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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2009年1月22日祈祷会(イザヤ27章、イスラエルの回復の祈り)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.新しいブドウ畑の歌

・イザヤ24-27章はイザヤ黙示録と呼ばれ、イザヤの後継者たちが、自分たちの置かれた時代の中でイザヤ書を再解釈したものと言われる。24章は世界審判、25-27章はその回復を歌う。最終章の27章はイスラエルを苦しめたアッシリア(逃げる蛇レビヤタン)、バビロン(曲がりくねる蛇レビヤタン)、エジプト(海にいる竜)の滅亡を讃美する。
-イザヤ27:1「その日、主は厳しく、大きく、強い剣をもって、逃げる蛇レビヤタン、曲がりくねる蛇レビヤタンを罰し、また海にいる竜を殺される」。
・レビヤタンや竜は古代オリエント神話に登場する怪獣の名だ。その怪獣を具体的な国の象徴として黙示文学は描く。
-詩篇74:13-14「あなたは、御力をもって海を分け、大水の上で竜の頭を砕かれました。レビヤタンの頭を打ち砕き、それを砂漠の民の食糧とされたのもあなたです」。
・イザヤはかつて「実を結ばないブドウ畑」の歌を歌い、神に不実なイスラエルを批判した。良いぶどうを植えたのに、実ったのは酸っぱいぶどうであったと。
-イザヤ5:1-7「私の愛する者は、肥沃な丘にぶどう畑を持っていた。よく耕して石を除き、良いぶどうを植えた。その真ん中に見張りの塔を立て、酒ぶねを掘り、良いぶどうが実るのを待った。しかし、実ったのは酸っぱいぶどうであった・・・さあ、お前たちに告げよう、私がこのぶどう畑をどうするか。囲いを取り払い、焼かれるにまかせ、石垣を崩し、踏み荒らされるにまかせ、私はこれを見捨てる。枝は刈り込まれず、耕されることもなく、茨やおどろが生い茂るであろう。雨を降らせるな、と私は雲に命じる。イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑、主が楽しんで植えられたのはユダの人々。主は裁きを待っておられたのに見よ、流血。正義を待っておられたのに見よ、叫喚」。
・イザヤの後継者たちは、このぶどう畑が主によって回復されると預言する。主に見捨てられて、茨やおどろが生い茂った畑が見事なぶどう畑に生まれ変わると。イザヤ27:2-6はイザヤ5:1-7の再解釈だ。
-イザヤ27:2-6「その日には、見事なぶどう畑について喜び歌え。主である私はその番人。常に水を注ぎ、害する者のないよう、夜も昼もそれを見守る。私は、もはや憤っていない。茨とおどろをもって戦いを挑む者があれば私は進み出て、彼らを焼き尽くす。そうではなく、私を砦と頼む者は私と和解するがよい。和解を私とするがよい。時が来れば、ヤコブは根を下ろし、イスラエルは芽を出し、花を咲かせ、地上をその実りで満たす」。
・主はイスラエルを撃ったアッシリアを撃たれ、ユダを滅ぼしたバビロンを滅ぼされた。しかしイスラエルは回復する。他方、ニネベやバビロンは回復することなく、捨てられる。主の恵みを見よと預言者は歌う。
-イザヤ27:7-11「主は、彼を撃った者を撃たれたように、彼をも撃たれたか。彼を殺した者を殺されたように、彼をも殺されたか。あなたは彼と争って、彼を追い立て、追放された。東風の日に、激しい風をもって、彼を吹き払われた。それゆえ、ヤコブの咎はこのようにして贖われ、罪が除かれる・・・城壁に囲まれた都は孤立し置き去りになり、見捨てられて荒れ野となる。子牛はそこで草をはみ、そこに伏しまた、小枝をも食い尽くす。枝は枯れて折れ、女たちが来てそれを燃やす・・・造り主は憐れみをかけずその民を形づくられた方は恵みを与えられない」。

2.イザヤ黙示録とは何か

・黙示録の最後に、預言者は散らされた民が集められることを夢見る。アッシリアに追い払われたイスラエルの民も、バビロンに捕囚になったユダの民も、エジプトに逃れた民もまたエルサレムに戻ると預言者は歌う。
-イザヤ27:12-13「その日が来ると、ユーフラテスの流れからエジプトの大河まで主は穂を打つように打たれる。しかし、イスラエルの人々よ、あなたたちは、一人一人拾い集められる。その日が来ると、大きな角笛が吹き鳴らされ、アッシリアの地に失われて行った者もエジプトの地に追いやられた者も来て、聖なる山、エルサレムで主にひれ伏す」。
・イザヤの預言はアッシリアによる支配、バビロン捕囚の困難を乗り越えて継承されてきた。イスラエルは今またシリアの支配下に置かれている。その中で人々は継承されてきたイザヤ書を再解釈し、自分たちへのメッセージを聞こうとして来た。それがイザヤ書に編集されて、新しい聖書の一部となった。ここに主の御手の働きがある。
・同じ作業を行ったのが矢内原忠雄だ。1931年満州を占領した日本は、1937年7月には盧溝橋事件を起こして、中国本土への侵略を始めた。この事件を受けて矢内原は「国家の理想」を書き、雑誌に発表する(1937年、昭和12年)。そのために彼は東大教授の職を追われた。この論文もアッシリアを描きながら日本を批判する。黙示録の一つだ。
−矢内原忠雄・国家の理想から「国家の理想は正義と平和にある、戦争という方法で弱者をしいたげることではない。理想にしたがって歩まないと国は栄えない、一時栄えるように見えても滅びる」。
・私たちも同じ作業を聖書の釈義で行っている。2000年前に書かれた福音書や手紙を読みながら、現代の出来事の意味を尋ねる。釈義から説教へ、イザヤ黙示録の著者が行った作業を私たちも行っている。

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