1.弟子たちへの復活顕現
・十字架で死なれて3日目の夕方、イエスは弟子達のところに現れられた。弟子たちはユダヤ人を恐れて、部屋に鍵をかけて閉じこもっていた。
−ヨハネ20:19「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。」
・弟子たちはイエスの死により生きる目標を失くした。また、自分達も捕らえられるのを恐れていた。
−ルカ 24:19-21「この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。それなのに、私たちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。私たちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。・・・もう今日で三日目になります。」
・その日の朝、復活のイエスがマグダラのマリアに現れたことを、彼らは聞いていた。しかし、イエスが復活されたとは信じていない。その弟子たちにイエスが現れた。
−ルカ24:36-37「イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。」
・弟子たちは復活のイエスに最初に出会ったとき、幽霊だと思った。その彼らにイエスはご自分の手とわき腹をお見せになった。弟子たちはその傷を見て、この方が、イエスであることを信じ、喜びに包まれた。
−ヨハネ20:20「そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。」
2.トマスへの復活顕現
・イエスが現れた時、トマスはそこにいず、弟子たちが「主に出会った」と言ってもトマスは信じない。
−ヨハネ20:25「他の弟子たちが、『私たちは主を見た』と言うと、トマスは言った。『あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、私は決して信じない』」
・トマスはイエスのために死のうとさえ思った人物だ。しかし、イエスが捕らえられると、怖くなって逃げた。彼は自分の弱さを責め続けていた。安易に赦されるとは思えないから、復活も単純に信じることは出来ない。その彼のためにイエスが再び体を示された。復活から8日目の出来事である。
−ヨハネ20:26-27「八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。それから、トマスに言われた。『あなたの指をここに当てて、私の手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、私のわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい』」。
・イエスはトマスだけを目指して来られ、私の傷に触れよと言われた。「お前が信じることが出来ないならば、私はもう一度十字架にかかる。お前のためであれば、何度でも十字架につく」とイエスは言われた。イエスは迷える一人を救うために何度でも来られる。この言葉を前にトマスはひざまずいた。
−ヨハネ20:28「トマスは答えて、『私の主、私の神よ』と言った」
・伝承によれば、トマスはインドにまで伝道に行った(南インドには「聖トマス教会」がある)。一番弱いと思われた弟子が、復活のイエスに出会い、地の果てと思われたインドにまで出かけて行った。
3.教会につながる
・トマスは何故、信じることが出来なかったのか。イエスは弟子たちの群れに現れたが、彼はその時、その群れにいなかった。だから復活のイエスに会えなかった。トマスは不安からか、絶望からか、弟子の群れから離れていたのだ。群れから離れていたからイエスに会えなかった。
・しかし、トマスは群れに帰ってきた。おそらくは復活のイエスが現れたとの話を聞いたからだと思われる。帰ってみると、他の弟子たちは「私たちは主を見た」と喜び沸き立っている。彼は違和感を覚え、反発し、「あの方の手に釘の跡を見、その釘跡に指を入れてみなければ信じない」と高言した。しかし、それでも群れを離れなかった。だから、イエスが再度現れた時、トマスはイエスに出会い、その出会いが彼に命と力を与えた。
・人は一人では信仰をまっとうできない。だから、信仰者は教会を形成し、共に集い、共に祈る。「教会につながっていなさい。教会の主はイエスであり、教会を通して私たちは主に出会うのだから」。