江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2013年2月24日説教(マタイ25:14-30,与えられた賜物をどう生かすか)

投稿日:2013年2月24日 更新日:

1.タラントンの譬え

・マタイ福音書を読み進めています。今日与えられた箇所はマタイ25章、「タラントンの譬え」です。マタイは記します「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた」(マタイ25:14-15)。最初に驚くのは金額の大きいことです。1タラントンは6000デナリオン、1デナリオンは当時の日給ですから、1タラントンは日給の6000日分、年に300日働くとすれば20年分の年収になります。今日の貨幣感覚(平均年収500万円)を当てはめると、1タラントンは1億円になります。そうすると2タラントンは2億円、5タラントンは5億円です。主人が僕に預けた金額の大きさから、主人の僕に対する期待の大きさが窺えます。
・喩えを読み進めて行きましょう「五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた」(25:16-17)。最初の二人は預けられたお金を積極的に運用して殖やしました。しかし、最後の僕は「出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた」(25:18)。主人が帰ってきて、決算が始まりました。「かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました』。主人は言った『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』」(25:20-21)。5タラントンを元手に積極的に商売を行った僕は称賛されました。2タラントンを預かって殖やした僕も同じように称賛されます。
・最後に1タラントンを預かった僕が出てきて報告します「御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です」(25:24-25)。最後の僕も主人からの称賛を期待しています「慎重な僕よ、よく管理した」と。ところが主人が与えたのは称賛ではなく、叱責でした「怠け者の悪い僕だ。私が蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。それなら、私の金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに」(25:26-27)。主人は最後に言います「さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ」(25:27)。僕は叱責され、預けられたお金も取り上げられます。

2.三人の僕たちのあり方

・この譬えは何を意味するのでしょうか。業績を上げた者、結果を出した者が褒められているのでしょうか。同じような喩えがルカ19章にもありますが、内容がかなり異なります。両者を合わせて考えると、元々は、イエスが律法学者やパリサイ人たちのあり方を批判する文脈の中で語られた言葉だと思われます。イエスは言われました「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。人々の前で天の国を閉ざすからだ。自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない」(23:13)。神から与えられた恵みの戒め、「神を愛し、隣人を愛しなさい」という律法を、「安息日には何をしてはいけない、汚れたものを食べてはいけない、律法を守らない者は地獄に行く」として人々を脅して、規則を守るだけで何の良い行為もさせようとしなかった当時の指導者たちを、「失敗を恐れて何もしなかった僕」に喩えて言われた言葉でしょう。
・マタイの教会は、それを自分たちの教会の現実の中で聞きました。「主人が旅行に出かける時に、その財産を能力に応じて僕たちに預けた」、つまり「主人であるキリストが天に上げられ(旅行に出て)、後の事を弟子たちに委ねられ(タラントンを預け)、やがて帰って来られる(再臨される)、その時に、教会を委ねられた自分たちはどう生きたかが問われる」とマタイは理解したのです。マタイの教会にも、規則を守るだけで何も良いことをしようとしない人々がいたのでしょう。
・喩えでは、最初の二人は危険を冒して預かったお金を商売に回し、利益を得ることが出来ました。しかし、最後の一人はリスクを避けるために何もしませんでした。商売に投資すれば失敗して元金を無くしてしまう可能性もあったからです。何故彼は何もしなかったのか、「恐ろしかった」からと言います。「あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていました」(25:25)。主人は厳しい人であり、失敗するとどのような罰を受けるかもわからないと彼は恐れたのです。彼にあるのは主人に対する愛や尊敬ではなく、恐怖です。バプテスマのヨハネは神をこのような裁き主と見ていました。彼は言います「斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる」(3:10)。
・しかしイエスは違いました。イエスは姦淫を犯した女性に言われます「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」(ヨハネ8:11)。仮に第三の僕が積極的に投資し、その結果預けられた1タラントンを全部失ってしまった場合、主人であるキリストはどう言われるでしょうか。「結果は思わしくなかった。しかしお前は頑張った。もう一度機会を与えよう」と言われるでしょう。イエスは失敗を責められない、それを信じきれなかった第三の僕は叱責されたのです。私たちはイエスを通して神を知ります。神は私たちを愛し、私たちの過ちをも赦して下さる方です。だからこそ聖書の記す福音は「良い知らせ」なのです。

