江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2006年12月3日説教(エレミヤ書33:14-16、回復の約束)

投稿日:2006年12月3日 更新日:

1.神の鞭としての破壊

・今日から私たちは待降節(アドベント)に入ります。待降節はイエス・キリストの降誕を待ち望む時です。イエスはヘブル語“ジョシュア”のギリシャ語読みですが、“キリスト=クリストス”とは、ヘブル語“メシヤ=油注がれた者”のギリシャ語訳です。イスラエルでは、王の即位に際して頭に油を注いで聖別しましたので、メシヤとは王、救済者を意味するようになりました。つまり、イエス・キリストとは、“ヘブル人ジョシュアこそ王、救い主である”との信仰告白の言葉なのです。そして、旧約聖書においては、このメシヤを待ち望む多くの預言があります。古代のイスラエルは戦争で常に悩まされてきました。その領土は絶えず周囲の大国のために血なまぐさい戦場とされてきました。イスラエルの民は平和を熱望し、それを実現するものとして、メシヤの来臨を熱望してきました。その預言の一つが、今日読みますエレミヤ書33章です。私たちはクリスマスを前にした今日、エレミヤ書から御言葉をいただきます。
・エレミヤはイスラエルが国を滅ぼされた時に現れた預言者です。イスラエルはダビデ・ソロモンの時に隆盛を迎えますが、ソロモン死後、王国は南と北に分裂します。北王国は紀元前722年にアッシリアにより滅ぼされ、残った南王国も、紀元前598年にアッシリアの後継バビロニヤに征服され、王や貴族・祭司たちはバビロンに連れ去られます。第一次バビロン捕囚です。残された王国ではゼデキヤが新しい王として立てられ、イスラエルはバビロニヤの属国となります。ゼデキヤ王は、最初は、バビロニヤとの融和政策を試みますが、やがてエジプトの武力に頼って、バビロニヤの支配から独立しようとします。その結果,イスラエルはバビロニヤ軍の激しい攻撃を受け、首都エルサレムは再びバビロニヤ軍に包囲されました。その時エレミヤが立ち、バビロニヤに降伏せよと勧めます。彼は言いました「主はこう言われる。見よ、私はこの都をバビロンの王の手に渡す。彼はこの町を占領する。・・・お前たちはカルデア人と戦っても、決して勝つことはできない」(32:3-5)。神がイスラエルの罪を裁くためにバビロニヤを遣わされた、バビロニヤは神の鞭なのだ、これに逆らうことをせず、自分たちの罪を悔い改めよとエレミヤは迫りました。これは非常に勇気のいる言葉です。仮に日本が太平洋戦争を戦っている時に、誰かが立って「この戦争は不正だ、罪を悔い改めてアメリカへ降伏せよ」と勧めれば、彼は裏切り者として迫害されるでしょう。エレミヤは捕えられ、獄舎に拘留されます。
・その獄中のエレミヤに神の言葉が再び臨みます。「彼らはカルデア人と戦うが、都は死体に溢れるであろう。私が怒りと憤りをもって彼らを打ち殺し、そのあらゆる悪行のゆえに、この都から顔を背けたからだ」(33:4-5)。滅びの預言です。エレミヤは人々の聞きたがる言葉、救いの言葉を語ろうとしません。それは真実ではないからです。彼は言います「バビロニヤ軍はエルサレムに侵攻し、神殿は破壊され、ダビデ王家は滅びるであろう。神が与えられたこの現実から目をそむけるな、神が何故このようにイスラエルを打たれるのかを知れ。神の前にひざまずき、悔い改めよ。そうすれば神は憐れんで下さる」。しかし、イスラエルは悔い改めず、エジプトに頼って、バビロニヤ軍にあくまでも抵抗します。やがてバビロニヤ軍はエルサレムに侵攻し、預言通りにエルサレムに死体があふれ、全土が焼かれるという悲劇が起こりました。

2.現実を見つめた時に生まれるもの

・先日、パール・バックの「母よ嘆くなかれ」という本を読みました。パール・バックは中国を舞台にした小説「大地」で有名なアメリカの作家ですが、彼女は重度の知的障害を持った子どもの母親でもあります。パール・バックは中国派遣の宣教師夫妻の子どもとして生まれ、人生の前半を中国で過ごしています。1917年にやはり宣教師であった夫と結婚し、3年後に女児キャロラインが与えられます。彼女が28歳の時でした。かわいい子どもに恵まれて幸せな結婚生活を送りますが、やがて子どもの様子がおかしいことに気がつきます。4歳になっても言葉を話さないのです。彼女は子どもを連れて病院を訪れますが、原因も治療法もわかりません。母国アメリカに帰って医療を受けさせたいと願ったパールは娘を連れて帰国し、主だった小児科病院を次々に訪れますが、どこでも原因を突き止めることが出来ません。彼女は娘の治療のために数年にわたってアメリカに滞在し、そのことが原因で夫との離婚という悲劇も経験します。
・病院遍歴の末、彼女と娘はミネソタ州のメイヨー病院を訪れます。アメリカ有数の小児科病院で、多くの検査を受け、もしかしたら治るかもしれないと希望が膨らみました。検査が終わり、彼女は病院の小児科部長と話します。医師は言いました「原因はわかりませんが、発育が止まってしまっているのは事実です」。パールは聞きます「望みはあるのでしょうか」。医師は答えました「私はあきらめずにいろいろやってみるつもりです」。その時、病院のもう一人の医師が彼女に話したいと別室に導きます。彼はパールに言います「お嬢さんの病気は決して治りません。あなたは望みを捨て、真実を受け入れなければいけません。でなければあなたは命をすり減らし、家族のお金を使い果たしてしまうでしょう。・・・この子どもさんはあなたの全生涯を通し、あなたの重荷になります。その負担に耐える準備をなさって下さい」。パールは絶望の中に放り込まれますが、この言葉が真実であることはわかっていました。今までは、治るかもしれないという幻想に頼って真実を見つめる勇気が無かっただけなのです。パールは書きます「これは私にとって生きている限り感謝しなければならない出来事でした」。これを契機に、パールは娘を託すことの出来る施設を探し始め、やがて娘を施設に預けます。1930年のことでした。
・10年間の苦悩がパール・バックに真実を見つめることの大事さを教えました。娘の介護から解放された彼女は、堰を切るように小説を書き始め、中国を舞台にして「大地」、「息子たち」、「分裂せる家」等を次々に発表し、その作品は高く評価され、ノーベル文学賞を受けます。戦後、彼女は、賞金や印税のほとんどをつぎ込んで、「ウェルカムハウス」を設立します。戦時中、アメリカ軍は世界各地に進駐し、その結果、アジア人の母親との間に多くの混血児が生まれました。彼らはアジア人でもアメリカ人でもないために、多くが捨てられていきます。そのことを知ったパールは次々と混血児の里親を引き受けます。彼女は真実を見つめることによって、一人子キャロラインとの生活を失いますが、その代わりに多くの子どもたちの母親になりました。パール・バックは言いました「なんと私はたくさんの子宝に恵まれているのでしょう」。この物語が示すことは、救いは現実を見つめ、これを受け入れることなしには来ないということです。

