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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2018年6月3日説教(2コリント2:14-3:6、キリストの香り、キリストの手紙)

投稿日:2018年6月3日 更新日:

2018年6月3日説教(2コリント2:14-3:6、キリストの香り、キリストの手紙)

 

1.キリストの香り

 

・今日から第二コリント書を読んでいきます。コリント教会はパウロが設立し、育ててきた教会でしたが、エルサレム教会の推薦状を携えた伝道者たちが現れ、パウロの説いた福音とは「異なる福音」を説いたため、教会内に動揺と混乱が生じていました。彼らは「キリスト者も割礼を受け、律法を守らなければ救われない」として、パウロの説く「人が救われるのは神の恵みのみであり、割礼を受け、律法を守ることによってではない」という福音を否定しました。その上彼らは「パウロはエルサレム教会からの推薦状を持たないから使徒とは認められない」と批難しました。それに対してパウロは弁明の手紙を書き、それが第二コリント書2章14節から始まる部分です。彼は書きます「神に感謝します。神は、私たちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、私たちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます。救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、私たちはキリストに依って神に献げられる良い香りです」(2:14-15)。

・パウロのイメージしているのは、ローマ軍の凱旋行進です。ローマは世界各地を征服し、勝利を得た軍隊は首都ローマで凱旋行進をして、その勝利を祝いました。行進の最初には征服地から奪った宝物が運ばれていきます。次に捕らえられた敵の王族や将軍たちが鎖に繋がれて歩かされます。彼らは行進が終われば投獄され、処刑されます。次に音楽を奏でる者たちが続き、さらに芳しい香りを放つ香炉を振りながら祭司たちの一団が通ります。そして最後に馬に引かせた戦車に乗る将軍が、将校たちや兵士たちを従えて行進します。祭司たちが振りまく香りは、将軍と兵士たちには喜びと勝利と生命の香りであり、他方戦争捕虜たちにとっては死の香りでした。

・だからパウロは書きます「(私たちは)滅びる者には死から死に至らせる香りであり、救われる者には命から命に至らせる香りです」(2:16)。「福音の香りも同じであり、受け容れる者には命の香りとなり、拒否する者には死の香りとなる」とパウロは語ります。パウロは先にも語りました「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、私たち救われる者には神の力です」(1コリント1:18)。福音はそれを聞く者に「根本的に生き方を変えるのか、それとも今まで通り生きるのか」の選択を迫ります。そしてコリントの人々はその生き方を変えた。だからあなた方に福音を伝えた私たちは、あなた方に対して、「キリストの香り」という役割を果たしたのだとパウロは語っているのです。

 

2.キリストの手紙

 

・パウロは次の17節から言葉を変えて、コリント教会を混乱させている伝道者たちを批判します。「私たちは、多くの人々のように神の言葉を売り物にせず、誠実に、また神に属する者として、神の御前でキリストに結ばれて語っています。私たちは、またもや自分を推薦し始めているのでしょうか。ある人々のように、あなたがたへの推薦状、あるいはあなたがたからの推薦状が、私たちに必要なのでしょうか」(2:17-3:1)。エルサレム教会の推薦状を持った教師たちがコリントに来て、異なる福音、律法による救いを唱え、教会を混乱させていました。彼らはエルサレム教会の使徒たちからの推薦状を携え、「この推薦状が示す通り、自分たちこそ正当な福音を伝える使者」であり、他方「パウロは何の推薦状も持っていないから偽使徒だ」と攻撃しました。それに対して、パウロは「彼らは神の言葉を売り物にしている商売人に過ぎない」(2:17)と語ります。「神の言葉を語ると称して報酬を得ているだけの存在が、エルサレム教会からの推薦状を持っていても何の価値があるか」と。

・パウロは「本当の推薦状は人からのものではなく、神からいただいた推薦状であり、それはあなたがたなのだ」と語ります。「私たちの推薦状は、あなたがた自身です。それは、私たちの心に書かれており、すべての人々から知られ、読まれています」(3:2)。牧会者にとって、その伝道から生まれた信徒こそ、神からの推薦状です。パウロは「あなた方は私たちの伝道によって、それまでの異教礼拝を止め、イエス・キリストを救い主として受け入れた。あなた方が変えられた、その事こそが私たちに与えられた推薦状だ」と語るのです。彼は次に驚くべきことを語ります「あなたがたは、キリストが私たちを用いてお書きになった手紙として公にされています。墨ではなく生ける神の霊によって、石の板ではなく人の心の板に、書きつけられた手紙です」(3:3)。コリントに信仰者の群れが生まれた、それこそがキリストの働きなのであり、あなた方はこのキリストの働きの「生きたしるし」なのだと彼は語るのです。この二つの事柄は、私たちに次のことを示します。つまり、「全てのキリスト者は、好むと好まざるとにかかわらず、キリストの香りであり、キリストの手紙なのだ。世の人はキリスト者の生き方を通して、キリストを、そして神がどなたであるかを知るのだ」と。

