江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2014年12月7日説教(第二コリント1:1-11、たとえ苦難の中にあっても)

投稿日:2014年12月7日 更新日:

1.第二コリント書の複雑な構造

・今日からパウロがコリント教会に宛てて書いた第二コリント書を読んでいきます。先週私たちは第一コリント16章を読み、その中でパウロは「五旬節過ぎにはあなた方のところに行きたい」との計画を表明していました(16:8-9)。しかしパウロの訪問計画を狂わせる二つの出来事がその後に起こります。一つはコリント教会内でパウロに対する反感が募り、パウロの来訪を喜ばなくなったこと。もう一つはパウロがエペソで逮捕され、投獄される出来事が起きたことです。それら予想外の出来事により、パウロはコリントに行けなくなり、代わりに何通かの手紙を書きます。その複数の手紙が編集されて出来たものが第二コリント書です。
・パウロはアジア州にガラテヤ教会を設立し、その後マケドニアのピリピやテサロニケで伝道し、さらにアカイア州コリントに教会を生み出しました。紀元50年頃です。コリント伝道の後パウロはアジア州のエペソに行き、開拓伝道を始めます。第一の手紙を書いたのはこのエペソからです(紀元54年頃)。その中でパウロは、「エルサレム教会への献金を募るため、近いうちにコリントを訪問したい」と書きます(1コリント16:1-4)。ところがこの募金活動がやがてパウロとコリント教会の間を引き裂くような問題を引き起こします。コリント教会内でパウロの使徒資格を問題にする人々が現れ、エルサレム教会への募金もパウロが私腹を肥やすために行っているとする中傷さえ出て来たのです。それを聞いたパウロは、教会の誤解を解くために、急遽「弁明の手紙」といわれるものをコリントに送ります(それが第二コリント2:14-7:4の箇所といわれます)。しかし事態は好転せず、パウロはコリントを直接訪問しますが、コリントの人々はパウロを侮辱して追い返すという信じられない行動を起こします。それに対してパウロが書いたのが「涙の手紙」(10~13章)で、この手紙を見て、コリントの人々は自分たちの無礼を悔い、パウロに謝罪します。
・それを受けて書かれたのが今日読みます「和解の手紙」です(1:1-2:13)。つまり、第二コリント書はパウロの書いた複数の手紙が編集されて一つの手紙になっており、必ずしも年代順に記されているわけではありません。そのため、青野太潮訳岩波聖書では、最初に2~7章が記され、次に10~13章が、三番目に1~2章が記されるという変則配列になっています。しかし私たちは年代順ではなく、現在の聖書配列に従ってこの書簡を読んでいきます。今日読みます第二コリント1章は「和解の手紙」であることを念頭において読んでいただきたいと思います。

2.和解の手紙

・コリント教会はパウロが設立し、心血を注いで牧会した教会でしたが、パウロから背き、福音から離れようとしていました。パウロはコリントを訪問しますが、激しい中傷を受け、悲嘆の中にエペソに帰り、その後、弟子テトスに「涙の手紙」と呼ばれる手紙を持たせてコリントへ送り、コリント教会の反省を求めます。それに対して、教会の人々は深く悔い改め、パウロはこの「和解の手紙」を書きました。冒頭にパウロは挨拶を語ります。「パウロと、兄弟テモテから、コリントにある神の教会と、アカイア州の全地方に住むすべての聖なる者たちへ。私たちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように」(1:1-2)。パウロから見ればコリント教会は彼を裏切り、誹謗中傷を浴びせた教会です。しかし、パウロはその教会を「神の教会」と呼び、信徒たちを「聖なる者たち」と呼びます。自分を裏切った人たちも、自分を罵った人たちも、悔い改めれば赦す。それが教会における人間関係の基本です。続いてパウロは、不和を和解へと導いて下さった神への感謝を述べます「私たちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように」(1:3)。
・4節から「苦難」という言葉と、「慰め」という言葉が繰り返し用いられます。パウロは語ります「神は、あらゆる苦難に際して私たちを慰めてくださるので、私たちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます」(1:4)。パウロにとって心血を注いで設立し、育んできたコリント教会から背かれたことは何よりの苦しみでした。それは最も信頼する友から裏切られた苦しみ、最愛の人から背かれた悲しみのようでした。しかし神はコリントの人々の誤解を解いて下さり、この神からの慰めがあるゆえに、パウロは今「和解の手紙」を書くことができる、そのことを感謝しているのです。4-7節の短い文章の中に「慰め」という言葉が8回も使われています。慰め=ギリシャ語のパラクレーシス、「傍らに呼ぶ」、「共にいる」という意味です。ヨハネ福音書では聖霊を「パラクレートス」と呼びます。「共にいて下さる方」、「慰め主」の意味です。神が共にいてくださるから私たちは慰めをいただく事ができ、この慰めを神は人を通して与えられます。ドイツのことわざが語るように「共に悲しめば悲しみは半分になり、共に喜べば喜びは二倍になる」のです。
・そしてこの恵みはキリストの苦しみから来るとパウロは語ります「キリストの苦しみが満ちあふれて私たちにも及んでいるのと同じように、私たちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです」(1:5)。キリストは十字架上で死を苦しまれたが、神はこのキリストを死から起こして下さった。同じように私たちも苦しみの極みから神が引き起こして下さったとパウロは語ります。パウロは続けます「私たちが悩み苦しむ時、それはあなたがたの慰めと救いになります。また、私たちが慰められる時、それはあなたがたの慰めになり、あなたがたが私たちの苦しみと同じ苦しみに耐えることができるのです」。苦難はその意味がわからない時、私たちを苦しめ、悩ませ、ついには死に追いやるほどの強さを持ちます。しかし、その苦難の中に神がいて下さることを知る時、私たちはその苦難の中に留まり、苦難を負い続けることができる。そして私たちが苦難を負い続けることにより、誹謗中傷するあなた方のために祈り続ける事により、あなた方を慰めるとパウロは語ります。誹謗中傷に対するキリスト者の武器は祈りです。

