1.イエスの系図とマタイ福音書
・マタイはイエスの系図から福音書を書き起こしている。何の予備知識もなしに、第一章から読み始めると、系図のカタカナの名前の羅列につまずき、先へ進めなくなる。しかし、マタイは福音書の入り口に、イエス・キリストの系図を置くべくして置いている。
-マタイ1:1-6「アブラハムの子ダビデの子イエス・キリストの系図。アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを、へツロンはアラムを、アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、エッサイはダビデ王をもうけた。」
・巻頭の「アブラハムの子ダビデの子イエス・キリストの系図」は、「イエスはキリストである」というマタイの信仰告白でもある。エルサレムへ入城したイエスを迎えた群衆は「ダビデの子にホサナ」(マタイ21:9)と歓呼した。人々はメシアは「ダビデの子」から生まれると考えていた。族長時代(前2000-1500年)、神はアブラハムの献身と従順を認め、「地上の氏族はあなたによって祝福に入る」(創世記12:1-3)と宣べ、アブラハムを民の長に選んだ。アブラハムより始まった族長の時代はイサク、ヤコブ、ユダと続き、ユダと息子の嫁タマルとの間からペレツとゼラが生まれた。
・民族形成時代(前1290-1250年)、ヘブル人たちが、モ-セの指導でエジプトを脱出、40年間荒野をさ迷うが、系図にモ-セの名はなく、ベレツからへツロン、ラム、アミナダブ、ナフション、サルマと系図は続き、民族が形成される。士師時代(前1200-1020年)、エリコの戦いの時、ラハブはヨシュアが派遣した斥候を匿い、無事帰還させた功で信を得、ユダ族の長サルモンと結婚、ボアズを生む。ルツは異邦のモアブ人であったがボアズと結婚する。ダビデの系図(ルツ記4:18-22)は、ポアズとルツの間に生まれたオベドからエッサイが生まれ、エッサイからダビデが生まれたと記録している。
-マタイ1:6b-11「ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ、ソロモンはレハブアムを、レハブアムはアビヤを、アビヤはアサを、アサはヨシャファトを、ヨシャファトはヨラムを、ヨラムはウジヤを、ウジヤはヨタムを、ヨタムはアハズを、アハズはヒゼキヤを、ヒゼキヤはマナセを、マナセはアモスを、アモスはヨシヤを、ヨシヤは、バビロンへ移住させられたころ、エコンヤとその兄弟たちをもうけた。」
・統一王朝から分裂王国時代(前1020-587年)、神はダビデに「あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる」と約束された(サムエル下7:16)。そのダビデはウリヤの妻との不倫でソロモンを生む。ソロモンの王国は最初のうちは繁栄したが、偶像崇拝がはびこり内部崩壊する。ソロモン死後、王国は南北に分裂。ソロモンの子レハブアムは南王国ユダの王となり、以後南王国ユダの王がアビヤ、アサ、ヨシャフト、ヨラム、ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤ、マナセ、アモス、ヨシヤと続くが、ヨシヤの代で滅び、ヨシヤはバビロンに捕囚となり、異郷バビロンの地でエコンヤを生む。
-マタイ1:12-17「バビロンへ移住させられた後、エコンヤはシャルティエルをもうけ、シャルティエルはゼルバベルを、ゼルバベルはアビウドを、エリアキムはアゾルを、アゾルはサドクを、サドクはアキムを、アキムはエリウドを、エリウドはエレアザルを、エレアザルはマタンを、マタンはヤコブを、ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロン移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。」
・バビロン捕囚時代(前597-539年)、捕囚の地でエコンヤはサラテルを生む。サラテルはゼルバベルを生む。彼らは民族の指導者であっても王ではなかった。そしてゼルバベルの後に続く人物もすべて王ではなかった。400年の空白の時を経て、前63年ロ-マの将軍ポンペイウスがエルサレムに入城、イスラエルはロ-マの属州となる。イエスはロ-マの初代皇帝アウグストウスの時代(ルカ1:2)、そのロ-マの属州、イスラエルのヘロデ大王の治世に(マタイ2:1)、ユダヤのべツレヘムで生まれたと伝承は記す。