3.回復の約束

・エレミヤは「現実を見つめ、神が何故このようにイスラエルを打たれるのかを知れ」と叫びましたが、人々は聞こうとしませんでした。エルサレムに神殿があり、ダビデの血を引く王がいる限り、神が国を滅ぼされることはないと安心していたのです。しかし、エレミヤの預言通り、エルサレムは廃墟となりました。その時、エレミヤは再び主の言葉を語り始めます「ここは廃虚で人も住まず、獣もいないと言っているこのユダの町々とエルサレムの広場に、再び声が聞こえるようになる。そこは荒れ果てて、今は人も、住民も、獣もいない。しかし、やがて喜び祝う声、花婿と花嫁の声、感謝の供え物を主の神殿に携えて来る者の・・・歌う声が聞こえるようになる」(33:10-11)。
・イスラエル王ゼデキヤは、現実から目をそむけ、エジプトを頼ったため、殺され、ダビデ王家は断絶しました。しかし、ダビデの末から再び王が立てられる日が来るとの回復の約束をエレミヤは聞きます。それが今日のテキスト、エレミヤ書33:14-15です「見よ、私が、イスラエルの家とユダの家に恵みの約束を果たす日が来る、と主は言われる。その日、その時、私はダビデのために正義の若枝を生え出でさせる。彼は公平と正義をもってこの国を治める」。正義の若枝、メシヤ降誕の約束です。このダビデ王家復興の約束が「メシヤはダビデの家から生れる」という信仰になり、そしてイエスは私こそ、「メシヤ、ダビデの子」だと宣言されました。
・今日の招詞としてエレミヤ書31:33を選びました。次のような言葉です「しかし、来るべき日に、私がイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、私の律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。私は彼らの神となり、彼らは私の民となる」。イスラエルの国は滅び、エルサレムは廃墟となり、王家は断絶し、神殿も破壊されました。人々は前途に何の希望も持つことが出来ません。その時、エレミヤは新しい契約の約束を聞きます。その契約は、旧い契約の更新ではありえません。旧い契約は破棄されました。仮に旧い契約を更新しても何の意味もないでしょう。「人の心はとらえ難く病んでおり」(17:9)、契約を更新しても、また人間の側から破るでしょう。救済は神の恵み以外にはありえないのです。新しい契約においては、「神がその律法を人間の中におき、心に記す」(31:33)ことが起きます。人の心が変えられることを通して新しい約束が成就するのです。イエスは最後の晩餐の時に弟子たちに杯を与えて言われました「この杯は、あなたがたのために流される、私の血による新しい契約である」(ルカ22:20)。新しい契約は、イエスの十字架の血により調印されたのです。新約の救いは十字架によって、徹底した砕きの上に来ます。そして、徹底して砕かれるためには、真実を見つめる勇気が必要です。
・先日、政府の教育再生会議が頻発するいじめ問題への対応として、緊急提言をまとめました。そのなかで「いじめは絶対許されない反社会的行為」としてその廃絶をうたっていますが、これも現実を見ない例の一つです。エレミヤは言います「エチオピヤ人がその皮膚を変えることができようか。ひょうがその斑点を変えることができようか。もしそれができるならば、悪に慣れたあなたがたも、善を行うことができる」(エレミヤ13:23)。人の本質は悪であり、人は罪人なのです。それを認めることなしには本当の回復はありません。いじめは人間が集団生活をおくる時に必然的に生じます。いじめはなくならないという現実をまず認め、その上で、傷ついた子どもたちをどのように回復させるかが問題なのです。日本では、癌の病名告知においても同じ問題が生じています。日本では多くの場合、癌であることを患者に知らせませんが、真実を隠してもそこからは何も良いものも生まれません。人間はいつか死ぬ、その死が今来ているのであれば、それを認めることから、真の回復が始まります。聖書は人間の現実を超えた神の現実を指し示します。エルサレムが廃墟になってもそこに再び笑い声が響くのです。人は死んでも復活することができるのです。その回復の約束を思い起こす時がクリスマスなのです。

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