江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2013年7月18日祈祷会(ミカ2章、強欲の人々に対する裁きの預言)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1. 貧しい人々の土地を取り上げる富裕者への裁き

・ミカ書は欲望のままに生きる人々への裁きを預言する。2章ではミカはユダの富裕者を告発する。彼らは貧しい小農民に金を貸し、返済が滞ると、担保の土地や家を取り上げ、貧しい者が路頭に迷っても何の痛みも感じない。
−ミカ2:1-2「災いだ、寝床の上で悪をたくらみ、悪事を謀る者は。夜明けとともに、彼らはそれを行う。力をその手に持っているからだ。彼らは貪欲に畑を奪い、家々を取り上げる。住人から家を、人々から嗣業を強奪する」。
・貸付の担保に土地や家屋を設定し、返済不能の場合に担保処分をすることは、この世の法では正当な経済行為とされるだろう。しかし、土地が神からの嗣業とされているイスラエルでは、土地を取り上げ、人々の収入源を断つ行為は、人に対すると同時に神に対する罪とされる。同時代の預言者イザヤも同じような告発をユダの民に行なっている。
-イザヤ3:14-15「主は裁きに臨まれる、民の長老、支配者らに対して『お前たちは私のぶどう畑を食い尽くし、貧しい者から奪って家を満たした。何故、お前たちは私の民を打ち砕き、貧しい者の顔を臼でひきつぶしたのか』」。
・中国では地方政府の強引な都市開発で、わずかの補償金で土地を失う農民が続出し(総計4千万人超)、社会問題になっている。中国では土地私有が認められないため、農民はこれを地方政府から借りている形のため、このような問題が生じ、各地で騒動が頻発している。イスラエルではこのような不正に対し、神が立ち上がられる。
-ミカ2:3「それゆえ、主はこう言われる『見よ、私もこの輩に災いをたくらむ。お前たちは自分の首をそこから放しえず、もはや頭を高く上げて歩くことはできない。これはまさに災いのときである』」。
・その裁きは外敵の侵略を通して為される。地主たちは叫ぶだろう「どうして私の土地が異邦人(背く者)に配分されるのか」、しかし誰も聞かない(前701年アッシリアがエルサレムを除く大半の地をその領土とした時、土地はアッシリア王センナケリブの臣下に分け与えられた。ミカはこの事実を知っているのであろう)。
-ミカ2:4-5「その日、人々はお前たちに向かって、嘲りの歌を歌い、苦い嘆きの歌を歌って言う『我らは打ちのめされた。主はわが民の土地を人手に渡される。どうして、それは私から取り去られ、我々の畑が背く者に分けられるのか』。それゆえ、主の集会で、お前のためにくじを投げ、縄を張って土地を分け与える者は一人もいなくなる」。
・土地は神のものであり、神から貸与されて、生活を維持する収穫物を生む。しかし、その土地が都市の大土地所有者に独占され、農民が小作や農奴となることは、神の求められる正義ではない。
−アモス8:5-7「お前たちは言う『新月祭はいつ終わるのか、穀物を売りたいものだ。安息日はいつ終わるのか、麦を売り尽くしたいものだ。エファ升は小さくし、分銅は重くし、偽りの天秤を使ってごまかそう。弱い者を金で、貧しい者を靴一足の値で買い取ろう。また、くず麦を売ろう』。主はヤコブの誇りにかけて誓われる『私は彼らが行ったすべてのことをいつまでも忘れない』」。

2.偽預言者への反論

・ミカの言葉に対して、金持ちに雇われた偽預言者は言う「ミカはたわごとを言っている。主は私たちを裁かれることはない。私たちは主の民ではないか」と。
-ミカ2:6-7「たわごとを言うなと言いながら、彼らは自らたわごとを言い『こんなことについてたわごとを言うな。そんな非難は当たらない。ヤコブの家は呪われているのか。主は気短な方だろうか。これが主のなされる業だろうか』と言う。私の言葉は正しく歩む者に、益とならないだろうか」。
・しかしミカは主の裁きを確信して反論する。
-ミカ2:8-10「昨日までわが民であった者が敵となって立ち上がる。平和な者から彼らは衣服をはぎ取る、戦いを避け、安らかに過ぎ行こうとする者から。彼らはわが民の女たちを楽しい家から追い出し、幼子たちからわが誉れを永久に奪い去る。立て、出て行くがよい。ここは安住の地ではない。この地は汚れのゆえに滅びる」。
・捕囚期の預言者エゼキエルも、イスラエル滅亡の原因を為政者の欲(自分を養う牧者)と民の間の不公平(肥えた羊と痩せた羊)に見ている。
−エゼキエル34:20-22「それゆえ、主なる神は彼らにこう言われる。私自身が、肥えた羊とやせた羊の間を裁く。お前たちは、脇腹と肩ですべての弱いものを押しのけ、角で突き飛ばし、ついには外へ追いやった。しかし、私は我が群れを救い、二度と略奪にさらされないようにする。そして、羊と羊との間を裁く」。
・12節以下はミカの預言ではなく、捕囚時代の預言であろう。裁きにより散らされた民を主は再び集めてくださるとの預言を編集者はここに入れて、審判預言は救いのために為されるとの使信を人々に伝えている。
-ミカ2:12-13「ヤコブよ、私はお前たちすべてを集め、イスラエルの残りの者を呼び寄せる。私は彼らを羊のように囲いの中に、群れのように、牧場に導いて一つにする。彼らは人々と共にざわめく。打ち破る者が、彼らに先立って上ると、他の者も打ち破って、門を通り、外に出る。彼らの王が彼らに先立って進み、主がその先頭に立たれる」。
・ミカ2:12-13の預言はエゼキエル34章「イスラエルの牧者」を彷彿させる。神こそ私たちの羊飼いなのである。
-エゼキエル34:11-14「主なる神はこう言われる。見よ、私は自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。牧者が、自分の羊がちりぢりになっているときに、その群れを探すように、私は自分の羊を探す。私は雲と密雲の日に散らされた群れを、すべての場所から救い出す。私は彼らを諸国の民の中から連れ出し、諸国から集めて彼らの土地に導く。私はイスラエルの山々、谷間、また居住地で彼らを養う。私は良い牧草地で彼らを養う。イスラエルの高い山々は彼らの牧場となる。彼らはイスラエルの山々で憩い、良い牧場と肥沃な牧草地で養われる」。

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