1.ベルゼブル論争
・弟子たちはイエスにいかに祈るべきかを尋ねた。イエスは弟子たちに「主の祈り」を教えられた。
−ルカ11:1-4「弟子の一人がイエスに『主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください』と言った。そこで、イエスは言われた『祈るときには、こう言いなさい。父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。私たちに必要な糧を毎日与えてください。私たちの罪を赦してください、私たちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。私たちを誘惑に遭わせないでください』」
・「主の祈り」は新約聖書に2つの形で伝えられている。この箇所とマタイ6・9-13だ。イエスが教えた祈りがアラム語からギリシャ語へ翻訳されていく中で、2つの形になったと考えられている。内容はほぼ同じだ。
・ルカは「しつように頼む」ことを勧める。マタイの教会はユダヤ人キリスト者の共同体であり、祈ること自体はよく知っていたが、ルカの教会は異邦人の教会のため、祈りの必要性そのものを訴える必要があった。
−ルカ11:9-13「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。・・・あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる」。
・11:14からパリサイ人とのベルゼブル論争が始まる。パリサイ人はイエスがベルゼブル(悪霊の頭、サタン)の力で、悪霊を追い出していやしを行っていると批判した。
−ルカ11:14-16「イエスは悪霊を追い出しておられたが、それは口を利けなくする悪霊であった。悪霊が出て行くと、口の利けない人がものを言い始めたので、群衆は驚嘆した。しかし、中には、『あの男は悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出している』と言う者や、イエスを試そうとして、天からのしるしを求める者がいた」。
・ベルゼブル=バアル・ゼブルのギリシャ語訳。本来はエクロンの守護神であったが、ヘブライ人たちはバアル・ゼブブ=蝿の王と呼んで蔑んだ。イエスの時代にはサタンの代名詞になっていた。イエスは悪賢いサタンが仲間割れすることはありえないではないかと反論され、悪霊追放は神の国が来たしるしなのだと言われた。
−ルカ11:17-20「内輪で争えば、どんな国でも荒れ果て、家は重なり合って倒れてしまう。あなたたちは、私がベルゼブルの力で悪霊を追い出していると言うけれども、サタンが内輪もめすれば、どうしてその国は成り立って行くだろうか。・・・私が神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ」。
2.パリサイ人の偽善についての論争
・イエスがパリサイ人の家で手を洗われなかったので、主人はこれをとがめた。パリサイ人は外出から帰ると、必ず手を洗った。不浄な民や物との接触による宗教的な汚れを清めるためであった。パリサイ=分離主義、自らの清めを求める人々だった。イエスはあえて手を洗わないことにより、論争を起こされたのだろう。
−ルカ11:37-38「イエスは・・・ファリサイ派の人から食事の招待を受けたので、その家に入って食事の席に着かれた。ところがその人は、イエスが食事の前にまず身を清められなかったのを見て、不審に思った」。
・イエスは外面のみを清めて、内面の清めを怠るパリサイ人を厳しく批判された。
-ルカ11:39-44「あなたたちファリサイ派の人々は、杯や皿の外側はきれいにするが、自分の内側は強欲と悪意に満ちている。愚かな者たち、外側を造られた神は、内側もお造りになったではないか。・・・あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ。薄荷や芸香やあらゆる野菜の十分の一は献げるが、正義の実行と神への愛はおろそかにしているからだ・・・あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ。会堂では上席に着くこと、広場では挨拶されることを好むからだ。あなたたちは不幸だ。人目につかない墓のようなものである。その上を歩く人は気づかない。」
・それを聞いた律法学者は反論した。その反論に対して、イエスはまたも彼らの形式主義を激しく批判された。
-ルカ11:46-52「あなたたち律法の専門家も不幸だ。人には背負いきれない重荷を負わせながら、自分では指一本もその重荷に触れようとしないからだ。・・・あなたたち律法の専門家は不幸だ。知識の鍵を取り上げ、自分が入らないばかりか、入ろうとする人々をも妨げてきたからだ。」
・ルカはイエスの使信を、自らの信仰において聞き取り、自己の教会に伝えていく。このような激しい言葉が引き起こす反動を承知の上で、イエスはあえてパリサイ人や律法学者を批判されたことを、ルカは教会に伝える。
−ルカ11:53-54「イエスがそこを出て行かれると、律法学者やファリサイ派の人々は激しい敵意を抱き、いろいろの問題でイエスに質問を浴びせ始め、何か言葉じりをとらえようとねらっていた」。