聖書教育の学び

2020年1月12日聖書教育の学び(2015年2月18日祈祷会、ヨハネ4:1-30、サマリアの女との出会い)

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1.イエスとサマリアの女

 

・イエスの伝道の成功が、皮肉にもイエスをユダヤから退かせることになった。イエスのもとへ集まる人々が次第に増え、ファリサイ派の人々の反感も増していった。イエスは、彼らとの衝突を避けるため、ガリラヤへ退こうとされ、旅の途次、サマリアを通過された。サマリアはユダヤとガリラヤの間にあった。

-ヨハネ4:1-4「さて、イエスがヨハネより多くの弟子をつくり、バプテスマを授けておられるということが、ファリサイ派の人々の耳に入った。イエスはそれを知ると、(バプテスマを授けていたのは、イエスご自身ではなく、弟子たちである)、ユダヤを去り、再びガリラヤへ行かれた。しかし、サマリアを通らねばならなかった。」

・正午頃、イエスはサマリアの町に着いたが、疲れを覚え、ヤコブの井戸の傍らで休憩した。ヤコブが叔父ラバンの地パダン・アラムから故郷への帰途、立ち寄ったシケムで宿営して、そのとき掘った井戸が、サマリア人の間で「ヤコブの井戸」と呼ばれていた(創世紀33:18-20)。

-ヨハネ4:5-6「それで、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにある、シカルというサマリアの町に来られた。そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。」

・ヤコブの井戸に水を汲みに来たサマリアの女に、「水を飲ませてほしい」とイエスが頼む。女は「何故ユダヤ人のあなたが、サマリア人の私に頼むのですか」と訝しがった。ユダヤ人はサマリア人と絶交していたから、女がそう言うのは当然だった。サマリアは北王国イスラエルの首都であったが、紀元前721年アッシリアに攻略されて滅び、アッシリアは各地から外国人をサマリアに移住させ、人種混合政策をとった。その結果、ユダヤ人にとっては許せない多神教が、その地に生まれたのである(列王下17:24-41、彼らはサマリア派と呼ばれ、エルサレム神殿ではなくゲリジム山の神殿で礼拝していた)。

-ヨハネ4:7-9「サマリアの女が水を汲みに来た。イエスは『水を飲ませてください』と言われた。弟子たちは食べ物を買うために町へ行っていた。すると、サマリアの女は『ユダヤ人のあなたがサマリアの女の私に、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか』と言った。ユダヤ人はサマリア人と交際しないからである。」

・イエスがサマリアの女に水を求めたのは、話のきっかけを作るためだった。イエスはサマリアの女に「生きた水を与えよう」と言われた。

-ヨハネ4:10-12「イエスは答えて言われた。『もしあなたが、神の賜物を知っており、また、「水を飲ませてください」と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。』女は言った。『主よ、あなたは汲む物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。あなたは、私たちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸を私たちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです。』」

・「この水を飲んだ者はだれでも渇く」とイエスは女に言われ、続けて「私が与える水を飲む者は決して渇かない。その人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る」と言われた。女は理解できなかった。しかし、女の求道心をしだいに呼び覚ましていった。

-ヨハネ4:13-15「イエスは答えて言われた『この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、私が与える水を飲む者は決して渇かない。私が与える水はその人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が湧きでる。』女は言った『主よ、渇くことがないように、また、ここに汲みに来なくてもいいように、その水を下さい。』」

・イエスのサマリア伝道はヨハネ福音書だけが記す。ヨハネ教団の中にはサマリア派からの改宗者がいたのではと推測されている。イエスとサマリアの女の対話には、福音を求めていない者への伝道の一つのあり方が示されている。伝道は常に伝える対象がはっきりと定まっているとは限らない。また求める側もこのサマリアの女のように、何も求めていない場合もある。さらに、漠然とした不信と偏見に気づいていな場合もあるかもしれない。しかし、そのような人々でも、自分では気づかない、心の深いところで神を求めている。イエスは、サマリアの女の自分では気づいていなかった求道心を、呼び覚ましたのである。

 

2.霊と真理をもって父を礼拝する時が来る

 

・イエスはガリラヤに帰る途中にサマリアを通られ、ヤコブの井戸で休まれた。そこに一人の女が水を汲みに来た。女は昼の暑い盛りに水を汲みに来た。村人から疎外されていたため、人目を避けて水を汲みに来たのであろう。彼女は何度も離婚し、今は夫ではない男性と同棲していた。イエスはその間の事情を洞察し、女に指摘された。サマリアの女は動揺した。