3.たとえ苦難の中にあっても

・8節からパウロは、アジア州で死を覚悟せざるを得ないような出来事にあったと告白します。「兄弟たち、アジア州で私たちが被った苦難について、ぜひ知っていてほしい。私たちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました。私たちとしては死の宣告を受けた思いでした」(1:8-9a)。具体的な出来事は語られていませんが、使徒19章には、パウロがエペソで起こった暴動に巻き込まれ、逮捕され、投獄されたと見られる記事があります。死刑さえも覚悟せざるを得ないような状況があったのでしょう。しかし神はそのような危機からパウロを救いだして下さった。だから彼は語ります「それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。神は、これほど大きな死の危険から私たちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、私たちは神に希望をかけています」(1:9b-10)。
・今日の招詞にピリピ1:29を選びました。次のような言葉です「つまり、あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです」。パウロはコリント教会のために良かれと思い、手紙を書き、訪問し、指導しました。しかしコリント教会はパウロに背き、パウロは裏切られた痛みに耐えています。しかも今度はエペソでの暴動に巻き込まれ、死も覚悟さえもせざるを得ない状況に追い込まれました。苦難が繰り返し襲いかかったのです。しかしパウロがその苦難を「キリストのために苦しむ」と受け入れた時、苦難が「恵みに変わる体験」をしています。ある人は語ります「水の冷たさは熱い所で初めてわかる。水の有り難さは水のない所で味わい知れる」。苦難を通して私たちは神が共にいてくださることを知り、そこから生きる慰めをいただきます。
・太宰治は聖書を熱心に読んでいましたが、この第二コリント書ほどよく分かる箇所はないと語ったそうです「パウロはここに愚痴に似た事さえ付け加えている。さうして、おしまいには、群衆に、ごめんなさい、ごめんなさいと謝っている。まるで、滅茶苦茶である。このコリント後書は神学者には難解なものとせられている様であるが、私たちには一番よく分かるような気がする。高揚と卑屈の、あの美しい混乱である」(太宰治「パウロの混乱」)。「人間失格」を描いた太宰は、多くの人から裏切られ、彼自身も人を裏切り続けました。だから、パウロの悲しみや怒りが強く迫ってきたのかしれません。榎本保郎師は語ります「神は模範的な教会を用いられたのではなく、このコリント教会のような、いわば劣等生のような教会を用いられた。私たち劣った一人一人に対しても同様である。私たちが自分の弱さ、つまらなさに泣く時、私たちが生きているのではなく、神に生かされ用いられていることを知る」(榎本保郎、新約聖書1日1章、P332)。
・教会には誤解や争いが絶えません。これが「神の教会か」と思うこともしばしばあります。パウロもまた、このあまりにも人間的な現実の中で、悩み、悲しみ、怒ります。しかし彼は教会に対する責任を放棄しません。神の恵みである信仰は、教会なしには生まれず、育まれることはないことを知る故です。しかし、その人間的対立の中から人の心に迫る手紙が生まれてきました。第二コリント書は国宝のような宝物です。そしてこの宝物は苦難の中から生まれてきたのです。パウロは語ります「(私たちは)苦難をも誇りとします。私たちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望は私たちを欺くことがありません」(ローマ5:3-5a)。神の御心にかなった悲しみを通して、私たちは神の祝福を受けるのです。

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