・ロバート・ベラーという宗教社会学者は、その著「善い社会」の中で、アメリカ・メソジスト教会の一人の牧師の言葉を紹介しています。牧師は語ります「ヘブライ人への手紙の著者が誰であるかはどうでも良い。それは死んだ神学だ。生きた神学はこの書が私の人生にどのような意味を持つのかを教える。ヘブル13章5節は語る「主は『私は、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない』と言われました」。16歳の娘の麻薬が発覚した時、この言葉はどのように私を導くのか。会社が買収されて24年間勤務した職場を去らなければいけない時、この言葉の意味は何なのか、それが問題なのである」(ロバート・ベラー「善い社会」、p207-208)。

・人生の危機に直面した時、キリストの言葉が本当に私たちを苦難から立ち上がらせる力があるのか、そのような体験的神学の学びを通して、私たちは訓練され、聖書が「生きて働く」福音になっていきます。その時、まさに「文字は殺し、霊は生かす」というパウロの言葉の意味が、体験的に理解出来るようになります。ロバート・ベラーは最後に語ります「宗教共同体(教会)はまた、私たちが究極的な問題と取り組むのを助けてくれる。すなわち、費用便益計算(利害損得)以上のもの、欲望以上のものに基づいて生きるための道を探ることである」(同p228)。現代の私たちは利害損得(お金)を宗教としています。しかし聖書は利害を超えるもの、神を愛するように隣人を愛することを求めます。

 

3.土の器に宝を持って

 

・今日の招詞として2コリント4:7を選びました。次のような言葉です「ところで、私たちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかになるために」。今のパウロは、自分の設立したコリント教会に背かれ、孤独の中にあります。宣教活動は決してうまく行っていません。コリントの人々は福音を伝えるパウロの履歴や外形に注目し、「彼はキリストに直接仕えた直弟子ではないから使徒ではない」とか、「手紙では重々しいが、実際に会ってみると弱々しく、話もつまらない」(10:10)と批判していました。パウロ自身も自分が欠けの多い人間であることを承知しています。だから彼は「私を見るのではなく、私が持ち運んでいる福音を見よ」と語ります。それが招詞の言葉です。パウロは訴えています「私はみすぼらしい土の器かもしれない。あなた方はその私を見て、土の器には何の価値も無いというだろう。しかし、私が土の器だからこそ、神の栄光が現されるのだ。私が金や銀の器であれば、人は私を見てキリストを見ないだろう。だから私は自分が土の器であることを恥じない」と。

・この確信があるからこそ、伝道がうまくいかず、批判され、苦しめられても、落胆しないとパウロは語ります。招詞の次に来る言葉です「私たちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない」(4:8-9)。パウロの置かれた現実は、過酷なものでした。パウロは自分の設立した教会から追放された伝道者なのです。世の人々はパウロを敗残者と考えるでしょう。当時のパウロは「失敗した伝道者、辞任を迫られた牧師、自分の設立した会社から追い出された創業経営者」のような惨めな状態なのです。しかしパウロは「途方に暮れても失望しない」(4:8)。彼は失望から立ち上がる力が与えられた、それが復活のイエスから与えられる力です。

・コリント教会と伝道者パウロの間の信頼関係が崩れています。それにもかかわらず、パウロはコリント教会の人々を「あなたがたこそ私の推薦書、墨ではなく生ける神の霊によって、石の板ではなく、心の板に書かれたキリストの手紙」と呼びます。コリントの人々は教会の主導権を巡って争い、誘惑に負けて不品行を行い、金持ちと貧しい人は分断していました。それでも彼らは教会から離れず、パウロから離れず、主に従って生きたいともがいていました。それは赤裸々な人間の現実の中にあってもなお主から、教会から離れない私たちと同じです。私たちもまた「キリストの手紙」であり、世の人は私たちを見て、「キリストはどなたか」を知るのです。

・パウロは喜怒哀楽の激しい人で、誤解を生みやすい言行がありました。彼は雄弁な説教者ではなかった。しかしパウロは全てを捨ててコリント伝道のために尽しました。そして今も教会からの誹謗中傷に耐えながら、涙ながらに手紙を書いています。このパウロを動かしているのは神です。彼は語ります「私は信じた。それで、私は語ったと書いてある通り、それと同じ信仰の霊を持っているので、私たちも信じ、それだからこそ語ってもいます」(4:13)。私たちもパウロと同じ「信仰という宝物」を神からいただきました。それを入れている容器である私たちは、落とせば割れる土の器ですが、いただいているのは宝物なのです。ですから私たちはキリストの香りになりうるし、キリストの手紙になりうるのです。

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