1.哀歌3:28−33と私
・聖書の言葉が人の人生を変える時があります。私自身を振り返ってみても、節目節目に御言葉を与えられ、人生の方向が変えられてきました。哀歌3:28-33もそのような御言葉の一つです。哀歌はエレミヤが書いたといわれています。エルサレムの滅亡の中で読まれた歌です。次のような言葉があります「軛(くびき)を負わされたなら、黙して、独り座っているがよい。塵(ちり)に口をつけよ、望みが見いだせるかもしれない。打つ者に頬を向けよ、十分に懲らしめを味わえ。主は、決して、あなたをいつまでも捨て置かれはしない。主の慈しみは深く、懲らしめても、また憐れんでくださる。人の子らを苦しめ悩ますことがあっても、それが御心なのではない」。
・イスラエルは神に背き、その結果神から裁きを受けます。その裁きはバビロン軍の国への侵攻、首都エルサレム陥落、王国滅亡、民の離散として、目の前の現実となりました。町は焼かれ、民は殺され、主だった人々は敵の都バビロンに捕虜として連れて行かれました。その絶望の只中で書かれた記事が哀歌です。人々は全てを失い、食べるものもなく、町をさまよっています。著者はエルサレム滅亡の目撃者です。彼は絶望の中で神の名を呼び、祈り続けます。その祈りの中で絶望が次第に希望に変わっていきます。国の滅亡という裁きを受けたが、神は私たちを見捨てられない、あわてふためき騒ぎ立てることをせず、静かに神に信頼して与えられた軛を負っていこう、この困難もまた神のご計画の中にあるものなのだからと。「塵に口をつけよ」、「打つ者に頬を向けよ、十分に懲らしめを味わえ」、何故ならば「主は、決してあなたをいつまでも捨て置かれはしない。主の慈しみは深く、懲らしめても、また憐れんでくださる」。現実がどのようであれ、御心ならそれを受入れて行こう、哀歌の著者はそう歌います。
・この言葉が私に与えられたのは、8年前でした。前にお話しましたように、私は45歳の時に、長男との不和が原因で、自分の信仰を問われ、夜間神学校である東京バプテスト神学校に通い始めました。しかし、2年が経った時に、転勤で福岡へ行きました。幸いなことに福岡は日本のバプテスト発祥の地で、そこにもバプテスト神学校があり、勤めをしながら学びを継続することが出来ました。東京・九州両神学校の学びが終わった時、ちょうど50歳になり、それまでの勤めを辞めて、牧師になる決心をしました。同時に学びが十分でないという意識がありましたので、東京神学大学に入り、牧師と神学生という二枚のわらじを履いて新しい生活が始まりました。
・赴任した教会は宣教師に育てられた教会で、信仰は福音主義的、保守的でした。赴任してしばらくすると、一部の教会員の方から、私の説教が自由主義的でバプテスト的ではないという批判が起こりました。私の聖書理解は神学校で教えられた通りのものですが、歴史的事実と信仰的事実を区分します。例えば、天地創造の記事は信仰的事実であり、創世記は歴史書ではないと考えます。ですから現代科学が教える「人間の進化」や「ビッグバンによる宇宙の創造」をそのまま受入れます。それは保守的な人から見れば危険思想に見えたのかもしれません。当初はお互いがもっと知り合えば誤解は解ける、教会は「主にあって一つ」だと考えていましたが、誤解は解けず、批判は高まって行きました。その中で一部の方から、「あなたが牧師を辞任するか、私たちがこの教会を去るか」という迫りを受けました。
・聞いている人たちが批判的な時に、説教を語ることは難しいことです。毎日が地獄のようでした。何度も神に問いかけました「あなたの召しを受けて牧師になったのに、何故その牧師職を辞めるように導かれるのですか」。神学校の友達にも苦難を訴えて慰めを求めました。その一人からの返書の中に、この哀歌がありました。「軛(くびき)を負わされたなら、黙して、独り座っているがよい。塵(ちり)に口をつけよ、望みが見いだせるかもしれない。打つ者に頬を向けよ、十分に懲らしめを味わえ」。もらった当初は何故こんなに冷たい聖句を贈ったのだろうと思いました。