江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2004年10月17日説教(ピリピ3:10-21、天国の市民として生きる)

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1.死に急ぐ人々とパウロ

・最近、死に急ぐ若い人たちが増えている。先日、埼玉で、男女7人が車の中に練炭を持ち込んで、集団自殺した。新聞報道によると、それぞれがいろいろな悩みを持っていた。所沢の20歳の男性は定職についていないことを悩み、北海道に住む両親に相談していた。佐賀市の20歳の女性は、高校卒業後、定職が無く悩んでいて、最近は自宅でインターネットに浸る生活をしていた。東大阪の20歳男性は、2年続けて大学受験に失敗、4月から様子が変だった。これらの人々がインターネットを通じて知り合い、集まって、一緒に死んだ。一人では怖くとも仲間がいれば死も怖くなくなるのだろうか。昨年以来、このようにインターネットで知り合った人たちが集団で自殺する事件が相次いでいる。

・自殺する人のほとんどは、人間関係のストレスや喪失体験がきっかけになって、うつ状態になり、意欲や生命力が低下し、死を選んでいくと言われている。職が見つからない、希望の大学に入れない、育児ノイローゼになる、職場の人間関係に悩む、誰でもが経験している出来事が、ある人々にとっては死を選ぶ契機になる。死ねば、この苦しみが終わると思うからなのだろうか。このような形で人々が死んでいくのは、神の御心ではない。私たちは彼らのために何が出来るのだろうか。今日は、この答えを探すために、パウロがピリピの教会に書いた手紙を読んでみたい。

・パウロは言う「私たちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待っています」(3:20)。ピリピはローマの植民都市であった。ローマから遠く離れていたが、市民はローマ市民権を与えられ、ローマに属する者とされていた。ピリピの市民がローマ市民であるように、私たちも地上に暮らしていても、天国から派遣されている天国の市民なのだとパウロは言う。

・天国の市民であると言うことは、神が共にいて下さるということだ。私たちはこの地上で多くのものを失うかもしれないし、多くの人たちから捨てられるかもしれない。しかし、神が私たちを見捨てられることは決してない。神は私たちのために、キリストを遣わし、キリストは私たちの重荷を共に負って下さるのだから。キリストが共にいてくださるのであれば、私たちはどのような状況下でも喜ぶことが出来る。だからパウロは言える「主において常に喜びなさい。・・・どんなことでも思い煩うのは止めなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう」(ピリピ4:4-7)。

2.パウロの置かれた状況

・ピリピ3章を注意深く読めば、パウロの置かれた状況は平坦なものではなかったことがわかる。パウロには多くの反対者がいた。一つは律法主義者で、彼らは「クリスチャンになっても、割礼を受け、律法を守らないと救われない」と主張していた。3章2節でパウロは書く「あの犬どもに注意しなさい。よこしまな働き手たちに気をつけなさい。切り傷にすぎない割礼を持つ者たちを警戒しなさい」。律法主義者は律法を守ることによって人は救われると主張した。律法を守る、頑張った人、功績をあげた人だけが救われると言う考え方だ。私たちも言う。「こんなに頑張ったのだから評価して欲しい」。彼らは自分の立派さ、自分の完成だけを目指して、修行し、禁欲する。自分が禁欲する人は、そうしない人たちを否定し、彼らを救いから締め出してしまう。

・他方の反対者は快楽主義者だった。彼らは、自分達は恵みの中にいるのだから何をしてもかまわない、神はいつも赦して下さるのだからと主張していた。パウロは言う「彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えていません」(3:19)。これは私たちも陥りやすいわなだ。援助交際をする人は言う「自分の体だから、何をしても私の自由だ」。自殺する人も言う「自分の命だから、人にとやかく言われる筋合いはない」。快楽主義者は自分のへそばかり見つめることによって、他者との関係を切ってしまう。彼らは、「腹を神とし、この世のことしか考えていない」のだ。

