1.アンティオキア教会の誕生
・エルサレムに始まった教会はペテロやヨハネ等のガリラヤ人の弟子たちを中心にした集まりでした。彼らは信仰的には「律法を守り、神殿を尊ぶ」、保守的なユダヤ教徒でした。そのためユダヤ教会も彼らの存在を容認しましたが、ギリシア語を話すユダヤ人たち(ヘレニスタイ)と呼ばれる人々が教会に入ってくると、少しずつ教会が変わり始めます。彼らは「人はイエスの十字架の贖罪を通して救われる、律法や割礼は不要だ」と説き、「神は人が造った神殿には住まわれない」と公言します(7:49-50)。これは神殿礼拝や割礼を大事にするユダヤ教徒には我慢が出来ない異端であり、ギリシア語系キリスト教徒たちはエルサレムを追われて、サマリアやシリアに逃れて行き、散らされていった信徒たちの一部はシリア州のアンティオキアにまで行きます。その地での宣教は当初はユダヤ人に限られていましたが、次第に異邦人たちも教会の輪の中に加えられていき、その地で彼らが初めて「キリスト者」(クリスティアノス)と呼ばれるようになります。ユダヤ教の枠を超えたキリスト教会がここに誕生します。
・ルカは記します「ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった。彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた」(11:19-20)。アンティオキアはシリア州の州都で当時はローマ、アレキサンドリアに次ぐ大都市でした。そこにはシリア人を始め、ギリシア人、ローマ人等の多様な民族の人びとが住んでおり、ギリシア語が共通語として話されていました。エルサレムを追われたギリシア語を話す弟子たちは、最初はユダヤ人に、次第に異邦人への宣教を行いました。ルカは「主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった」(11:21)と記します。原語を直訳すると、「主のみ手が彼らと共にあったので」、大勢の人々が教会に集められ、信仰者が生まれて行きました。
・この知らせが母教会のエルサレム教会にも伝えられ、教会は支援のためにバルナバを派遣します。「教会はバルナバをアンティオキアへ行くように派遣した。バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧め・・・多くの人が主へと導かれた」(11:22-24)。バルナバはキプロス出身のユダヤ人で、かつてパウロがエルサレムを訪問した折、パウロをエルサレム教会に紹介する労をとった人であり、柔軟な考え方を持つ人でした。彼は今後の異邦人伝道のためには、既にダマスコやタルソスでの豊富な伝道体験を持つパウロが必要だと考え、故郷のタルソスで活動していたパウロをアンティオキアに招きます(11:25-26)。ここで、将来の大伝道者パウロが初めて歴史の舞台に登場します。
・このアンティオキアで、教会の人々は初めて「クリスティアノス」と呼ばれるようになります(11:26)。クリスティアノス、クリストス(キリスト)に属する人々を意味するあだ名です。彼らはもはやユダヤ教の枠内に留まる集会ではなく、「キリストの教会」へとなっていったのです。エルサレム教会の中心になったのは、ペテロやヨハネ等ガリラヤ以来のユダヤ人の弟子たちで、彼らは信仰的には「律法を守り、神殿を尊ぶ」ユダヤ教徒で、あくまでも「ユダイオン」(ユダヤ教徒)であり、誰も彼らを「クリスティアノス」とは呼びませんでした。一方、アンティオキア教会を形成したのはギリシア語を話すユダヤ人たち(ヘレニスタイ)で、彼らは「救われるために律法や割礼は不要だ」と説き、「神は人が造った神殿には住まわれない」と公言します(7:49-50)。体制の枠内でイエスの言葉を聞き続ける限り、迫害はありません。イエスはユダヤ教の枠組みを大きく超えたために殺された、人々がそのイエスの言葉に文字通り従い始めた時、体制側からの迫害が始まります。しかし迫害を通して散らされたことにより、福音がより広い地域に伝えられていきます。後のキリスト教会を形成したのはエルサレム教会等の体制派の人々ではなく、迫害されて追放されていった反体制の人々です。そして彼らこそ「キリスト者=クリスティアノス」と呼ばれた人々でした。
2.アンティオキア教会の働き
・そのアンティオキア教会はどのような教会だったのでしょうか。使徒言行録13:1に教会の主な指導者たちの紹介があります「アンティオキアでは、そこの教会にバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいた」。「バルナバ」はキプロス島出身、「シメオン」はニゲル=ニグロと呼ばれていますので、おそらくはアフリカ出身の黒人です。「キレネ人のルキオ」、北アフリカ・クレネ(今のリビア)の出身です。「領主ヘロデと一緒に育ったマナエン」、ガリラヤ出身の身分の高いユダヤ人です。最後に「パウロ」、キリキア州タルソス出身のユダヤ人です。アンティオキアそのものも、シリア人、ギリシア人、ローマ人、ユダヤ人等が混在する国際都市でした。それを反映して、教会に集まっていた人たちも様々な出身の人々が集う国際教会でした。それぞれが違う伝統、異なる国民性を持っている教会で、そこでは割礼を受けなければ救われないとか、エルサレム神殿の犠牲奉献により罪が赦される等の教理は何の力も持っていません。ですからそこに、「イエス・キリストのみに従う」信仰者の集団が生まれたのです。
・新しく生まれた教会は、自分たちだけの救いに執着しませんでした。そのころエルサレム教会では飢饉のために困難が生じ、アンティオキア教会に災害支援の要請が来ます。「預言する人々がエルサレムからアンティオキアに下って来た。その中の一人のアガボという者が立って、大飢饉が世界中に起こると“霊”によって予告したが、果たしてそれはクラウディウス帝の時に起こった。そこで、弟子たちはそれぞれの力に応じて、ユダヤに住む兄弟たちに援助の品を送ることに決めた」(11:27-29)。