ただ心に残る言葉でしたので、葉書を机の前の壁に飾り、毎日眺めていました。そうしたら次第に後半の言葉が強く迫ってくるようになりました「主は、決して、あなたをいつまでも捨て置かれはしない。主の慈しみは深く、懲らしめても、また憐れんでくださる。人の子らを苦しめ悩ますことがあっても、それが御心なのではない」。繰り返しその言葉を聴いているうちに決心が促され、よく年3月に牧師を辞任しました。苦しい1年でしたが、振り返ってみれば、この時の経験が今の基礎になっているように思います。特に信徒と牧師の違いを思い知らされました。信徒は批判し、批判が入れられなければその教会を去ればよいですが、牧会を委ねられている牧師にはそのような自由はありません。牧師になるとは、自分を捨てて仕える覚悟がないと勤まらないと知らされました。牧師を辞任した後の1年間は神学大学の学びに没頭し、やがて卒業と共にこの教会の牧師に迎えられ、6年が経過しています。
2.痛みの意味
・今は教会牧師をしながら、東京バプテスト神学校に勤務していますが、神学校では毎年、夏期集中講座を開いています。今年は聖学院大学・平山正実先生をお呼びして、「死生学」を学びました。先生は精神科医として診療しながら、大学でも教えておられる方です。講義の中で、先生は「痛みの意味」について次のよう言われました。「人は死や病を喜んで受入れる事が出来ない。出来れば避けたいと思う。それを人に受容させるものが痛みである。痛みは人間存在への危険信号である。人が生まれる時、母親は陣痛の苦しみの中で子を生む。子は痛みの中で泣いて生まれる。しかし、医学の進歩はこの痛みを人生から排除した。帝王切開すれば痛みなしでの分娩が可能であり、癌の痛みも緩和ケアーで抑えられる。現代人は痛みに鈍感になり、その分、死や病の受容が難しくなっている。真理(ギリシャ語アレテイア)は隠れているものを明るみに引き出すことだ。痛みに向き合う、つらくても逃げないことが大事だ。悪性の病気ほど痛みがないことは示唆的だ。死亡率の高い膵臓癌は痛みがない。ハンセン氏病も痛みがないゆえ、敗血症等を併発して死ぬ。糖尿病は沈黙の病と言われ、無症状のままで多臓器障害を引き起こす。痛みがない、災いがないことほど恐ろしいものはない。気がつかないうちに病が進行する。若い女性がリストカットする時、彼女は自分の存在を確認するため、血を流して痛みを知るために行う。痛みを持つ意味、障害が与えられた意味を再確認することが必要だ」。痛みを受入れる、そこから新しいものが生まれると先生は言われました。
・先生は更に具体例を持ってそのことを説明されます。ダウン症の子を持つ父親はかつて言ったそうです「ダウン症の子を持つことによって、多くのことを学んだ。彼によって、社会と人間の本質的なことを教えられた。人は病気を通してやさしくなれるのだ」。またノーベル賞を受賞した物理学者の小柴昌俊氏は中学生の時に小児麻痺に罹り、右手の麻痺が残ったため、念願であった陸軍士官学校への進学をあきらめ、研究者になりました。彼はある本の中で次のように述べているそうです「小児麻痺にならなければ、今日の自分はなかった」。
・痛みを受入れる、苦難を神から与えられたものとして受入れる時、それは「神の御心に適った悲しみ」(�コリント7:10)となり、人に自分を見つめさせ、自分の限界を知り、その限界を超える神の御名を呼び求める契機になるのです。平山先生はこのようにも言われました「ドイツの哲学者ヤスパースは限界状況と言う言葉を用いてこれを説明する。人は限界状況(病、貧困、老、死等)に直面して自分の限界を知り、その時初めて生きる意味を問う。そこに宗教の場があるように思う」。精神医学の臨床の経験から導き出された真理は聖書の語るところとまさに一致しているのです。そのような視点から哀歌3章を読みなした時、御言葉の持つ深さを改めて知ることが出来ます「主は、決して、あなたをいつまでも捨て置かれはしない。主の慈しみは深く、懲らしめても、また憐れんでくださる。人の子らを苦しめ悩ますことがあっても、それが御心なのではない」。