・禁欲主義者も快楽主義者も自分のことしか考えず、そのことにより他者を救いから締め出す。そして他者を締め出す人は、自分の命をも締め出す。自分のために生きる人は、その自分が徹底的に否定された時に立ち直ることが出来ない。パウロはこの手紙をローマの獄中から書いたと言われている。彼は手紙の冒頭で、旧知のピリピ教会の人々に言う「兄弟たち、私の身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい。つまり、私が監禁されているのはキリストのためであると、兵営全体、その他のすべての人々に知れ渡り、主に結ばれた兄弟たちの中で多くの者が、私の捕らわれているのを見て確信を得、恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになったのです」(ピリピ1:12-14)。パウロは獄中にあることをむしろ喜んでいる。獄中でパウロが気力を失わずにいる姿を見て、大勢の人が励まされているからだ。

3.死ぬなと言われる神

・今日の招詞に、ピリピ1:21−24を選んだ。次のような言葉だ「私にとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。けれども、肉において生き続ければ、実り多い働きができ、どちらを選ぶべきか、私には分かりません。この二つのことの間で、板挟みの状態です。一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。だが他方では、肉にとどまる方が、あなたがたのためにもっと必要です」。

・7人の集団自殺を伝える同じ日の新聞は、クリストファー・リーブの死去を伝えていた。リーブは映画「スーパーマン」の主演男優として有名だったが、1995年落馬事故により脊髄を損傷し、全身麻痺になり、人工呼吸器を用いる車椅子の生活になった。彼は忍耐の要る治療と厳しい訓練を通して、体を鍛え、手や足の一部を動かせるようになった。この自己に対する努力や治療を行うと同時に、同じ苦しみを持つ人々を支援するための活動も始めた。麻痺に苦しむ人のために4千万ドル(40億円)の資金を提供して、「クリストファー・リーブ麻痺財団」を設立、多くの研究機関に資金を提供し、切れてしまった神経を繋ぎ直す研究や脊髄の再生の研究が進んだ。このリーブの貢献によって、10年以内には、脊髄麻痺の人が再び自分の足で歩くことも夢で無くなったと言われている。リーブは事故を通して、他者のために生きることを示され、そのことが多くの人々に励ましを与えた。同じ挫折に遭って、ある者は死を選び、ある者は他者のために行き始める。何が二人を分けるのか。

・パウロは今、ローマの獄中に監禁されている。やがて彼はローマ皇帝ネロにより殺される。殉教を前にして彼はピリピの教会に書き送っている。「一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。だが他方では、肉にとどまる方が、あなたがたのためにもっと必要です」。私はまもなく死ぬだろう。死は私には休息になるだろう。今まで、走りつくしてきたのだから。死んでこの世の仮住まいから天の家に行って休息した。でも、私が生きている方があなた方に必要である限り、私は生きていたい。

・神を信じる人は自己が否定されても、倒れることはない。現実がどのように苦しくとも、それも神の導きの中にあることを知るゆえ、苦しみが喜びに変わる日が来ることを信じるからだ。集団自殺をした人たちが、生前にこのパウロの言葉に接していれば、彼らは自殺を思いとどまったかもしれない。私たちは天国の市民として神から派遣されてここにいる。それは神から預かった言葉を伝えるためだ。今回の集団自殺で主導的役割を果たしたのは、東京の34歳の主婦だったと言う。彼女は二度結婚し、二人の子供がいた。二度目の結婚に失敗し、今回自殺を選んだが、幼い二人の子供はこれから茨の道を歩むだろう。自分のことに囚われた人は他者を滅ぼすのだ。私たちは、人が受け入れようが受入れまいが、福音を伝える努力をしなければいけない。「あなたは生かされているのであって、神は死ぬな、生きよと言われている」、それを伝えるために、私たちはこの教会に集められ、神の言葉を戴いているのだ。

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