1.シケムでの虐殺事件
・創世記のヤコブ物語を読み続けています。ヤコブは様々な術策を用いて人生を勝ち抜いてきた人です。名前のヤコブは足のかかとをつかむ者(欺く者)を意味します。しかし彼は神との出会いを通じて変えられ、イスラエル(神の戦士)へと名を変えるように命じられました。ヤコブはメソポタミヤのハラン(パダン・アラム、現在のイラク)での苛酷な20年間の働きを終え、故郷カナンに戻ってきました。ヤコブはメソポタミヤで二人の妻が与えられ、最初の妻レアは6人の子を産み、二人の側女から4人の子が、最愛の妻ラケルからヨセフとベニヤミンが生まれます。この十二人の子がやがてイスラエル十二部族を形成します。
・カナンの地に戻ったヤコブは、ヨルダン川沿いのシケムの土地を買い、そこに祭壇を建てて住みます。ヤコブと一族は長期にわたってそこに住み、息子たちもその地で成人になっています。しかし、そのシケムで、娘のディナが土地の男に陵辱されるという出来事が起こりました「ある時、レアとヤコブとの間に生まれた娘のディナが土地の娘たちに会いに出かけたが、その土地の首長であるヒビ人ハモルの息子シケムが彼女を見かけて捕らえ、共に寝て辱めた」(34:1-2)。
・報告を聞いたヤコブの息子たちは激しく憤ります「ヤコブの息子たちが野から帰って来てこの事を聞き、皆、互いに嘆き、また激しく憤った。シケムがヤコブの娘と寝て、イスラエルに対して恥ずべきことを行ったからである。それはしてはならないことであった」(34:5-7)。やがてシケムの父ハモルがヤコブと話し合うためにやってきて、和解の申し出を行います「息子のシケムは、あなたがたの娘さんを恋い慕っています。どうか、娘さんを息子の嫁にしてください。お互いに姻戚関係を結び、あなたがたの娘さんたちを私どもにくださり、私どもの娘を嫁にしてください。そして、私どもと一緒に住んでください」(34:8-10)。
・ヤコブの息子たちは「無割礼の異邦人に妹が汚された」として、策略を用いて、彼らへの報復を図ります。息子たちは「シケムの人々が割礼を受けるならば、ディナと婚姻を認める」と嘘の申し出を行い、シケムの人々は申し出を受け入れ、割礼を受けることを決定します(34:18-24)。割礼は男性性器の一部を切り落とすため、傷がいえるまでに相応の時間を必要します。シケムの男たちが割礼を受けてその傷に苦しんでいる処をヤコブの子たちは襲い、男たちを皆殺しにし、家畜や女、子供たちを略奪します。「三日目になって、男たちがまだ傷の痛みに苦しんでいた時、ヤコブの二人の息子、つまりディナの兄のシメオンとレビは、めいめい剣を取って難なく町に入り、男たちをことごとく殺した」(34:27)。
2.シケムからベテルへ
・息子たちが土地の住民たちを皆殺しにするという騒ぎを起こし、ヤコブ一族はシケムに住み続ける事が出来なくなりました。ヤコブは息子たちの行為を非難しますが、もはや息子たちを統制できません。彼は愚痴をこぼします「困ったことをしてくれた。私はこの土地に住むカナン人やペリジ人の憎まれ者になり、のけ者になってしまった。こちらは少人数なのだから、彼らが集まって攻撃してきたら、私も家族も滅ぼされてしまうではないか」。騒乱の中心になったシメオンとレビは言い返しました「私たちの妹が娼婦のように扱われてもかまわないのです」(34:30-31)。出来事において、ヤコブは何の主導権も発揮できず、息子たちが全てを決定しました。息子たちの愚行により、ヤコブはシケムを離れ、ベテルに向かいます(35:1)。
・34章の物語の背景にはカナン定住時のイスラエル12部族の歴史があると言われています。定住したイスラエル民族のうち、中央カナンのシケムにはシメオン族とレビ族が配置されますが、やがてシメオン族はシケムから南ユダに追放され、レビ族は領土を失くして各部族の間に散らされます。シメオンもレビも愚かな行為の罰を受けたのです。そしてイスラエル各部族はそれ以降、異民族との結婚を禁止します。ヤコブ一族はベテルに移りますが、ベテルはヤコブが故郷を追われて荒野を放浪していた時、始めて神と出会った場所でもありました。「ヤコブは、家族の者や一緒にいるすべての人々に言った。『お前たちが身に着けている外国の神々を取り去り、身を清めて衣服を着替えなさい。さあ、これからベテルに上ろう。私はその地に、苦難の時私に答え、旅の間私と共にいてくださった神のために祭壇を造る』」(35:2-3)。
