江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2011年6月5日説教(創世記11:1−9、バベルの塔と私たち)

投稿日:2011年6月5日 更新日:

1.バベルの塔

・創世記を読んでいます。創世記は1−11章が原初史で、一般には天地創造物語と言われますが、実は天地創造の由来を書いた神話などではなく、困難な時代を過ごさざるを得なかったイスラエル民族の魂の記録が描かれた書です。イスラエルは紀元前587年に祖国をバビロニア帝国に滅ぼされ、指導者たちは捕囚として異国の地バビロンに幽閉されました。イスラエル人たちは、自分たちは神に選ばれた特別な民族だという誇りを持っていましたので、この亡国・捕囚の出来事は衝撃的でした。神は何故自分たちを捨てられたのだろうか、自分たちはこの異国の地で滅び去るのだろうか、もう故郷エルサレムに戻ることはできないのだろうか、苦悩の中で彼らは祖先から伝えられた伝承を調べ、神へ祈りました。その苦闘の記録がやがて創世記といわれる書にまとめられていったのです。前回、ノアの洪水の物語を読みましたが、この物語もバビロンに伝えられていたギルガメシュ叙事詩に題材を得て、裁き=洪水=国の滅亡を通して、イスラエルの民がどのようにして神の救いを見出していったかの信仰の記録です。洪水物語の焦点は洪水そのものにあるのではなく、洪水の後、「もう人を滅ぼすことはしない」と言われた神の言葉に、国を滅ぼされたイスラエルの民が希望を見出していった点にあるのです。
・その原初史の締めくくりとして、11章は「バベルの塔」の物語を伝えます。物語は簡潔です。創世記11章は記します「世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。彼らは『れんがを作り、それをよく焼こう』と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。彼らは『さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう』と言った」(11:1-4)。シンアルの地とはバビロンのことです。この物語は都市と塔の建設というメソポタミアの歴史を背景にしています。メソポタミアでは、シュメールの複数の町で最上階に神殿を築いた巨大な方形の塔が発見されています。それらは山を模した人工丘で、日干しれんがとアスファルトを用いて作られており、ジッグラトと呼ばれます。バビロンで見つかった粘土板に楔形文字で記された物語によれば、この塔の土台は幅と奥行が約90メートル、高さは90メートルほどあったということです。90メートルといえば20階建ての建造物の高さであり、今日でもかなりの高層建築になります。バベルの塔のモデルになったのは、このジグラットです。
・国を滅ぼされたイスラエル人は強制的にメソポタミア地方に移住させられ、首都バビロンで高い塔を見せられました。バビロニア人はその塔を「エ・テメン・アンキ」(天と地の基礎なる家)と呼び、「これこそ神が立てられた世界の中心だ。我々こそ世界を治める民族であり、この塔はそのしるしだ」と誇りました。イスラエル人は屈辱の中でその言葉を聞き、そのようなバビロニア人の高慢を主なる神は決して許されないと心で思い、その思いがバベルの塔の崩壊物語を書かしめたのではないかと言われています。