3.私たちはどう生きるか

・今日の招詞として�ペテロ4:10を選びました。次のような言葉です「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい」。私たちは終末、自分たちの死を前にして生きています。与えられた時間をどのように生きるのか、与えられた賜物をどのように生かすのか、私たちにはその管理が委ねられています。ペテロは招詞に続けて語ります「語る者は、神の言葉を語るにふさわしく語りなさい。奉仕をする人は、神がお与えになった力に応じて奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して、神が栄光をお受けになるためです」(�ペテロ4:11)。私たちが後1年で死ぬとわかっていれば、私たちの生き方は変わらざるを得ないでしょう。何か意味のあることをしたい、与えられた使命、ミッションを生きたいと願うでしょう。
・地球が生まれたのは46億年前、生命の誕生は40億年前、人類が登場したのは6500万年前です。壮大な時間の中で、私たちは70年か80年かの与えられた命を生きます。永遠の時間の中で個々の生を考えるとは「神の視点で人生を見直せ」ということです。イエスは言われました「『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな・・・あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである」(6:31-32)。クリスチャンの生活は、家庭生活・職業生活・教会生活(信仰生活)のトライアングルの中で営まれています。通常、私たちは家庭生活、職業生活という個人の生活を基礎に置き、その上に神との交わり、教会生活を立てる。だから家庭生活ないし職業生活が不安定化すれば、教会生活も揺らぐ。しかし、聖書が私たちに語るのは、人生の基礎を教会生活、神との関係に置きなさいということです。神との平和が確立すれば、人との平和も確立するからです。この世の問題(家庭生活、職業生活)は父なる神に委ね、「まず神の国と神の義を求めなさい、今この時を生かされている意味を考えなさい」と言われています。その時、大河の一滴にすぎない私たちの生涯の意味が変わります。
・ルターは言いました「大胆に罪を犯せ、そして大胆に信ぜよ、そして神の栄光を現せ」。罪を恐れて、タラントンを土の中に埋めてしまうような生き方をしていたら、神の恵みは分からない。私たちが人生の基礎を教会生活に置き、その結果預けられた1タラントンを全部失っても、神は見ていて下さるとルターは言います。だからルターは命をかけて、当時のカトリック教会を批判していったのです。D.ボンヘッファーはナチス時代を生きたドイツの牧師ですが、ヒトラー暗殺計画に加わり、失敗して1945年に処刑されます。彼は言います「車に轢かれた犠牲者の看護をすることは大事な務めだ。しかし、車が暴走を続け、新しい被害者を生み続けているとすれば、車自体を止める努力をすべきだ」。彼は牧師でありながら暗殺計画に加わりました、人間的には賛否が分かれるでしょう。しかし当時の教会はナチスが行なっている犯罪を知りながら、見て見ぬ振りをしていたのです。
・ボンヘッファーの時代と同じ状況が、現在にもあります。私たちは沖縄が米軍基地の負担に苦しんでいる現実を知りながら声をあげようとしない。放射能汚染で福島を追われている人たちが電力安定供給のための犠牲の羊である現実を直視しようとしない。雇用の三分の一が非正規になり、そこに貧困問題の根本があるのを知りながら何もしようとしない。もちろん、私たちが異議申立てをしても大きな影響を及ぼすことは出来ず、逆に行動や発言により日常生活の安定が崩される可能性もあります。それでも声を上げる必要があります。イエスご自身も、国のあり方を批判したために捕らえられ、処刑されました。しかし神はそのイエスを復活させられた。人間の業が行き詰まったその時に神の業が始まることを私たちは信じています。何故、今日私たちにこのタラントンの喩えが与えられたのか、それは、「見ざる、聞かざる、言わざる」行為こそ、「タラントンを土の中に埋める」ことであり、「怠け者の悪い僕だ」と叱責される行為であることを知るためです。
・「大胆に失敗せよ、小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる」、私たちはこの篠崎の地に文字通りの神の国を建設したい。世の荒波の中で疲れた人が逃げ込む「逃れの町」(民数記35:6他)を形成したい。悲しむ人、苦しむ人を心情的に、また経済的にサポートする共同体を形成したい。駄目なものは駄目だと発言する共同体を目指したい。そのために皆さんのタラントンが、皆さんの働きが必要です。教会は神によって集められ、使命を与えられた共同体です。その共同体の形成に向けて私たちそれぞれが与えられた「タラントン」を持ち寄り、活動していく場なのです。

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