―ヨハネ4:16-19「イエスが、『行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい』と言われると、女は答えて、『私には夫はいません』と言った。イエスは言われた。『夫はいませんとはまさにその通りだ。あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫でない。あなたはありのままを言ったわけだ。』」

・サマリアの女は、自分の秘密を見抜いたイエスを預言者と認め、ユダヤ人とサマリア人の、信仰の違いについて質問する。ユダヤ人はエルサレムで、サマリア人はゲリジム山で礼拝し、お互いが自分たちこそ正統だと争っていた。

―ヨハネ4:19-20「女は言った。『あなたは預言者だとお見受けします。私どもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝する場所はエルサレムにあると言っています。』

・多くの宗教は本山を持つ(エルサレム、ローマ、メッカ等)。礼拝が特定の場所に限定されるとは、神が地域に限定されることであり、神が人間の支配下にある=偶像化していることを示す。

―ヨハネ4:21-24「イエスは言われた『婦人よ、私を信じなさい。あなたがたがこの山でもエルサレムでもない所で礼拝する時が来る。あなたがたは知らないものを礼拝しているが、私たちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来る。しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない』」。

 

3.メシアはこの私である

 

・サマリアの女に、イエスは「自分こそメシアである」と告げる。その時、弟子たちが帰ってきた。イエスのメシア宣言を聞いた女は、持参の水がめを置いたまま町へ飛び出し、イエスとの出会いを触れ回り、それを聞いた町の人々は、続々とイエスのもとへ集まった。

―ヨハネ4:25-30「女が言った。『私は、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られる時、私たちに一切のことを知らせてくださいます。イエスは言われた。『それは、あなたと話しているこの私である。』ちょうどその時、弟子たちが帰って来て、イエスが女と話しておられるのに驚いた。しかし、『何か御用ですか』とか、『何をこの人と話しておられるのですか』と言う者はいなかった。女は水がめをそこに置いたまま町に行き、人々に言った。『さあ、見に来てください。私が行ったことをすべて、言い当てた人がいます。もしかしたら、この方がメシアかも知れません。』人々は町を出てイエスのもとへやって来た。」

・弟子たちから食事を勧められたイエスは、神の御心の実践こそが、私の食べ物であると語る。イエスは、食べ物を譬えに、弟子たちに真理を教えようとされたのだが、弟子たちには理解できなかった。

―ヨハネ4:31-34「その間に、弟子たちが『ラビ、食事をどうぞ』と勧めると、イエスは、『私にはあなたがたの知らない食べ物がある』と言われた。弟子たちは、『だれかが食べ物を持って来たのだろうか』と互いに言った。イエスは言われた。『私の食べ物とは、私を遣わした方の御心を行い、その業をなし遂げることである。』」

・イエスは、刈り入れ時を迎えた農夫の譬えを用いて、種を蒔いたら必ず刈り入れの時が来ると語られる。私たちは与えられた地で福音の種を蒔く。私たちが収穫できなくとも次の人が収穫する。

―ヨハネ4:35-38「あなたがたは、「刈り入れまでまだ四か月もある」と言っているではないか。私は言っておく。目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。既に、刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。こうして、種を蒔く人も刈る人も、共に喜ぶのである。そこで、「一人が種を蒔き、別の人が刈りいれる」ということわざのとおりになる。あなたがたが自分では苦労しなかったものを刈りいれるために、私はあなたがたを遣わした。他の人々が労苦し、あなたがたはその労苦の実りにあずかっている。」

・イエスは危険なユダヤを逃れて故郷ガリラヤに戻るために道を急がれ、そのため、近道になるサマリアを通られた。ユダヤ人にとってサマリアは異端の地であり、通常であれば、避けて通る道筋だった。そこでイエスが出会われたのは、身持ちの悪い婦人だった。しかし、彼女はイエスに出会って回心した。女は村人を呼びに行き、イエスに紹介し、そこでも多くの回心者が出た。イエスは思いがけない収穫に心を躍らされた。伝道がいつ実るか、どのような形で収穫できるか、私たちは知らない。しかし蒔いた種は必ず実をつける。それを信じて、私たちは蒔き続けるのである。

―ヨハネ4:39-42「さて、その町の多くのサマリア人は、『この方が、私の行ったことをすべてすべて言い当てました』と証言した女の言葉によって、イエスを信じた。そこで、このサマリア人たちはイエスのもとにやって来て、自分たちの所に留まるように頼んだ。イエスは二日間そこに滞在された。そして、更に多くの人々が、イエスの言葉を聞いて信じた。彼らは女に言った。『私たちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。私たちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かったからです。』」

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