1.自分を養う牧者
・エゼキエル34章は、自分を養うが民を養わなかったイスラエルの牧者(王や支配者)に対する告発の書だ。類似の預言がエレミヤ23:1-2にあり、エゼキエルはエレミヤの預言を知り、捕囚民のために再度預言したものと思われる。
-エゼキエル34:2-4「災いだ、自分自身を養うイスラエルの牧者たちは。牧者は群れを養うべきではないか。お前たちは乳を飲み、羊毛を身にまとい、肥えた動物を屠るが、群れを養おうとはしない。お前たちは弱いものを強めず、病めるものをいやさず、傷ついたものを包んでやらなかった。また、追われたものを連れ戻さず、失われたものを探し求めず、かえって力ずくで、苛酷に群れを支配した」。
・自分を養うとは、王が民のことを考慮せずに保身に走ることだ。王国末期エホヤキム王はエジプトに朝貢するために重税を課し、王宮を建て増した(列王下23:35)。このような王のためにユダ王国は滅亡し、民は散らされていった。
-エゼキエル34:5-6「彼らは飼う者がいないので散らされ、あらゆる野の獣の餌食となり、ちりぢりになった。私の群れは、すべての山、すべての高い丘の上で迷う。また、私の群れは地の全面に散らされ、だれひとり、探す者もなく、尋ね求める者もない」。
・主は言われる「私は生きている。もう我慢できない。お前たちを解任し、私自身が群れを養う」と。
-エゼキエル34:7-10「私は生きている・・・私の群れは略奪にさらされ、私の群れは牧者がいないため、あらゆる野の獣の餌食になろうとしているのに、私の牧者たちは群れを探しもしない。牧者は群れを養わず、自分自身を養っている・・・私は牧者たちに立ち向かう。私の群れを彼らの手から求め、彼らに群れを飼うことをやめさせる。牧者たちが、自分自身を養うことはもはやできない。私が彼らの口から群れを救い出し、彼らの餌食にはさせないからだ」。
・主は「自ら群れを探し出し、諸国から集め、世話をする」と言われる。具体的には捕囚からの帰還が預言されている。
-エゼキエル34:12-14「牧者が、自分の羊がちりぢりになっているときに、その群れを探すように、私は自分の羊を探す。私は雲と密雲の日に散らされた群れを、すべての場所から救い出す。私は彼らを諸国の民の中から連れ出し、諸国から集めて彼らの土地に導く。私はイスラエルの山々、谷間、また居住地で彼らを養う。私は良い牧草地で彼らを養う。イスラエルの高い山々は彼らの牧場となる。彼らはイスラエルの山々で憩い、良い牧場と肥沃な牧草地で養われる」。
2.主自らが養われる
・また羊自身も裁かれる。肥えた羊は痩せた羊を、山羊は羊を圧迫し、自分たちのみが食べ飲み、仲間に分け与えようとしなかった。その罪もまた裁かれていく。民の中にある罪が指摘されている。
-エゼキエル34:17-22「私は羊と羊、雄羊と雄山羊との間を裁く。お前たちは良い牧草地で養われていながら、牧草の残りを足で踏み荒らし、自分たちは澄んだ水を飲みながら、残りを足でかき回すことは、小さいことだろうか。私の群れは、お前たちが足で踏み荒らした草を食べ、足でかき回した水を飲んでいる・・・私自身が、肥えた羊とやせた羊の間を裁く。お前たちは、脇腹と肩ですべての弱いものを押しのけ、角で突き飛ばし、ついには外へ追いやった。しかし、私はわが群れを救い、二度と略奪にさらされないようにする。そして、羊と羊との間を裁く」。
・人間の中にある強欲さが分かち合いを妨げている。今パレスチナを流れるヨルダン川が枯渇しようとしている。流水量の90%が途中で取水され、大半の水はイスラエル側に取り込まれている。その結果、イスラエル領は緑が茂り、ヨルダン側は赤土の砂漠が拡がる。まさにエゼキエルの描く肥えた羊と痩せた羊のようではないだろうか(参考資料参照)。
・支配者の罪、民の罪を思う時、もはや人間に牧者を委ねることはできない。それ故、主は人々のために「ダビデのような牧者を起こされ、あなたがたと平和の契約を結ばれる」とエゼキエルは預言する。
-エゼキエル34:23-31「私は彼らのために一人の牧者を起こし、彼らを牧させる。それは、わが僕ダビデである。彼は彼らを養い、その牧者となる。また、主である私が彼らの神となり、わが僕ダビデが彼らの真ん中で君主となる・・・私は彼らと平和の契約を結ぶ。悪い獣をこの土地から断ち、彼らが荒れ野においても安んじて住み、森の中でも眠れるようにする・・・私が彼らの軛の棒を折り、彼らを奴隷にした者の手から救い出す・・・彼らは二度と諸国民の略奪に遭うことなく、この土地の獣も彼らを餌食にしない。彼らは安らかに住み、彼らを恐れさせるものはない。私は彼らのためにすぐれた苗床を起こす。この土地には二度と凶作が臨むことはなく、彼らが諸国民に辱められることは二度とない・・・お前たちは私の群れ、私の牧草地の群れである。お前たちは人間であり、私はお前たちの神である」。
