1.ペンテコステの日に
・今日、私たちはペンテコステ特別礼拝の日を迎えました。昨年のペンテコステ礼拝は2007年5月27日でしたが、その日に私たちは一人の姉妹(古川姉)を教会員として迎えることが出来ました。そして今年のペンテコステには、私たちは三人の方を新しい教会員としてお迎えします。教会の誕生日であるペンテコステの日に、新しい兄弟姉妹が私たちの群れに与えられることはまさに主の恵みです。
・先週、私たちは、ペンテコステの日に何が起きたのかを、ご一緒に学びました。聖霊が弟子たちに降ると、臆病だった弟子たちが人々の前で語り始めます。その様子が、使徒言行録2章の前半にあります。ペテロは述べます「神はあなた方を救うために、一人子を遣わされました。その方がナザレのイエスです。イエスはその言葉と業で神の子であることを示されましたが、あなた方は受け入れず、十字架につけて殺しました。しかし、神はこの方を死の苦しみから復活させられました。私たちはその証人です」と(2:22-24)。説教の結論が2:36にあります「だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです」(2:36)。今日は使徒言行録2章後半から、ペンテコステの出来事の意味を聞いていきます。
・ペテロの説教には説得力がありました。何故ならば、語る出来事を彼自身が経験していたからです。イエスが捕らえられた時、ペテロはイエスを見捨てて逃げました。十字架でイエスが死なれた時、ペテロは自分たちも捕らえられるのではないかと恐れ、部屋の戸に鍵をかけて隠れていました(ヨハネ20:19)。しかし、そのペテロに復活のイエスが現れ、残された群れを彼に委ねられました。そしてペテロは今、説教者として立たされています。まさにペテロ自身が一度死に、その絶望の底から復活したのです。イエスの十字架と復活の出来事は、まさにペテロ自身が経験した出来事でした。だから、彼の説教は力に満ちていたのです。
・ペテロが語った内容は驚くべきものでした。ユダヤ人にとって十字架につけて殺された者は、「神に呪われた者」(申命記21:22)です。その神に呪われた者を、ペテロは神の一人子と呼びます。ペテロが行った説教は、常識的には気が狂ったとしか思えないような説教でした。それをペテロは何のためらいもなく説き、民衆はその説教に心を動かされました。彼らはペテロに尋ねます「私たちはどうしたら良いですか」。ペテロは「悔改めてバプテスマを受けなさい」と勧め、多くの者がこの日にバプテスマを受け、ここに教会が形成されました。
2.教会は交わりの共同体として立てられた
・パウロは「信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです」(ローマ10:17)と言いました。今日でも礼拝の説教を通して、人々が心を打たれ、悔改め、キリストの前にひざまずくことが生じています。伝道の不毛地帯と言われる日本でさえ、毎年1万人近い人がバプテスマを受け、この教会でも数多くのバプテスマ者が与えられました。神の言葉は人の心を揺り動かす力を持ちます。私たちはこの神の言葉、十字架と復活の言葉に頼って、教会を立てていきます。何故ならば、ペテロがイエスの十字架と復活を自分の出来事として経験したように、私たちもまた十字架と復活の出来事を経験してきたからです。
・ペンテコステの熱狂はその日だけでは終わりませんでした。ルカは記します「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」(2:42)。「使徒の教え」とは、使徒たちの説教、具体的にはイエス・キリストの十字架と復活についての証言です。初代教会は、説教を聴くことから教会形成を始めました。この使徒たちの教えがまとめられていったのが使徒信条です。信条は英語=Creedですが、これはラテン語Credo(信じる)から来ています。何を信じるのかは信仰の大事な尺度です。私たちの教会の信仰告白もこの使徒信条に基づいています。
