1.バベルの塔
・創世記11章は「バベルの塔の物語」です。創世記は1-11章が原初史で、バビロン捕囚時代に最終編集されたと言われています。イスラエルは紀元前587年、祖国をバビロニア帝国に滅ぼされ、指導者たちは異国の地バビロンに捕囚となりました。「自分たちは神に選ばれた民である」という誇りを持っていたイスラエルにとって、この亡国・捕囚の出来事は衝撃的でした。神は何故「選ばれた民」である自分たちを捨てられたのか、自分たちは異国の地で滅び去るのか、彼らは苦悩します。70年に及ぶ捕囚の中で、彼らは祖先から伝えられた伝承を調べ、その記録がやがて創世記といわれる書にまとめられていきました。
・その中で創世記11章はどのような意味を持っているのでしょうか。11章は記します「世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。彼らは『れんがを作り、それをよく焼こう』と話し合った。石の代わりにれんがを、漆喰の代わりにアスファルトを用いた。彼らは『さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう』と言った」(11:1-4)。シンアルの地とはバビロニアを指し、物語はメソポタミアの歴史を背景にしています。メソポタミアでは、複数の町で最上階に神殿を築いた巨大な方形の塔(ジッグラト)の廃墟が発見されています。バビロンで見つかった粘土板に楔形文字で記された物語によれば、この塔の土台は幅と奥行が約90メートル、高さは90メートルほどあったといいます。バベルの塔のモデルになったのは、このジグラットだといわれます。高さ90メートルは現代のビルでいうと30階建の高層ビルです。3000年前の人々が30階建てのビルに相当する建物を建造する技術を持っていたことは驚くべきことです。そして、それを可能にしたのは、「日干し煉瓦とアスファルト」という、それまでの「石と漆喰」に代わる新しい素材でした。技術革新が高層ビルの建設を可能にしたのです。
・国を滅ぼされたイスラエル人は強制的にメソポタミア地方に移住させられ、首都バビロンで天にそびえる高い塔を見せられます。バビロニア人はその塔を「エ・テメン・アンキ」(天と地の基礎なる家)と呼び、「これこそ神が立てられた世界の中心だ、我々こそ世界を治める民族であり、塔はそのしるしだ」と誇りました。敗戦国イスラエルの民は屈辱の中でその言葉を聞き、そのようなバビロニア人の傲慢を主なる神は決して赦されないと思い、その思いがバベルの塔の崩壊物語を書かしめたのではないかと言われています。
2.神のようになろうとする人を神は砕かれた
・バベル(神々の門、バビロンのヘブライ語読み)に代表される大都市は、古代文明の担い手であり、その首都にそびえる神殿の塔は、王国の政治的・宗教的権力の象徴でした。都市を拠点とするアッシリア帝国やバビロニア帝国は、周辺の国々を制圧し、併合して、支配体制に組み込んでいきました。「天まで届く塔のある町を建て、有名になろう」、自分たちこそ世界の中心だと彼らは誇ります。「全地に散らされることのないようにしよう」、敵に占領されて民族が滅びることがないように相手を威嚇します。同時にノアの洪水を見て来た私たちには、「たとえまた大洪水があっても自分たちは再び散らされない、この塔を超える洪水などありえない」と誇る声が聞こえるようです。ノアの洪水はメソポタミアの大洪水伝承を基にして書かれています。私たちの国は3.11の大津波で、三陸沿岸が大きく被災し、国は津波対策として海岸沿いに巨大防潮堤を建設しました。10メートルを超える防潮堤が何十キロも続き、海が見えない海岸線が生まれています。他方、防潮堤の内側では人口減少が進み、ある学者(小熊英二)はこの現象を「ゴーストタウンから死者は出ない」と語ります。自然を克服できると考える現代人は、バベルの塔を建造した古代人の姿と重なります。
・その巨大な塔をみた捕囚の民イスラエルは思いました「神は人間の傲慢を許されず、それを断ち切ろうとされる方だ」と。その思いが5節以下の記述にあると思われます。「主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、言われた『彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう』」(11:5-7)。古代の中央集権帝国は歴史の流れの中で滅んでいきます。アッシリア帝国は紀元前612年に滅亡し、バビロニア帝国も紀元前539年に滅びます。バベルの塔について作家の三浦綾子さんは語ります「バベルの町を造ろうとした人々は、神の域に迫ろうとしたのだ・・・自分を神と等しい高さに置こうとしたのだ。これが人間の陥りやすい傲慢であり、既に陥っている傲慢なのだ。私たちは神の座を侵そうとして、逆に建てかけた塔と町を置いてちりじりに散っていくバベルの人々の惨めな姿を笑うことが出来ない」(「旧約聖書入門」)。
・バベルの塔の物語は私たちに何を伝えるのでしょうか。「文明や技術の進歩が人間に何をもたらすのかを見つめよ」とのメッセージがそこにあるような気がします。人々は「石の代わりにれんがを、漆喰の代わりにアスファルトを用いて」、高い建築物を造ることができるようになりました。技術革新がそれを可能にしました。創世記4章によると、青銅や鉄を人間が見出したのは、レメクの子トバルカインの時であるといわれています。「チラもまたトバルカインを産んだ。彼は青銅や鉄のすべての刃物を鍛える者となった」(創世記4:22)。