・マタイとルカは異なるイエスの系図を示している。マタイとルカで異なるのは、それぞれの系図に記録された人物の数である。アブラハムからイエスまでの、双方の系図上の人物を数え比べてみたら、マタイは42名、ルカは55名であった。歴史上実在した人物の数が違うとは考えられないから、マタイは中間の人物を省いて14x3としたのではないかとも考えられる。
2.イエスの系図に記録された四人の女性
・この系図で注目されるのは、そこに4名の女性タマル、ラハブ、ルツ、ウリヤの妻バテシバの名があることである。いずれも問題のある女性たちである。タマルはユダの長男エルと結婚するが、夫は主の意に反したので殺される。次男オナンはタマルと結婚し、亡き兄の子を残せと命ぜられる(レビラート婚)。オナンは自分の子とならない結婚に不満で子をもうけなかったので殺される。タマルは三男との結婚を望むが、三男までが死ぬのを怖れたユダは許さない。そこでタマルは娼婦に扮し、舅ユダを誘惑、ユダとの間に生まれたのがペレツである(創世記38:6-29)。
・士師の時代、ラハブは売春婦ながら、ヨシュアのエリコ攻略を助け、サルモンと結婚ボアズを生む(ヨシュア2:1-24)。そのボアズと結婚したモアブ人ルツは、オベドを生み、ダビデの曾祖母となる(ルツ記4:17)。ダビデ王はウリヤの妻バテシバを見初め、夫ウリヤを危険な戦場へ送り戦死させ、バテシバを手に入れ、ダビデとバテシバの間のソロモンが生まれる(サムエル記下12-13章)。
・旧約聖書はどろどろした人間の葛藤を、隠すことなく描き出している。人間の歴史の表も裏もためらうことなく、さらけ出し、記録している。なぜ聖書は赤裸々な人間の真実を隠すことなく伝えるのか。マタイは世人が恥とし、名誉を失うような所業であっても、イエス・キリストによって、浄められ、聖別されることを、キリストの系図に4人の罪ある女性たちの名を加えることにより、証ししているのである。
-Ⅰコリント1:26-29「兄弟たち、あなたがたが召された時のことを、思い起こしてみなさい。人間的にみて知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。それは、誰一人、神の前で誇ることがないようにするためです。」
3.マタイはなぜこのような系図を書いたのか
・イエスの誕生の次第は多くの人々に困惑を与えてきた。マタイは福音書冒頭にアブラハムから始まってイエスに至るまでの42代の系図を掲げる。「アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを」という風に父の系図が続くが、イエスについては次のように語る「ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった」(1:18)。父の系図が突然母系に変わっている。
・ルカもイエスの系図を掲げるが、その中で「イエスはヨセフの子と思われていた」(ルカ3:23)と語る。マルコではイエスがナザレ村で「マリアの息子」(マルコ6:3)と呼ばれていたと報告する。それは「父の名をつけて呼ぶ」のが慣例の社会では、決して好意的な呼び名ではない。マタイもルカもさらにマルコも「イエスはヨセフの実子ではない」、「イエスはマリアの婚外妊娠によって生まれられた」ことを告白していると思われる(聖霊による受胎も婚外妊娠に含まれる)。
・キリスト教がユダヤ教から分離独立していった後、母体のユダヤ教側では、「イエスがヨセフの子ではない」ことを逆手にとって、「イエスは私生児だった」と批判していたようだ。3世紀に教父オリゲネスは「ケルソス駁論」という書物を著すが、その反駁の対象とされたケルソスはギリシア人哲学者で、ユダヤ人から聞いた話として、「聖霊によるイエスの出産(マリアの処女懐胎)というキリスト教の主張は、婚外妊娠という事実を隠すための虚偽にすぎない」と批判している。
・批判されても仕方のない状況下で、イエスがお生まれになったのは事実だ。イエスを「神の子」と認めない者にとって、「聖霊による受胎」はたわごとに過ぎない。マタイはその事実を踏まえ、仮にイエスの先祖たちがタマルやバテシバのような罪びとであっても、神はその罪を犯す者たちの悲しみを知っておられると主張するために、あえて系図の中に4人の罪ある女性たちの名前を挿入したと思われる。福音書を書いたされるマタイは当時の社会の中で、嫌われ排除された収税人であった(9:9)。しかし、イエスはそのようなマタイをも弟子として受け入れて下さった。自分が差別され苦しんだ人こそが、差別に苦しむ他者を憐れむことが出来る。それこそマタイがキリストの系図に4人の女性の名前を入れたもう一つの理由であると思える。