・アンティオキア教会はギリシア人中心の教会でした。他方、エルサレム教会はユダヤ人教会です。そのエルサレム教会からの支援要請を受けて、彼らは見ず知らずの兄弟たちのために金品を捧げます「弟子たちはそれぞれの力に応じて、ユダヤに住む兄弟たちに援助の品を送ることに決めた」。エルサレムはアンティオキアから500キロも離れています。距離的に遠い、そして見知らぬ人々の教会へ、自分たちの資金を提供することを始めたのです。この事が示しますのは「神はご自分の創造された世界で、私たちキリスト者を用いて世を救おうとされる」ということです。
・「信徒の神学」を書いたヘンドリック・クレーマーは語ります「神は世と関わりを持たれる方であるゆえに、教会もまた世のために存在する。しかし、現実には、教会の関心は、それ自身の増大と福祉に注がれてきた。教会は自己中心的に思考し、世に対する関心は二次的であった。信徒は世にあり、世のもろもろの組織・企業・職業の中にくまなく存在する。その場所こそ彼らの宣教の場所だ。世にあるキリスト者、それが信徒であり、教会はその信徒を助け支える役割を持つ。教会は信徒を通じて、この世にキリストのメッセージを伝えていく。信徒こそが世に離散した教会である」。人が自分はキリスト者(クリスティアノス)であるという自覚を持つ時、教会は世に仕える共同体になります。
3.キリスト者として生きる
・今日の招詞にコヘレト3:18-21を選びました。次のような言葉です。「神が人間を試されるのは人間に自分も動物にすぎないということを見極めさせるためだ、と。人間に臨むことは動物にも臨み、これも死にあれも死ぬ。同じ霊をもっているにすぎず、人間は動物に何らまさるところはない。すべては空しく、すべては一つのところに行く。すべては塵から成った。すべては塵に返る。人間の霊は上に昇り、動物の霊は地の下に降ると誰が言えよう」。人は何故クリスチャンになるのでしょうか。それは神無き世界はあまりにも虚しく、その栄華はやがて過ぎ去るからです。世の人々は神を信じませんので、「人間も動物に過ぎないから肉の楽しみを求めよう、死ねばすべてが終わるから生きているうちに楽しもう」と考えます。そして死を目の前から隠してしまいます。しかし死は厳然とあり、その時が来れば人生の楽しみも終わります。人間の人生が死ですべてが終わるとすれば、その人生は「虚しい」ものに終わります。
・それに対してクリスチャンは死後の命を信じることができます。内村鑑三の書いた本に「後世への最大遺物」があります。講演会の口述筆記ですが、その中で内村は言います。「私に五十年の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、我々を育ててくれた山、河、これらに私が何も遺さずには死んでしまいたくない」。では何をこの世に残していこうか。内村は語ります「社会が活用しうる清き金か。田地に水を引き、水害の憂いを除く土木事業か。書いて思想を遺すことか。教育者となり未来を担う者の胸に思想の種をまくことか。これらは遺すべき価値あるものである」。しかし、「誰でも残せる、そして他の人にも意味のある遺物こそは、“高尚なる勇ましい生涯”だ」と内村は語ります。彼は最後に述べます「この世の中は悪魔が支配する世の中にあらずして、神が支配する世の中であることを信ずることである。失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずることである・・・その考えを我々の生涯に実行して、その生涯を世の中の贈り物として、この世を去るのである」。クリスチャンはどのような時も希望し、生涯を世の中の贈り物としてこの世を去ることができると内村は語ります。
・死後の世界に最大遺物を残したいという気持ちは人間だけが持てる、動物にはない希望です。詩編記者は歌います「神は私の魂を贖い、陰府の手から取り上げてくださる」(詩篇49:16)、この喜びも動物は持てません。私たちは科学を信じます。しかし同時に「人は動物を超えた存在として創造された」と信じます。最新の進化論によれば、ヒトとチンパンジーは600万年前に枝分かれし、20万年前に現代人の祖先である「ホモ・サピエンス」が生まれました。そして1万年前に「ホモ・デヴィヌス(神を求める人間)」が誕生したとされています。遺跡等の発掘から、死者を葬り、神を求める礼拝を行ったのがこの時代からであったとされています。このホモ・デヴィヌス(神を求める人間)こそがキリスト者の原型です。
・アダムとエバに始まる創世記は「ホモ・デヴィヌス(神を求める人間)」の誕生以来の歴史を語るのではないかと、小山清隆氏は「進化論と創世記の対話」のなかで述べます。アダムとエバの背景にある時代は明らかに新石器時代であり、紀元前3000年ごろ、農夫であったアダムとエバが神の呼びかけを聞き、それが創世記1-10章の原初物語として展開されていると小山氏は推察します。創世記4:25-26は語ります「再び、アダムは妻を知った。彼女は男の子を産み、セトと名付けた。カインがアベルを殺したので、神が彼に代わる子を授けられたからである。セトにも男の子が生まれた。彼はその子をエノシュ(人間の意味)と名付けた。主の御名を呼び始めたのは、この時代のことである」。この「ホモ・デヴィヌス(神を求める人間)」こそ、私たちキリスト者の原型であり、新しく創造された人なのです。仮説にすぎませんが納得できます。それ以来、人間は「主の御名を呼ぶ」存在とされ、今日に至っています。パウロも確認します「主の名を呼ぶものは誰でも救われる」(ローマ10:13)。私たちが神の子キリストを知り、主を求める存在になったことを証しするのが今日の使徒言行録の記事です。