・「刃物を鍛える」、人類最初の発明は、人を殺す為の銅や鉄の精錬でした。創世記記者はそこに「人間の罪」を見据えています。アルフレッド・ノーベルは土木工事や鉱山開発のための道具としてダイナマイトを発明し、それにより生産性は上がりましたが、やがてダイナマイトは人間を殺すための爆弾に転用されていきます。ノーベルがその遺産の全てを投じてノーベル賞基金を作り、平和賞を設けたのも、自分の発明が戦争に用いられ、多くの人命を奪うものになった、その悔い改めのためだと言われています。また人間は原子力を用いて病気を診断し治療し(X線や放射線治療)、発電に応用する(原子力発電)ようになりますが、その原子力も軍事転用されて核爆弾を生み、ヒロシマ・ナガサキで用いられ、驚異的な破壊力を見せつけました。
・2001年にアメリカで起きた同時多発テロによるNY国際貿易センタービルの崩壊は、現代のバベルの塔の崩壊と呼べるかもしれません。アメリカの繁栄を象徴する110階建てのツインタワーが、テロリストに乗っ取られた旅客機の突入によりもろくも崩れていった光景を、私たちは深夜のTV中継で見ました。そして火災になったビルの窓から人々が飛び降りる光景を見て驚愕しました。ビルの高さは411m、まさに摩天楼(英語でsky scraper,空をかすめる建物)でした。そのビルが無残にも崩壊しました。テロリストたちから見れば、このビルは世界を支配しようとするアメリカ帝国の傲慢の象徴だったのです。
・2011年に起きた福島原発事故もまた、現代の「バベルの塔崩壊」と言えます。事故が問いかけるのは、「人間は原子力や核廃棄物を管理できるのか」という問題でした。今回の事故は津波により核燃料の冷却ができなくなり、核燃料がメルトダウンし、放射性物質を拡散させました。さらに破損した核燃料をどのように安全に取り出すのか、いまだに未知の段階です。自己から10年たった今も核燃料の取り出しはできず、そのため原子力処理水の問題をめぐって東北の魚介類を輸入停止とする国も現れ、漁業に大きな影響を与えています。現在の技術では、使用済み核燃料(核廃棄物)を完全に無害化することはできず、最終処分の方法が見出せないことも明らかになりました。「技術開発の結果生まれたものは何だったのか。それは人を幸せにしたのか」とバベルの塔の物語は問いかけます。今回の原発事故をある人は、「神の領域を侵した人間の傲慢が砕かれた、現代のバベルの塔ではないか」と語ります。
3.バベルの崩壊によって新しいものが生まれた
・神はバベルの塔の建設を中断させられました。創世記は語ります「主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである」(11:8-9)。神はバベルの塔の建設をしていた人々の言葉を散らされ、互いに言葉が通じなくなり、その結果、共同作業が出来なくなって、塔の建設は中断され、人々は全地に散っていきます。人間の傲慢・驕り高ぶりが社会の一致を破り、通じ合う心を乱し、世を分裂させたのです。
・しかし、神は洪水からノア一族を救われたように、バビロニアの地から一人を選び出し、彼を通して、人類を救おうとされます。それが創世記12章から記されるアブラハムから始まるイスラエル民族の歴史です。アブラハムの出身地はメソポタミアのハランでした(11:31)。今日の招詞に創世記12:1-3を選びました。次のような言葉です「主はアブラムに言われた『あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、私が示す地に行きなさい。私はあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の基となるように。あなたを祝福する人を私は祝福し、あなたを呪う者を私は呪う。地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る』」。「地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る」、アブラハムの末裔から、イエス・キリストが生まれます。イエスが地上の生涯を終えられた時、神は弟子たちに聖霊を下され、それぞれの民族にその国の言葉で福音が語られました。キリストの十字架を通して、自己中心の思いが砕かれ、相手との交わりが始まった時に、言葉は再び通じるようになることを使徒言行録は示します(使徒2:7-8)。
・神の不思議な業は今日でも継続しています。福島原発事故を通して、ドイツやスイスでは今後は原子力発電所を新しく造らず、既存発電所も耐用年数が来れば廃棄すると発表しました。日本では原子力発電所再稼働の方向で進んでいますが、どこかの段階で見直しが必要になると思われます。福島県双葉郡の被爆地を訪問したことがありますが、町はゴーストタウンになっています。立ち入り制限区域にあるため津波の跡が生々しく残り、津波被害を受けなかった地域では家々が元のままに残されていましたが、人影は全く途絶えていました。除染作業は進んでいますが、帰還の目途は立っていません。あの光景を見れば誰でも原発再稼働に反対するでしょう。
・原発は万一の事故があれば、地域から人を「散らして」しまいます。私たちはこのことの意味を考えるべきです。原発依存を低下させ、自然エネルギー開発に注力するという政策変更がなければ、大きな被害をもたらした今回の事故の意味がないと思われます。また住むべき処ではない埋め立て地(東京の豊洲・東雲地区等)に巨大な高層マンションを建てることの危険性も考えるべき問題です。50年後・100年後、直下型の大地震があれば豊洲や東雲は廃墟に、バベルの塔になりかねない。バベルの塔が崩壊した記事は私たちに、新しい良いものを生み出す努力を求めています。