1. ユダの罪の告発
・アモスは1章で、ダマスコ、ガザ、ティルス、エドム、アンモンの人道に反する行為を罪として、告発した。2章では引き続きモアブの罪が告発される。
-アモス2:1-3「主はこう言われる。モアブの三つの罪、四つの罪のゆえに、私は決して赦さない。彼らがエドムの王の骨を焼き、灰にしたからだ。私はモアブに火を放つ。火はケリヨトの城郭をなめ尽くす。鬨の声があがり、角笛が鳴り響く中で、混乱のうちにモアブは死ぬ。私は治める者をそこから絶ち、その高官たちも皆殺しにすると主は言われる」。
・モアブはエドムに攻め込み、その時前王の墓を暴き、その骨を焼いて灰にした。人間である限り、戦って殺したり、殺されたりするのは、止むを得ないかもしれないが、墓に納められた死体を辱める行為は許されない。それは死者から永遠の眠りの平安を奪う冒涜行為である。しかし、ローマ・カトリック教会はその批判者ジョン・ウィクリフの墓を暴き、その遺体を火刑に処した。当時の宗教指導者はアモス書をどのように読んだのだろうか。
-イギリスの宗教改革者ジョン・ウィクリフは、当時イングランドにおいて絶対的権力を持っていたローマ・カトリックを批判し、聖書を英語に翻訳した。ウィクリフの思想は100年後の宗教改革にも大きな影響を与えた。ウィクリフは死後30年ほど後、1414年のコンスタンツ公会議で異端と宣告され、遺体は掘り起こされ、著書と共に焼かれることが宣言された。これは、12年後にローマ教皇マルティヌス5世の命により実行された。ウィクリフの墓は暴かれ、遺体は燃やされて川に投じられた。
・2章4節からユダの罪が告発される。その罪はこれまでの異教の国々の罪とは異なる。異教の国々はその残虐行為が告発されていたが、ユダにおいては神の戒めを知りながら、正義と公正を守ろうとしない罪が指摘される。
-アモス2:4-5「主はこう言われる。ユダの三つの罪、四つの罪のゆえに、私は決して赦さない。彼らが主の教えを拒み、その掟を守らず、先祖も後を追った偽りの神によって、惑わされたからだ。私はユダに火を放つ。火はエルサレムの城郭をなめ尽くす」。
・律法を知らない者は律法と関係なく滅びるが、律法の下で罪を犯した者は律法によって裁かれる。選ばれた者の責任はそうでない者より重い。
-ローマ2:17-24「あなたはユダヤ人と名乗り、律法に頼り、神を誇りとし、その御心を知り、律法によって教えられて何をなすべきかをわきまえています・・・あなたは律法を誇りとしながら、律法を破って神を侮っている・・・あなたが受けた割礼も、律法を守ればこそ意味があり、律法を破れば、それは割礼を受けていないのと同じです」。
2.イスラエルの罪の告発
・2章6節からいよいよイスラエルの罪が告発される。それは正義と公正に反する罪である。
-アモス2:6-8「主はこう言われる。イスラエルの三つの罪、四つの罪のゆえに、私は決して赦さない。彼らが正しい者を金で、貧しい者を靴一足の値で売ったからだ。彼らは弱い者の頭を地の塵に踏みつけ、悩む者の道を曲げている。父も子も同じ女のもとに通い、私の聖なる名を汚している。祭壇のあるところではどこでも、その傍らに質にとった衣を広げ、科料として取り立てたぶどう酒を、神殿の中で飲んでいる」。
・ヤロブアム2世当時のイスラエルは表面的には繁栄していたが、その内部では貧富の格差が広がり、宗教は表面だけのものになり、正義と公正は踏みにじられていた。金持ちは貧しい人々を貪り、裁判官に賄賂を贈って裁きを曲げ、神殿の前で質草として取った衣服の上に座って酒宴に興じ、神殿娼婦たちと交わる。彼らはそれが罪であることを認識せず、当然に悔い改めようともしない。異教徒は正義と公正についての根本原理について知らない故に、人道に対する罪を犯す。神の民はそれを知っているにも関わらず、無関心故に何もしない。もし教会が世の不正や不義に対して何もしなければ同じような告発を受けるのではないか。
-マタイ25:44-45「彼らも答える『主よ、いつ私たちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか』。そこで、王は答える『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、私にしてくれなかったことなのである』」。
・「何のためにお前たちをエジプトから引き出し、40年間の試練を与え、アモリ人を滅ぼしてまで、この地を与えたのか。それはお前たちを通して諸民族を救うためではなかったか」と神はアモスを通して言われる。
-アモス2:9-12「その行く手からアモリ人を滅ぼしたのは私だ。彼らはレバノン杉の木のように高く、樫の木のように強かったが、私は、上は梢の実から下はその根に至るまで滅ぼした。お前たちをエジプトの地から上らせ、四十年の間、導いて荒れ野を行かせ、アモリ人の地を得させたのは私だ。私はお前たちの中から預言者を、若者の中からナジル人を起こした・・・しかし、お前たちはナジル人に酒を飲ませ、預言者に、預言するなと命じた」。
・イスラエルは預言者を殺し、真面目な信仰者を嘲笑した罪で滅ぼされる。その罪はユダも同じだ。ユダはバビロンによって滅ぼされ、その後再興されたが、再び罪を犯した。イエスはそれゆえに言われる「ユダは再び滅ぼされる」と。紀元70年(ユダヤ戦争)に滅んだユダの再建が許されたのは1948年(イスラエル建国)だった。
-ルカ13:34-35「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、雌鶏が雛を羽の下に集めるように、私はお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。見よ、お前たちの家は見捨てられる。言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言う時が来るまで、決して私を見ることがない」。
・13節からイスラエルの滅びが預言される。
-アモス2:13-16「見よ、私は麦束を満載した車が、轍で地を裂くように、お前たちの足もとの地を裂く。その時は、素早い者も逃げ遅れ、強い者もその力を振るいえず、勇者も自分を救いえない。弓を引く者も立っていられず、足の速い者も逃げおおせず、馬に乗る者も自分を救いえない。勇者の中の雄々しい者も、その日には裸で逃げる、と主は言われる」。
・イスラエルは紀元前720年、アッシリアにより、滅ぼされた、列王記は国の滅亡を、彼らが「主に対して罪を犯した故」と理解する。この社会は法律違反を罪と定めるが、本当の罪は「主に対して」犯すのではないだろうか。
-列王記下17:5-8「アッシリアの王はこの国のすべての地に攻め上って来た。彼はサマリアに攻め上って来て、三年間これを包囲し、ホシェアの治世第九年にサマリアを占領した。彼はイスラエル人を捕らえてアッシリアに連れて行き、ヘラ、ハボル、ゴザン川、メディアの町々に住ませた。こうなったのは、イスラエルの人々が、彼らをエジプトの地から導き上り、エジプトの王ファラオの支配から解放した彼らの神、主に対して罪を犯し、他の神々を畏れ敬い、主がイスラエルの人々の前から追い払われた諸国の民の風習と、イスラエルの王たちが作った風習に従って歩んだからである」。