1.イエスの権威を問う支配者たち
・イエスは神殿の中庭で商売をしていた人々を追い出されて言われた「あなたたちは祈りの家を強盗の巣にしてしまった」。祭司長たちや長老たちは反論する「何の権威でこのようなことを行うのか」と。
−ルカ20:1-2「祭司長や律法学者たちが、長老たちと一緒に近づいて来て、言った『我々に言いなさい。何の権威でこのようなことをしているのか。その権威を与えたのはだれか』」。
・祭司長は任職されて、長老は選ばれて、その地位にある。あなたには何の地位もないのに、何故、大祭司の定めた神殿の秩序を乱すのかと。イエスは反論して言われた「バプテスマのヨハネの権威はどこから来たのか」と。
−ルカ20:3-4「イエスはお答えになった『では、私も一つ尋ねるから、それに答えなさい。ヨハネの洗礼は、天からのものだったか、それとも、人からのものだったか』」。
・祭司たちはヨハネを不届き者と考えていたが、民衆はヨハネを敬愛していた。彼らは答えに窮して「知らない」と答えた。イエスは「あなた方が答えないのであれば私も答えない」と言われ、ぶどう園の例えを話された。
−ルカ20:9-12「ある人がぶどう園を作り、これを農夫たちに貸して長い旅に出た。収穫の時になったので、ぶどう園の収穫を納めさせるために、僕を農夫たちのところへ送った。ところが、農夫たちはこの僕を袋だたきにして、何も持たせないで追い返した。そこでまた、ほかの僕を送ったが、農夫たちはこの僕をも袋だたきにし、侮辱して何も持たせないで追い返した。更に三人目の僕を送ったが、これにも傷を負わせてほうり出した」。
・イザヤは「実を結ばないぶどう園の例え」を用いて、イスラエルの民の不信を責めている(イザヤ5:1-7)。イエスの例えの意味は明らかだ。神はイスラエルを植えられたのに彼らが良い実を結ばないため、預言者を送ったが、人々はその預言者を殺した。神は今度は一人子イエスを送られたが、その一人子も農夫によって殺される。
-ルカ20:13-15「ぶどう園の主人は言った『どうしようか。私の愛する息子を送ってみよう。この子ならたぶん敬ってくれるだろう』。農夫たちは息子を見て、互いに論じ合った『これは跡取りだ。殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる』。そして、息子をぶどう園の外にほうり出して、殺してしまった」。
・ぶどう園の主人は不実な農夫たちを追放して、ぶどう園を他の者(異邦人)に貸し与えるとイエスは言われた。
-ルカ20:15-18「ぶどう園の主人は農夫たちをどうするだろうか。戻って来て、この農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない・・・『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった』。その石の上に落ちる者はだれでも打ち砕かれ、その石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう」
・家を建てる者の捨てた石(詩篇118:22-23)、本来の意味は国を滅ぼされてバビロンに捕囚とされた人々から、新しいイスラエルが立てられることを歌ったものだが、イエスはそれを自己の十字架と復活の預言として言われた。
2.世にあって世に属さない生き方
・祭司長や長老たちはイエスを罠にかけるためにローマへの納税の可否をイエスに問うた。
−ルカ20:22「私たちが皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか」。
・イエスはローマへの反逆の糸口を見つけようとする彼らの意図を見抜かれ、答えられる。
−ルカ20:23-25「イエスは彼らのたくらみを見抜いて言われた。『デナリオン銀貨を見せなさい。そこには、だれの肖像と銘があるか』。彼らが『皇帝のものです』と言うと、イエスは言われた『それならば、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい』。
・ローマのデナリ銀貨には「アウグストゥスの子、神なる皇帝ティベリウス」と刻まれていた。「皇帝のものは皇帝に」、私たちもまた世の秩序に従う。パウロもローマ書の中でそうするように言う。
−ローマ13:1-7「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。・・・すべての人々に対して自分の義務を果たしなさい。貢を納めるべき人には貢を納め、税を納めるべき人には税を納め、恐るべき人は恐れ、敬うべき人は敬いなさい」。
・同時に私たちは神の子とされ、国籍を天に持つ。地の国が神の委託を正しく守らない時は、私たちは神の国の住民として、地の国には従わない。私たちがまず畏れるべきは神であり、人ではない。
−?ペトロ2:17「すべての人を敬い、兄弟を愛し、神を畏れ、皇帝を敬いなさい」。
・私たちは「世にあるが、世に属さず、世に仕える」。神の国と地の国を峻別し、緊張感を持って生活する。その時、ラインホルド・ニーバーの生き方に強く惹かれる。
−ニーバーの祈り「変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ」。