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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2017年9月24日説教(士師記8:22-35、神の人であり続けるために)

投稿日:2017年9月24日 更新日:

2017年9月24日説教(士師記8:22-35、神の人であり続けるために)

 

1.主の戦いからギデオンの戦いへ

 

・ギデオン物語を読んでおります。今日が最終回です。ミディアンの大軍をたった300人の奇襲戦で破ったギデオンは、敗残の敵兵をヨルダン川を越えて、追跡していきます。ギデオンは途中、ガド族の町スコトの人々に支援を求めましたが、人々は拒否します。「ギデオンはヨルダン川に着き、彼の率いる三百人と共に川を渡った。疲れきっていたが、彼らはなお追撃した。彼はスコトの人々に言った『私に従ってきた民にパンを恵んでいただきたい。彼らは疲れきっている。私はミディアンの王ゼバとツァルムナを追っているところだ』。しかし、スコトの指導者たちは『私たちがあなたの軍隊にパンを与えなければならないと言うからには、ゼバとツァルムナの手首を既に捕らえているのか』と言った」(8:4-6)。スコトの町は長い間ミディアン人の支配下にありました。彼らはギデオン軍の貧弱な兵を見て、勝利を危ぶみ、協力を断りました。ギデオンは協力を拒んだスコトを呪って先を急ぎます。しかし、ペヌエルの町も同じように協力を断り、ギデオンは報復を誓います。「彼はそこからペヌエルに上って、同じことを要求したが、ペヌエルの人々もスコトの人々と同様の答えをした。そこで彼は、ペヌエルの人々にもこう言った『私が無事に帰って来たなら、この塔を倒す』」(8:8-9)。

・ミディアン軍はヨルダン川東岸の奥深くまで逃げていましたが、ギデオン軍が攻め、ついには王も捕らえられます。「ゼバとツァルムナは、約一万五千の軍勢を率いてカルコルにいた。すべて東方の諸民族の全軍勢の敗残兵であった。剣を携えた兵士十二万が、既に戦死していた。ギデオンは、ノバとヨグボハの東の天幕に住む人々の道を上って、敵の陣営を攻撃した。陣営は安心しきっていた。ゼバとツァルムナは逃げたが、彼はその後を追った。彼はこの二人のミディアンの王ゼバとツァルムナを捕らえ、その全陣営を混乱に陥れた」(8:10-12)。敵を制圧したギデオンは、今度は自分たちに協力しなかったスコトとベヌエルの人々を殺します。「ギデオンは町の長老たちを捕らえ、荒れ野の茨ととげをもってスコトの人々に思い知らせた。またペヌエルの塔を倒し、町の人々を殺した」(8:16-17)。これは主が命じられた戦いではありませんでした。6-7章の主語は「主」でしたが、8章の主語は「ギデオン」です。戦いの性格が「主の戦い」から「個人の報復」に変わり始めています。

 

2.個人崇拝に陥った晩年のギデオン

 

・ギデオン軍の大勝利によって、イスラエルに平和が戻りました。士師記は記します「ミディアン人は、イスラエルの人々によって征服されたので、もはや頭をもたげることができず、ギデオンの時代四十年にわたって国は平穏であった」(8:28)。人々は平和をもたらしたギデオンに、「王になって自分たちを治めてほしい」と要請します。「イスラエルの人はギデオンに言った『ミディアン人の手から我々を救ってくれたのはあなたですから、あなたはもとより、御子息、そのまた御子息が、我々を治めてください』」(8:22)。しかしギデオンはこれを断ります。「ギデオンは彼らに答えた。『私はあなたたちを治めない。息子もあなたたちを治めない。主があなたたちを治められる』」(8:23)。イスラエルを治められるのは主なる神です。同時代の文書であるサムエル記では、主は王を求める人々に語られます「「主はサムエルに言われた『民があなたに言うままに、彼らの声に従うがよい。彼らが退けたのはあなたではない。彼らの上に私が王として君臨することを退けているのだ』」(サムエル記上8:7)。

・ギデオンの答えは表面上信仰的ですが、ギデオンは本当に主の支配を求めていたのか、疑念を感じさせる文書を士師記は残します。彼は王になるのは断りましたが、人々に戦利品の金を提供するように求めます。「ギデオンは更に、彼らに言った『あなたたちにお願いしたいことがある。各自戦利品として手に入れた耳輪を私に渡して欲しい』。敵はイシュマエル人であったから金の耳輪をつけていた。人々は『喜んで差し上げます』と答え、衣を広げて、そこに各自戦利品の耳輪を投げ入れた。彼の求めに応じて集まった金の耳輪の目方は、金千七百シェケルで、そのほかに・・・飾り物があった」(8:24-26)。