・ヤコブはベテルに上るために、全ての異教の偶像を捨て、身を清めるように家族に命じます。神が共におられるならば、もはや偶像は要らない。やがてベテルはイスラエル民族の聖地となります「人々は、持っていた外国のすべての神々と、着けていた耳飾りをヤコブに渡したので、ヤコブはそれらをシケムの近くにある樫の木の下に埋めた。こうして一同は出発したが、神が周囲の町々を恐れさせたので、ヤコブの息子たちを追跡する者はなかった」(35:4-7)。
3.ベテルにて
・ベテルに戻ったヤコブに神が再び現れ、祝福されます。そしてヤコブに、名前を、ヤコブ(欺く者)からイスラエル(神の戦士)へと変えるように命じられました。「ヤコブがパダン・アラムから帰って来た時、神は再びヤコブに現れて彼を祝福された。神は彼に言われた。『あなたの名はヤコブである。しかし、あなたの名はもはやヤコブと呼ばれない。イスラエルがあなたの名となる』。神はこうして、彼をイスラエルと名付けられた」(35:9-10)。イスラエルに、多くの子孫とカナンの地を与えるとの祝福が為されます「私は全能の神である。産めよ、増えよ。あなたから一つの国民、いや多くの国民の群れが起こり、あなたの腰から王たちが出る。私は、アブラハムとイサクに与えた土地をあなたに与える。また、あなたに続く子孫にこの土地を与える」(35:11-12)。
・ヤコブの妻ラケルはヨセフを産んだ後、もう一人の子が与えられるように願います。彼女の願いは適えられ、二番目の子ベニヤミンが与えられましたが、それは彼女の命と引き換えでした「一同がベテルを出発し、エフラタまで行くにはまだかなりの道のりがある時に、ラケルが産気づいたが、難産であった・・・ラケルが最後の息を引き取ろうとする時、その子をベン・オニ(私の苦しみの子)と名付けたが、父はこれをベニヤミン(幸いの子)と呼んだ」(35:16-18)。ヤコブはラケルがベン・オニ(苦しみの子)と名づけた末子を、ベニ・ヤミン(幸いの子)と呼びなおします。ラケルが葬られたのはエフラタ(今日のベツレヘム)でしたが、イスラエル民族はラケルを民族の母と慕い、彼女の死を悼みました。
・彼らはやがて悲しい出来事があると「ラケルが子らのために泣いている」と語るようになります。後の預言者エレミヤはイスラエルの民がバビロンに捕囚になり、その地エフラタを通った時、「ラケルが泣いている」と形容しました「ラマで声が聞こえる、苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。ラケルが息子たちのゆえに泣いている。彼女は慰めを拒む、息子たちはもういないのだから」(エレミヤ31:15)。マタイはヘロデ王がベツレヘムの幼子を虐殺した時、同じように「ラケルが泣いている」と表現しました「ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って・・・ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。『ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから』」(マタイ2:16-18)。旧約の物語が新約聖書に継承されています。
4.寄留者ヤコブ
・今日の招詞にヘブル11:13を選びました。次のような言葉です「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです」。ヤコブは晩年には子供たちを抑制できなくなりました。旅の途上で長男ルベンはヤコブの寝所に入り、側室ビルハと寝ています。父の妻を奪う、老いた父に代わって、自分が指導者になるとの意思表示です(創世記35:22a)。老年に達したヤコブはもう長男を制裁することはできません(ヤコブは死の床で、長男ルベンから長子権をはく奪しています(創世記49:3-4)。
