1.献げ物の規定
・民に献げ物の規定が示された。約束の地に入っても、定められた時に従って、礼拝を持つためであった。
−民数記28:1-2「主はモーセに仰せになった。イスラエルの人々に命じて、こう言いなさい。あなたたちは、私の食物である献げ物を、燃やしてささげる宥めの香りとして、定められた時に忠実にわたしにささげなさい」。
・礼拝は時の秩序を持って捧げなければいけない。それは創造の秩序である。神はまず昼と夜を創造された。だから、礼拝の基本も朝と夕の献げ物である。
−創世記1:4-5「神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である」。
−民数記28:3-4「無傷の一歳の羊二匹を、日毎の焼き尽くす献げ物として、毎日、朝夕に一匹ずつ、献げなさい」。
・神は七日目に仕事を休まれた。だから民も七日目は仕事を休み、安息日の礼拝を献げる。
−創世記2:3「この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された」。
−民数記28:9-10「安息日には、無傷の一歳の羊二匹をささげ、上等の小麦粉十分の二エファにオリーブ油を混ぜて作った穀物の献げ物とぶどう酒の献げ物を添える。安息日ごとに捧げるべきこの焼き尽くす献げ物は、日ごとの焼き尽くす献げ物とぶどう酒の献げ物に加えるべきものである」。
・神は太陽と月を作り、季節を与えられた。だから民も毎月の第一日を覚えて礼拝を行う。
−創世記1:14-16「神は言われた。『天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。天の大空に光る物があって、地を照らせ』。そのようになった。神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた」
−民数記28:11-15「毎月の一日には、若い雄牛二頭、雄羊一匹、無傷の一歳の羊七匹を焼き尽くす献げ物として、主にささげる。・・・日毎の焼き尽くす献げ物およびぶどう酒の献げ物に加えて、贖罪の献げ物として雄山羊一匹を主にささげる」
・過越の祭りは、元来は春分の日の祭り、種蒔きの時である。後に出エジプトを記念する意味合いが加わった。
−民数記28:16-17「第一の月の十四日は、主の過越である。十五日は祭りの日である。あなたたちは七日の間、酵母を入れないパンを食べる」。
・七週際は大麦。小麦の収穫祭である。収穫の初穂を感謝して献げる。
−民数記28:26「初物の日、すなわち七週祭に新穀の献げ物を主にささげるときには、聖なる集会を開く。いかなる仕事もしてはならない」。
2.旧約の礼拝と私たちの礼拝
・民数記28章は私たちの礼拝に大事なものを教える。まず、礼拝の基本は朝夕の祈り、つまり毎日の生活を朝の祈りで始め、夕の祈りで閉じる。毎日を主への献げ物として生きることが礼拝の基本だ。
−ローマ12:1「兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」。
・七日目には休む。安息日を聖なるものとして守ることは義務ではなく、祝福だ。喜びを持って教会に集まる。
−出エジプト記20:8-11「安息日を心に留め、これを聖別せよ。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。・・・七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである」。
・月の第一主日を特別な日として覚える。教会では、第一主日を主の晩餐式として守る。また、教会歴を覚えることも季節の秩序に従って礼拝を守ることだ。冬の待降節、春の受難節・復活節等教会の行事には季節がある。
・過越の祭りの時にイエスは十字架につかれ、三日後に復活された。私たちは過越祭りをイースターとして祝う。
−ルカ22:7-8「過越の小羊を屠るべき除酵祭の日が来た。イエスはペトロとヨハネとを使いに出そうとして『行って過越の食事ができるように準備しなさい』と言われた」。
・七週の祭り(五旬祭)の日に使徒たちは聖霊を受けた。私たちはこれをペンテコステとして祝う。
−使徒行伝2:1-3「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」。
・社会の混沌の中で、定められた秩序を守って生活することを、私たちは求められている。