・集められた金は総量20キロにも達しました。ギデオンはそれを用いて、大祭司の衣服であるエフォドを作ります。彼は王にこそなりませんでしたが、個人崇拝を求めたのです。ここからギデオン一族の堕落が始まります。「ギデオンはそれを用いてエフォドを作り、自分の町オフラに置いた。すべてのイスラエルが、そこで彼に従って姦淫にふけることになり、それはギデオンとその一族にとって罠となった」。(8:27)。

・ギデオンは王になることを辞退しましたが、実際には「王のような生活」をむさぼります。「ヨアシュの子エルバアルは、自分の家に帰って住んだ。ギデオンには多くの妻がいたので、その腰から出た息子は七十人を数えた。シケムにいた側女も一人の息子を産み、彼はその子をアビメレクと名付けた」(8:29-31)。

彼は多くの妻たちを抱え、子供も70人生まれます。実質的に彼は王のような生活を行ったのです。晩年の驕りは息子の名前にアビメレク(訳すると「わが父は王」)とつけたことにも現れています。人は成功すれば驕り、やがては自分が正しいと思うことをし始め、そこに世の乱れが生じてきます「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた」(21:35)。士師記が教えるのは、主のために戦った人もやがては堕落する事です。信仰は主の名を呼び続けない限り、堕落していくのです。

 

3.神の人でありつづけるために

 

・今日の招詞に申命記8:17-18を選びました。次のような言葉です。「あなたは『自分の力と手の働きで、この富を築いた』などと考えてはならない。むしろ、あなたの神、主を思い起こしなさい。富を築く力をあなたに与えられたのは主であり、主が先祖に誓われた契約を果たして、今日のようにしてくださったのである」。イスラエルをミディアン人から救ったギデオンは、王になってほしいという民の要請を断りますが、事実上彼は王のような生活を行い、生まれた子にアビメレク(父は王)と名づけます。そのギデオンの高慢が罪を生みます。

・ギデオンが死ぬと子のアビメレクは母方のシケムに行き、「王として立つので支援して欲しい」と要請し、シケムの一族はそれを受け入れます(9:1-3)。ギデオンは王になることは神の主権を侵すことだと拒否しましたが、息子のアビメレクは王になるために兄弟を殺します。「彼らがバアル・ベリトの神殿から銀七十をとってアビメレクに渡すと、彼はそれで命知らずのならず者を数名雇い入れ、自分に従わせた。彼はオフラにある父の家に来て、自分の兄弟であるエルバアルの子七十人を一つの石の上で殺した。末の子ヨタムだけは身を隠して生き延びた」(9:4-5)。彼を支援したのはカナン人であるシケム族、資金は偶像神の神殿から出ました。彼はその資金で親衛隊を雇い、兄弟を殺して王位につきます。彼の生き方は「自分で正しいと思うことをする」、彼はレメクの末裔です。創世記は記します「レメクは妻に言った『・・・私は傷の報いに男を殺し、打ち傷の報いに若者を殺す。カインのための復讐が七倍なら、レメクのためには七十七倍』」(4:23-24)。

・王とは神の委託を受けて民を統治するものであり、彼は最初から王の資格を欠いていました。神の召命を受けずに自分の力でなった王位は、神により剥奪されます。士師記は記します「神はアビメレクとシケムの首長の間に、険悪な空気を送り込まれたので、シケムの首長たちはアビメレクを裏切ることになった。こうしてエルバアルの七十人の息子に対する不法がそのままにされず、七十人を殺した兄弟アビメレクと、それに手を貸したシケムの首長たちの上に、血の報復が果たされることになる」(9:23-24)。アビメレクは反抗するシケム族を攻め滅ぼしますが、戦いの中で女の投げた碾き臼が彼の頭を直撃し、彼は死にます(9:52-53)。

・この物語は、「歴史は誰が支配しておられるのか、人間か神か」を問いかけます。歴史の主体が人であればそこは弱肉強食の力の世界になります。物語後半のギデオンのように、です。しかし、歴史の主体が神であれば、そこにおいては委託と正しさが求められます。物語前半のギデオンはまさにそうでした。今日の招詞の言葉は深い意味を持ちます「あなたは『自分の力と手の働きで、この富を築いた』などと考えてはならない。むしろ、あなたの神、主を思い起こしなさい。富を築く力をあなたに与えられたのは主であり、主が先祖に誓われた契約を果たして、今日のようにしてくださったのである」。この感謝の心をなくした時、人は滅んでいくのです。

・神が共におられる時、人間はその力を超えた業ができます。ギデオンが300人の手兵で10万人を超えるミディアン軍を破ったように、です。しかし人が「その業は私が行った」と考え始めた時、主の霊はその人を離れ、彼は「自分の目に正しいとすることをおこなう」ようになり、破滅します。パウロが語りました。「力は弱さの中でこそ十分に発揮される・・・だから、キリストの力が私の内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう・・・なぜなら、私は弱いときにこそ強いからです」(第二コリント12:9-10)、自分の無力を知るゆえに神の名を呼び続ける、そのような人生を歩みたいと願います。

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