2.神のようになろうとする人を神は砕かれた

・バベル(神々の門、バビロンのヘブライ語読み)に代表される大都市は、古代文明の担い手であり、その首都にそびえる神殿の塔は、王国の政治的・宗教的権力の象徴でした。その大都市を拠点とするアッシリヤやバビロニア帝国は、周辺の国々がそれぞれ独自の道を歩むことを許容しないばかりか、これらの国々を制圧し、併合して、その支配体制に組み込んでいきました。創世記にある「天まで届く塔のある町を建て、有名になろう」という言葉は、自分たちが世界の中心になろうということであり、「全地に散らされることのないようにしよう」とは、周辺諸国の自由な在り方を許さないとの意思表明です。そしてイスラエルの民も、周辺の諸民族を一つの支配体制のもとに統合しようとする、権力一元化のうねりに飲み込まれ、国を滅ぼされたのです。
・しかし亡国の民イスラエルは思いました「私たちの神はそのような暴力を許されず、それを断ち切ろうとされるはずだ」と。その思いが5節以下の記述にあります「主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、言われた。『彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう』」(11:5-7)。こうして古代世界の中央集権的国家は滅ぼされていきます。アッシリヤ帝国は紀元前612年に滅亡し、バビロニア帝国も紀元前539年にペルシャによって滅ぼされました。バビロン捕囚時代に立てられた預言者(第二イザヤ)は、バビロニア帝国を滅ぼしたペルシャ王キュロスを「主が油を注がれた人」と呼び(イザヤ45:1)、主なる神がペルシャを用いて傲慢の極みに達していたバビロニアを滅ぼし、イスラエルを捕囚から解放してくださったと述べています。バベルの塔の崩壊は、直接にはバビロニア帝国の崩壊を意味していたのです。
・このバベルの塔の物語は私たちに何を伝えるのでしょうか。文明や技術の進歩が人間に何をもたらすのかということを見つめよとのメッセージがそこにあるように思えます。人々は「石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いて」、高い建築物を造ることができるようになりました。技術革新がそれを可能にしたのです。その技術革新を人間はどのように用いてきたのでしょうか。創世記によりますと、青銅や鉄を人間が見出したのは、レメクの子トバルカインの時であるといわれています。このレメクは弟を殺して追放され、エデンの東に住んだカインの末裔です。創世記は記します「チラもまたトバルカインを産んだ。彼は青銅や鉄のすべての刃物を鍛える者となった」(4:22)。刃物を鍛える、人類最初の発明は、人を殺す為の銅や鉄の精錬であったのです。創世記記者はそこに「人間の罪」の問題を見据えています。アルフレッド・ノーベルは土木工事や鉱山開発のための道具としてダイナマイトを発明しました。それにより文明は進歩し、生産性は上がりましたが、やがてダイナマイトは人間を殺すための爆弾に転用されていきます。ノーベルがその遺産の全てを投じてノーベル賞基金を作り、その中に平和賞を設けたのも、自分の発明が戦争に用いられ、多くの人命を奪うものになった、その罪の悔い改めのためだと言われています。また人間は原子力を用いて病気を診断し治療したり(X線や放射線治療)、発電に応用する(原子力発電)ようになりますが、その原子力も軍事転用されて核爆弾を生み、ヒロシマ・ナガサキで用いられ、驚異的な破壊力を見せつけました。
・今回の福島原発事故が私たちに問いかけるのも、「人間は本当に原子力やその派生物である核廃棄物を管理できるのか」という問題です。今回の事故は津波等により、核燃料の冷却ができない状態になり、核燃料がメルトダウンし、周囲に放射能を拡散させました。また使用済み核燃料(核廃棄物)は日本全体で年間1千トンが出ると言われていますが、今の技術では完全に無害化することはできず、最終処分の方法がないと言われています。今回の原発事故をある人々は、「人間の傲慢が砕かれた現代のバベルの塔ではないか」と言いますが、まさにそう思わざるを得ない事態が進行しています。

3.バベルの塔崩壊によって何が生まれたのか

・神はバベルの塔を壊されました。創世記11章は書きます「主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである」(11:8-9)。この言葉は神の裁きの言葉として聞かれますが、聖書においては、実は「裁きこそ救い」なのです。今日の招詞に創世記12:1-3を選びました。次のような言葉です「主はアブラムに言われた『あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、私が示す地に行きなさい。私はあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように。あなたを祝福する人を私は祝福し、あなたを呪う者を私は呪う。地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る』」。
・神はバベルの塔を壊され、その結果、人々は全地に散らされ、互いに言葉が通じない存在になって行きました。しかし、神は洪水からノア一族を救われたように、バビロニアの地から一人の人を選び出し、彼を通して、人類を救おうとされます。それが創世記12章から始まるアブラハムからのイスラエル民族の歴史です。アブラハムの父テラはカルデアのウル出身です(11:28)。カルデアはメソポタミア(バビロン)の別名です。散らされた人々の救済の物語がここから始まります。裁きは滅ぼしではなく、救いの始まりなのです。神は言われました「地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る」。このアブラハムの末裔から、イエス・キリストがお生まれになりました。イエスが地上の生涯を終えられ、昇天された時、神は弟子たちに聖霊を下されました。聖霊が臆病な弟子たちに語る力を与え、その言葉は大勢の人々の心を揺り動かし、回心させ、バプテスマ者を生んでいきます。
・神の霊は土のちりに命の息吹を吹き込み、人間を創造しました(2:7)。今また、神の霊は臆病であった弟子たちに命の息を吹き込み、大胆に語る賜物を持った新しい人間を創造しました。その言葉は人々に伝わっていきます。来週、私たちはペンテコステ礼拝を持ちますが、ペンテコステ(五旬節、聖霊降臨祭)とは、言葉による交わりが回復され、教会が生まれたことを喜ぶ日です。人が神を離れ、自分の力で物事を成そうとする時、その思いは自己中心になり、相手は敵になり、言葉が通じなくなります。しかし、キリストの十字架を通して、自己中心の思いが砕かれ、相手との交わりが始まった時に、言葉は再び通じるようになります。
・神はバベルにおいて傲慢な民を散らされると同時に、その民の中からアブラハムを召し出し、新しい救いを開始されました。私たちは今その救いの中に居ます。だから私たちは教会に集まり、神の不思議な業を賛美するのです。その神の不思議な業は今日でも継続しています。先に、福島原発事故を「人間の傲慢が砕かれた現代のバベルの塔の物語ではないか」と言いました。今回の事故を通して、ドイツやスイスでは今後は原子力発電所を新しく造らず、既存の発電所も耐用年数が来れば廃棄すると発表しました。日本でも原子力発電所のこれ以上の増設は中止し、自然エネルギー開発に注力するという政策の変更が為されようとしています。原子力発電所というバベルの塔が崩壊することを通して、新しい良いものが始まろうとしています。「散らされて生きる」ことの中に、神の祝福があるような気がしています。

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