・この預言がイエスにおいて成就したと新約は理解した。ヨハネ10章の良き羊飼いはエゼキエル34章を背景にしている。
-ヨハネ10:11-15「私は良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。狼は羊を奪い、また追い散らす。彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。私は良い羊飼いである。私は自分の羊を知っており、羊も私を知っている。それは、父が私を知っておられ、私が父を知っているのと同じである。私は羊のために命を捨てる」。
*エゼキエル書34章参考資料:肥えた羊とやせた羊~イスラエルとパレスチナの水戦争
(2002年7月 役重善洋:パレスチナの平和を考える会)
・対イラク戦争の主要因として中東における石油資源の重要性が議論されているが、この地域の水資源についても、中東問題の中心課題として、もっと注目されてもよいだろう。1967年の第3次中東戦争の背景には、ヨルダン川の水をめぐってのシリアとイスラエルとの間での対立があったことはよく知られている。その後長年に渡りイスラエルはゴラン高原と西岸・ガザの軍事占領を継続し、一方的にパレスチナの水資源を国際法に反して支配し続けている。イスラエルは、占領地の地下にある滞水層から、その利用可能水量の8割以上を奪い、イスラエル領内および入植地で消費している。一方、パレスチナ人は、ヨルダン川の水の利用を禁止され、また、井戸を掘るのにもイスラエルの許可が必要とされる。その結果、被占領地のパレスチナ人は、一人当たりの年間水消費量で比べると、イスラエル人のわずか5分の1の水しか得られず、恒常的な水不足に悩まされている。93年のオスロ合意も、この状況を打開するために何ら効力を持つことはなかった。
・水資源の配分に関する極端な差別がとりわけ深刻な事態をもたらしているのがガザ地区である。人口の8割以上を、イスラエル建国によって故郷を追われた難民が占めるガザ地区は、世界で最も人口過密な地域だと言われており、しかも、その土地の40%は、人口比で僅か0.6%にすぎないユダヤ人入植者によって占拠されている。近年、ガザの地下にある滞水層は過剰取水によって水位が低下し、塩水化が進んでいるが、浅い井戸からの取水しか認められていないガザ住民は、塩分濃度の高い水しか得ることができない。ガザで水道水をなめてみると、明らかに塩気があるのが分かるほどである。しかし、その一方、入植地では、水泳プールが整備され、あるいは灌漑用水としてふんだんに水が消費されているのである。
・2000年9月にインティファーダが勃発すると、イスラエルはパレスチナ人に対する集団懲罰政策の一環として、意図的な断水や給水設備の破壊を進めてきた。この2年間で、ガザだけでも100以上の井戸の破壊が報告されている。2003年1月30日にガザ地区南部の町ラファで、街の60%の給水を担っていた2つの井戸が破壊され、市民生活に甚大なダメージを与えた。もちろん、こうした水資源をめぐる行為は、市民の殺傷、活動家の暗殺、家屋破壊、土地没収、移動制限や外出禁止令といった、もろもろの弾圧政策のなかのひとつに過ぎない。しかし、「爆弾攻撃」によるイスラエル人の被害とセットでごくたまにパレスチナ人の犠牲者数が伝えられるといった、なけなしの報道の裏には、水資源の収奪によって、パレスチナ人の生活全体が確実に破壊されつつあるという厳しい現実があることは、強調しておいても良いだろう。
・日本政府は、1993年以降、井戸や上下水道を含めたインフラ整備を中心に、6億3000万ドルものパレスチナ支援を行っている。しかし、そうして作られたインフラが現在イスラエル軍によって毎日のように破壊されているにも関わらず、経済支援以外には、積極的にイスラエル軍の占領と暴力を終結させるためのイニシアチブを何ら取ろうとはしていない。それどころか、小泉政権は、ブッシュ米大統領による対イラク戦争政策の手放しでの支持を表明しており、相も変わらず、日本の中東政策における参照項は石油と日米同盟だけで、この地域に暮らす「人間」のことなどまるで考慮していないことを露呈している。こうした状況だからこそ、「私たち」は、一人の生活者(すなわち水消費者)としての視点を持って、パレスチナ、そして中東の人々が置かれている状況に目をむけることから、圧倒的な不正義を是正していくための努力を始めていきたいと思う。