・ヤコブは12人の息子を得ましたが、ヤコブの祝福はラケルの子ヨセフに継承されていきます。「ヤコブの息子は十二人であった。レアの息子がヤコブの長男ルベン、それからシメオン、レビ、ユダ、イサカル、ゼブルン、ラケルの息子がヨセフとベニヤミン、ラケルの召し使いビルハの息子がダンとナフタリ、レアの召し使いジルパの息子がガドとアシェルである。これらは、パダン・アラムで生まれたヤコブの息子たちである」(35:22b-26)。ヤコブ物語は35章で終わり、36章のエソウの系図を挟んで、37章からはヨセフ物語に移っていきます。
・ヤコブの生涯は寄留者の生涯でした。彼はベエルシバに家族と共に住んでいましたが、兄エソウの長子権を騙し取ったことで流浪の生涯が始まります。ベエルシバを逃れたヤコブはベテルで神と出会い、約束を受けてハランに行きます。ハランでの20年間、神はヤコブを守り、彼に家族と財産を与えます。帰郷したヤコブはペヌエルで神と出会い、エソウと和解することも出来ました。一族はシケムにしばらく住みますが、そこは本来の地ではないことを知らされ、やがてベテルに導かれます。ヤコブは死を前にした最晩年に語ります「私の旅路の年月は百三十年です。私の生涯の年月は短く、苦しみ多く、私の先祖たちの生涯や旅路の年月には及びません」(創世記47:9)。彼は自らを寄留者であったと告白します。
・旧約聖書においては「寄留者」という言葉は深い意味を持ちます。信仰の祖アブラハムは、神の呼びかけに従い、故郷を捨てて出て行きました。神は「寄留者」アブラハムとその一族を用いて世を救おうと決意されたのです。出て行った先で、彼は様々の失敗を繰り返し、道徳的には許しがたい多くの罪も犯しました。決して品行方正の人ではなかった。にもかかわらず、彼は神の約束にしがみついていきました。そのアブラハムが地上で手に入れたのは、妻と自分を葬るための小さな墓所のみでした(創世記25:10)。しかしアブラハムは「人生に満ち足りて死にました」。
・出エジプトを導いたモーセも同じく寄留者でした。香山洋人牧師は語ります「モーセはエジプトで失敗し、殺人犯としてお尋ね者となり、遠くミディアンまで逃げていく・・・外国で暮らすモーセは、そこで結婚し家庭を築くが、子供にゲルショムと名づけた。これはモーセが『私は外国にいる寄留者(ゲール)だ』と言ったことに由来する。モーセはエジプトでヘブライ人たちの蜂起を先導しようとして失敗、仲間から受け入れられず、エジプト人殺しを密告されて指名手配となり、外国で亡命生活を送っている。それ故に子にゲルショムという名をつけた」(香山洋人「寄留者モーセ」から)。
・寄留者は世捨て人ではありません。寄留者が神に出会い、使命を与えられた時、彼は「神の器」として生き始めます。モーセは荒野で主なる神と出会い、神から「エジプトの同胞たちを救え」との使命をいただき、逃げてきたエジプトに再び帰って行きます。そこから「出エジプト記」の物語が始まります。私たちにもそれぞれの使命が与えられています。寄留者ですから、私たちは必要以上のお金は必要としません。寄留者ですから、私たちはこの世の栄達を求めません。寄留者ですから、神から与えられた人生を一生懸命に生き、時が来れば、天に帰って行きます。そしてこの地上には「私たちの遺体を葬るための身体の大きさの墓穴」が残されます。
・日本の国においてキリスト者になるということは寄留者、アウトサイダーになることです。しかしアウトサイダー、外側に立つ人間になることによって、はじめて真実の日本人になることが出来ます。それこそが「地の塩」、「天に国籍を持つ」者としての生き方です。へブル書は私たちに主の約束を伝えます「主ご自身がこう言われるのです。『私は決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない』」(13:5)。この約束の言葉を信じて、私たちはこの世の人生を寄留者として歩み続けます。