1.弱さの中に恵みが
・パウロは自己の神との出会い体験を語らない。伝道者が自己の神体験を誇っても、聞く者の徳を高めないからだ。しかしコリントへの手紙ではあえて語る。彼は「幻の内に天に上り、そこで天の有様を見ることを許された」と語る。
-第二コリント12:2-4「私は、キリストに結ばれていた一人の人を知っていますが、その人は十四年前、第三の天にまで引き上げられたのです・・・私はそのような人を知っています。体のままか、体を離れてかは知りません・・・彼は楽園にまで引き上げられ、人が口にするのを許されない、言い表しえない言葉を耳にしたのです」。
・「一人の人」=パウロのこと、「14年前」=紀元43年頃、パウロがアンテオケ教会で活動していた時の出来事だ。具体的に何があったのかはわからない。パウロはある時、天に引き上げられて、そこで主に出会うという体験をした。それはパウロには忘れられない体験だった。その体験を通して伝道者は自分の「召命」を確信する。それは誇るべきことだ。パウロは語る「自分を振り返った時、目に付くのは肉の身の弱さだ。弱さを通して神を誇る」ことにパウロは導かれていく。
-第二コリント12:5「このような人のことを私は誇りましょう。しかし、自分自身については、弱さ以外には誇るつもりはありません」。
・パウロは深刻な病を持っていたらしい。てんかんあるいは眼病と言われているが、確かではない。それは彼の心身を苦しめると同時に、伝道の妨げにもなっていた。パウロはこの病を取り去ってくれるように、繰り返し主に祈った。
-第二コリント12:7-8「私の身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、私を痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、私は三度主に願いました」。
・与えられたのは「私の恵みはあなたに十分である」との言葉だった。肉のとげがある故に自分の弱さを知る。弱さを知るから主を求める。病が癒されないこともまた恵みであることをパウロは知らされた。
-第二コリント12:9「主は、『私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力が私の内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」。
・キリストの「ために」苦しむ、キリストと「共に」苦しむことは、恵みであるとパウロは告白する。
-第二コリント12:10「それゆえ、私は弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、私は弱いときにこそ強いからです」。
・新約学の織田昭氏は語る「パウロの『とげ』が実際に何だったのか、特定できないが、恐らく、これは、後にコリント書を読む多くの読者が、自分の持つ弱さや悲しみと引き比べながら、それぞれなりに慰めを受けられるように、聖霊がそうお導きになったのかも知れません。お互い弱い肉の人間として、病気の不安も、老いの悲哀も、事業の挫折もあります。もし私たちがお互い、自分の弱さを恥じないで共感できたら、私たちはみんな同じように主キリストだけを頼りにして、自分の弱さを克服できますし、その弱いままで強く変えられるのです。パウロの最後の言葉はこうでした。『私が弱い時、まさにその時、私は強くなれる。』」(織田昭・エリニカから)。
2.コリント再訪への杞憂
・パウロはこれから三度目のコリント訪問を計画している。しかし、コリント教会の大勢はパウロに批判的だ。パウロは愚かな自己弁解を再び繰り返す。
-第二コリント12:11-12「私は愚か者になってしまいました。あなたがたが無理にそうさせたのです。私は、たとえ取るに足りない者だとしても、あの大使徒たちに比べて少しも引けは取らなかったからです。私は使徒であることを、しるしや、不思議な業や、奇跡によって、忍耐強くあなたがたの間で実証しています」。
・批判の一つはエルサレム教会への献金運動であった。パウロが自給伝道をしながら、エルサレムへの献金活動をしていることを、コリントの一部の人々は、パウロが自分の腹を肥やすためにしていると曲解していた。伝道者にとって金銭的な問題で誤解を受けることほど悲しいことはない。
