江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2004年8月8日説教(1コリント11:17-26、共に食べなさい)

投稿日:2004年8月8日 更新日:

1.コリント教会における誤った晩餐式

・私たちの教会は毎月第一日曜日に主の晩餐式を行う。晩餐式の時に読む聖書個所が1コリント11:23-25だ。今日は、この箇所を通して、主の晩餐式とは何なのか、それは私たちに何を求めているのかを、共に学んでみたい。この箇所は、パウロがコリント教会で行われていた主の晩餐式のことを伝え聞いて、それで良いのかとコリントの人々を戒める文脈の中で語られている。

・コリントはギリシャの町であるが、当時はローマの植民地で、人口60万人の大都市であった。そのうち、自由人は20万人、奴隷は40万人であったという。教会には貧しい人々が多く集まったであろうから、教会員の大半は奴隷や解放奴隷で、中に一部裕福な人もいた。貧しい人々は日曜日も働かなければならなかったから、主日礼拝は朝ではなく、みんなが集まることの出来る夕方から持たれ、その中心は『主の晩餐』と呼ばれる共同の食事であった。また、初代教会においては、礼拝堂はなく、集まりは個人の家で為された(家の教会)。たくさんの人が集まるから、通常は大きな家を持つ、有力教会員の家で礼拝が持たれる。早く来た人たちは客間に座り、客間に入れない人たちは中庭に座って礼拝を守ったらしい。

・裕福な人たちは日曜日に働く必要はないから、夕方にはそれぞれの食べ物をもって家の客間に集まり、自分たちだけで祈って、パンを裂き、ぶどう酒を分けた。日が暮れると、貧しい教会員の人が一日の仕事を終え、おなかを空かして礼拝に来た。しかし、その時にはパンはほとんど残っていず、先に来た人たちはぶどう酒の酔いで顔を赤くしているという状況だった。

・そのような状況をパウロは聞き、それが主の晩餐としてふさわしいのか、キリストは何のために死んだのかとコリントの人々に手紙を出した。そして主の晩餐とは何であるかを説明するために、11章23節以下の有名な言葉を書いた。


2.主の晩餐とはキリストの死を告げ知らせるもの

・パウロは使徒たちから伝承として受け継いだ言葉をコリント教会に伝える。「主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、『これは、あなたがたのための私の体である。私の記念としてこのように行いなさい」と言われました』」(1コリント11:23-24)。主の晩餐式は、イエスが弟子たちとの最後の食事の時に、『私の全てをあなたがたにあげるから、あなた方は共に集まり、共に食べなさい』と言われたことを記念するものだ。共に食べてこそ意味があるのに、あなた方は、金持ちは金持ちで集まって豊かな食事を行い、貧しい人が遅れて来て、もう何も残っていないために、ひもじい思いで帰ることを何とも思わない。それがイエスの死を記念する共同の食事にふさわしいと思うのかとパウロは問う。

・パウロは伝承された言葉を続ける「食事の後で、杯も同じようにして、『この杯は、私の血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、私の記念としてこのように行いなさい』と言われました」(11:25)。何のために主は死なれたのか。あなた方を一つにするためではないか。あなた方が行う晩餐式は、教会を一つにする行為ではなく、教会を分裂させる行為だ。そのような晩餐式は主の晩餐式ではない。それは単なる飲み食いであり、教会の業ではない。

・そしてパウロは言い聞かせる「だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです」(11:26)。キリストが死んでくださったから、あなたたちは自分の罪を知り、悔い改めてここにいる。そしてキリストが再び来られて、完全な救いが実現する日が来ることを望んでいる。私たちはキリストの十字架とキリストの再臨という二つの出来事の間にいるのだ。バイオリンは上と下をきつく締めて、弦を強く張ることによってきれいな音色を出す。あなた方は弦が緩んだバイオリンではないか。どこにキリストの響きがあるのかとパウロはここで言っている。キリストは貧しい兄弟のためにも死なれたのだ。その兄弟を主の晩餐から締め出すということはキリストを締め出しているのだ。それがわかっているのか。

3.今日の晩餐

・「世界が100人の村だったら」という本がベストセラーになった。こういう内容だ「もし世界が100人の村だったら、・・・6人が全世界の59パーセントの富を持ち、80人は標準以下の住宅に住み、70人は読み書きが出来ない」。これを主の晩餐式に例えると次のようになろう。この会堂に100人の人がおり、晩餐式のために100個のパンが用意されている。司式者はまず有力な教会員10名を呼び、彼らに6個づつのパンを与える。次の10人には2個づつ、その次の10人には1個づつ、90個のパンは配餐されたが、まだ70人の人は受取っていない。そこで司式者は残り10個のパンをその代表に渡し、このパンをあなた方で分けてくださいと言う。もし、この教会でそのような主の晩餐式が行われたら、私たちは言うだろう「それは主の晩餐式ではない。私たちはそのような晩餐式を受けることは出来ない」。

・しかし、コリント教会で行われていた晩餐式はそのようなものだったし、現在の私たちの生活もそのようなものだ。コリントの人たちは主の晩餐式を、共同の食事として持った。だから豊かな人が貧しい人に分け与えないという罪が、目に見える形で明らかになった。今日の私たちは、主の晩餐式を、食事とは関係がない儀式としてしまった。その結果、現実の生活の中では、不公平な食べ物の分配が為されているのに、それを気づかないままでいる。しかし、共に分け合って食べていないという現実は何も変わっていない。パウロはコリント教会の人々に警告した「主の体のことをわきまえずに飲み食いする者は、自分自身に対する裁きを飲み食いしているのです。そのため、あなたがたの間に弱い者や病人がたくさんおり、多くの者が死んだのです」(1コリント11:29-30)。NHKスペシャル「63億人の地図」によれば、アフリカでは栄養不足と伝染病のため多くの子供たちが5歳になる前に死に、アメリカでは肥満のために生活慣習病が増大し、平均寿命が下がり始めている。パンがないと人は死ぬが、パンを食べ過ぎても人は死ぬ。コリント人への手紙が私たちに教えるのは、パンをたくさん手に入れることが祝福ではなく、パンを共に分けて食べることこそ祝福なのだと言うことだ。


4.教会を立てる

・今日の招詞に〓コリント3:2-3を選んだ。次のような言葉だ「わたしたちの推薦状は、あなたがた自身です。それは、わたしたちの心に書かれており、すべての人々から知られ、読まれています。あなたがたは、キリストがわたしたちを用いてお書きになった手紙として公にされています。墨ではなく生ける神の霊によって、石の板ではなく人の心の板に、書きつけられた手紙です。」

・コリント教会は問題のある教会だった。教会内で分派争いがあり、また今日見たように貧富の対立があった。熱狂主義者による教会の混乱もあったし、パウロに対する非難・中傷もあった。それにもかかわらず、パウロはコリント教会に書き送る。「私たちの誇りは、コリントの町にあなた方の教会を立てたことだ。私たちの推薦状はあなたがた自身だ。あなた方は正にキリストが書かれた生きた手紙なのだ」。

・私たちの教会も、コリント教会と同じように、多くの問題を抱えている。とても模範的な教会とは言えない。それにもかかわらず、私たちはキリストによって書かれた生きた手紙であり、神は私たちを用いて、この篠崎の地に福音を広めようとされている。この慰めをいただいて、私たちはこの教会を立てていく。

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