です。その共同体の形成に向けて私たちそれぞれが与えられた「タラントン」を持ち寄り、活動していく場なのです。

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