-第二コリント12:14-15「私はそちらに三度目の訪問をしようと準備しているのですが、あなたがたに負担はかけません。私が求めているのは、あなたがたの持ち物ではなく、あなたがた自身だからです。子は親のために財産を蓄える必要はなく、親が子のために蓄えなければならないのです。私はあなたがたの魂のために大いに喜んで自分の持ち物を使い、自分自身を使い果たしもしよう。あなたがたを愛すれば愛するほど、私の方はますます愛されなくなるのでしょうか」。
・パウロの誤りはコリント教会に活動を支えるための献金要請をしなかったことだ。教会は、献金して伝道者の業を助けるという重荷を負わない限り、成長しない。
-第二コリント12:16-18「私が負担をかけなかったとしても、悪賢くて、あなたがたからだまし取ったということになっています。そちらに派遣した人々の中のだれによって、あなたがたをだましたでしょうか。テトスにそちらに行くように願い、あの兄弟を同伴させましたが、そのテトスがあなたがたをだましたでしょうか。私たちは同じ霊に導かれ、同じ模範に倣って歩んだのではなかったのですか」。
・どのように説明しても人に信じてもらえない時がある。パウロはその悲しさを述べる。
-第二コリント12:19-21「あなたがたは、私たちがあなたがたに対し自己弁護をしているのだと、これまでずっと思ってきたのです・・・私は心配しています。そちらに行ってみると、あなたがたが私の期待していたような人たちではなく、私の方もあなたがたの期待どおりの者ではない、ということにならないだろうか・・・再びそちらに行く時、私の神があなたがたの前で私に面目を失わせるようなことはなさらないだろうか。以前に罪を犯した多くの人々が、自分たちの行った不潔な行い、みだらな行い、ふしだらな行いを悔い改めずにいるのを、私は嘆き悲しむことになるのではないだろうか」。
3.コリント第二の手紙12章の黙想
・内村鑑三に「聴かれざる祈り」という短文がある。彼は「聴かれざる祈祷のいちじるしき例が三つある。モーゼの祈祷が聴かれず、パウロも聴かれず、イエスご自身もまた聴かれなかった」と語り始め、パウロについて、このコリント12章の体験を語り始める。
-内村鑑三「聴かれざる祈り」から「神は新約の忠僕であるパウロの祈祷をも斥けられた。パウロにもまた一つの切なる祈願があった。彼は、単に彼の肉体の苦痛としてだけ、これを感じたのではないと思う。彼が伝道に従事するに当って、彼は大きな妨害としてこれを感じたのであろう。彼は幾回となく、このために敵の侮辱を受けたであろう。彼の福音は、幾回となくこのために人に嘲られたであろう。彼は自分の健康のためばかりではなく、福音のために、神の栄えのために、この痛い刺が彼の身から除かれることを祈った・・・ところがこの忠僕に対する、主の答は何であったか。・・・すげなかった。『我が恩恵、汝に足れり』というものだった。君の痛い刺は除かれる必要はない。私の恩恵は、これを補い得て足りているということであった。パウロの切なる祈求もまた、モーセのそれと等しく聴かれなかった。新旧両約の信仰の代表者は、その厚い信仰を以てしても、その祈祷の応験を見ることが出来なかったのである」(内村鑑三「聴かれない祈り」、全集第20巻の現代語訳から)。
・内村自身も「聴かれない祈り」を経験している。彼の娘ルツは死の病にかかり、内村は娘の病気が治るように繰り返し祈るが、祈り虚しく、ルツは死ぬ。内村の祈りは聞かれなかった。しかし内村は語る。
-内村鑑三「神は私の願いを斥けられて、私と私の愛する者を恵まれたことが分かった。死んだ私の娘は復活した。彼女の生存は、前よりもさらに確実なものとなった。天国の門は私のために開かれた。彼女の形体(かたち)が見えなくなって、私は彼女の霊を私の霊に懐くようになった。今や彼女は永久に私の娘である。誰も彼女を私から奪い取ることは出来ない・・・私に聴かれない祈祷があるのは、神が特に私を愛して下さる最も確かな証拠である。幸いな者とは、神に悉くその祈祷を聴かれた者ではない。その最も願うことを聴かれない者である」。
・生涯寝たきりの人生を送った水野源三は4冊の詩集を出したが、第一詩集の表題は「わが恵み汝に足れり」、第二コリント12:9から取られた。その中に「主よ、何故」という詩がある。人生の現実には納得出来ないものがある。「私の恵みはあなたに十分である」と言われて困惑し、その中で神を求めていく。
-水野源三「主よ、何故」から「主よ、何故そんなことをなされるのですか。私はそのことがわかりません。心には悲しみがみちています。主よ、どうぞこのことをわからせたまえ」。