・神の言葉に促されて、私たちは兄弟姉妹への交わりへと入ります。イエスは言われました「私があなた方を愛したように、互いに愛し合いなさい」(ヨハネ15:12)。クリスチャンになることは、互いに愛し合う関係を他者と構築することです。この愛し合いが「相互の交わり」として、表現されています。ギリシア語コイノニアです。この言葉は「交わる」という意味の他に、「分かち合う」という意味があります。交わるとは単に親しくなるとか、楽しむことではなく、分かち合うことです。趣味を分かち合う団体はサークルと呼ばれます。利益を分かち合う団体は企業、学びを分かち合う所が学校です。教会は何を分かち合うのでしょうか。それが42節後半の言葉、パンを裂くことと祈ることです。教会は「パン裂きと祈りを分かち合う場」なのです。
・「パン裂き」とは、単なる主の晩餐式(あるいは聖餐式)ではありません。食物を持ち寄って、共に食べる、食べ物の少ない人には手元のパンを二つに裂くという食卓の交わりです。そして「祈り」は個人の祈りというよりは、共同の祈り、とりなしの祈りです。教会は分かち合い、祈り合うことによって、教会になって行くのです。
3.現実の困難を越えて
・今日、私たちは、招詞として、使徒言行録2:44−47を選びました。次のような言葉です「信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである」。
・初代教会は「使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心」だったとルカは記します。相互の交わり(コイノニア)と言う言葉には、分かち合いの意味が含まれています。初代教会において、この分かち合いは、財産や持ち物の共有と言う形にまで発展していきました。信仰共同体が生活共同体になっていったのです。しかし、時代の変化と共に、教会は変わり始めます。最初の使徒たちがいなくなると、使徒の教えについて解釈が分かれ、対立が生じて来ました。使徒信条がまとめられたのも、福音理解に相違が生じてきたためです。相互の交わりも変質を始めます。使徒言行録5章にありますアナニヤの物語は、持ち物を捧げることを惜しむ人がいたことを示しますし、6章ではギリシア語を話すユダヤ人とヘブル語を話すユダヤ人の間で、食物の分配についての争いが起きたことが記されています。食卓の交わりも、やがて異邦人が教会に加えられると、無割礼の異邦人とは食卓を共に出来ないと言い始めるユダヤ人信徒が出てきます。信仰と生活が次第に分離していきました。教会が成長し、人が増えてくると、分かち合いだけでは、共同体を維持できなくなってきたのです。人は救われてもまだ罪人であり、罪人が形成する教会もまた罪を含んでいます。地上の教会は、神の国ではないのです。
・それにもかかわらず、教会の頭はキリストです。私たちの信仰生活の原点が初代教会の生き方の中にあります。初代教会は「能力に応じて働き、必要に応じて分配する」共同体を形成しました。今日の教会では、この分かち合いが献金という形で生きています。「能力に応じて捧げ、必要に応じて用いる」ことが、献金の原点です。初代教会が、説教を聴いて讃美するだけの共同体ではなかったゆえに、私たちも社会の中で、何をすべきかを模索します。初代教会は、問題を抱えている者、信仰が弱まっている者のために祈りました。このとりなしの祈りを私たちも続けます。祈りは行動を生んでいきます。
・初代教会は毎日集まり、礼拝を捧げ、食卓を共にし、兄弟姉妹へのとりなしを祈りました。このような活動を通して、彼らは一つになっていきました。現代の私たちは忙しくなり、週1日、多くて週2日しか、共に集まることが出来ません。それだけに、主日の礼拝と水曜日の祈祷会、また家庭集会での交わりを大事にしたいと思います。共に集まって聖書を読み、相手のために祈ることこそ、主にある交わりであり、この交わりなしには、信仰の成長はないのです。何故ならば、私たちの信仰は、自分一人が救われて良しとする信仰ではなく、共に救われる信仰だからです。ルカは初代教会の成長の様子を、「主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである」と記しました。今日、私たちの教会に新しい兄弟姉妹が加えられていったことを感謝します。まさにルカが描きます恵みの出来事が、私たちの教会にも起こっているからです。ペンテコステは現代にも継続する、神の恵みの出来事なのです。