1.エペソの獄中からのパウロの手紙
・フィリピはマケドニア州の港町で、パウロが初めてヨーロッパ伝道を行った記念すべき町である。キリスト教はユダヤで始まったが、発展したのはヨーロッパだ。「福音がアジアからヨーロッパに伝わる」ことがなかったら、その後の世界史は大きく変わったであろう。パウロのフィリピ伝道は歴史の大きな転換点になった。そのフィリピで、パウロはリディアという一人の裕福な婦人に出会い、彼女はパウロの話を聞いて、回心し、洗礼を受ける。やがてこのリディアの家の教会がフィリピ教会となっていき、その後はパウロの伝道活動を支援する教会となっていく。
-使徒16:11-15「私たちはトロアスから船出してサモトラケ島に直航し、翌日ネアポリスの港に着き、そこから、マケドニア州第一区の都市で、ローマの植民都市であるフィリピに行った。そして、この町に数日間滞在した。安息日に町の門を出て、祈りの場所があると思われる川岸に行った。そして、私たちもそこに座って、集まっていた婦人たちに話をした。ティアティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていたが、主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。そして、彼女も家族の者も洗礼を受けた」。
・パウロはその後、フィリピを離れ、テサロニケやコリント、エペソ等で伝道活動を続けるが、フィリピ教会はパウロの活動支援のためにエパフロディトに託して献金を送り、彼はパウロの助手として働き始めるが、重い病気に罹り、フィリピに帰る事となった。パウロは帰還するエパフロディトに託して、支援感謝の手紙を書く。それが「フィリピの信徒への手紙」である。
-フィリピ2:25-29「私は、エパフロディトをそちらに帰さねばならないと考えています。彼は私の兄弟、協力者、戦友であり、また、あなたがたの使者として、私の窮乏のとき奉仕者となってくれましたが、しきりにあなたがた一同と会いたがっており、自分の病気があなたがたに知られたことを心苦しく思っているからです・・・そういうわけで、大急ぎで彼を送ります。あなたがたは再会を喜ぶでしょうし、私も悲しみが和らぐでしょう。だから、主に結ばれている者として大いに歓迎してください」。
・フィリピ教会は常にパウロを支援し、支えてくれた。パウロはそれに深く感謝している。
-フィリピ1:3-5「私はあなたがたのことを思い起こす度に、私の神に感謝し、あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。それはあなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです」。
・フィリピ教会はパウロの伝道によって立てられた。人々を信仰に導いたのはパウロであるが、実はパウロを通して働いて下さったのは神であった。その神の祝福が最後の日まであるように、パウロは祈る。
-フィリピ1:6-7「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、私は確信しています。私があなたがた一同についてこのように考えるのは、当然です。というのは、監禁されている時も、福音を弁明し立証する時も、あなたがた一同のことを、共に恵みにあずかる者と思って、心に留めているからです」。
・あなたがたに、何が大事であるかを知る力と見抜く力を神が与えてくれるように、パウロは祈る。
-フィリピ1:9-11「私は、こう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように。そして、キリストの日に備えて、清い者、とがめられるところのない者となり、・・・神の栄光と誉れとをたたえることができるように」。
2.キリストにあって獄にいる事を喜ぶ
・フィリピの人たちはパウロがエペソで獄に繋がれ、伝道が挫折したのではないかと心配した。パウロは神が彼の入獄を通して恵まれた事を伝える。兵営の兵士たちの中に信仰に導かれる者たちが出た。
-フィリピ1:12-14「兄弟たち、私の身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい。つまり、私が監禁されているのはキリストのためであると、兵営全体、その他のすべての人々に知れ渡り、主に結ばれた兄弟たちの中で多くの者が、私の捕らわれているのを見て確信を得、恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになったのです」。
・パウロは先にフィリピでも投獄されたが、監獄の看守とその家族が信仰に導かれるという体験をした。
-使徒16:29-33「看守は、明かりを持って来させて牢の中に飛び込み、パウロとシラスの前に震えながらひれ伏し、二人を外へ連れ出して言った。『先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。』二人は言った。『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。』そして、看守とその家の人たち全部に主の言葉を語った。まだ真夜中であったが、看守は二人を連れて行って打ち傷を洗ってやり、自分も家族の者も皆すぐに洗礼を受けた」。
・今、同じ出来事がエペソでも起ころうとしている。パウロたちが牢獄の中にあっても宣教の熱意に燃えているのを見て、エペソの信徒たちも伝道を活発化させ、パウロを喜ばせた。
-フィリピ1:15-18「キリストを宣べ伝えるのに、ねたみと争いの念にかられてする者もいれば、善意でする者もいます。一方は、私が福音を弁明するために捕らわれているのを知って、愛の動機から、そうするのですが、他方は自分の利益を求めて、獄中の私をいっそう苦しめようという不純な動機からキリストを告げ知らせているのです。だが、それがなんであろう。口実であれ、真実であれ、とにかく、キリストが告げ知らされているのですから、私はそれを喜んでいます。これからも喜びます」。
・パウロは裁判の結果、自分が無罪放免されるのか、あるいは有罪として処刑されるのかを知らない。しかしどちらの結果になるにせよ、神の導きに委ねようと考えている。
-フィリピ1:20-24「生きるにも死ぬにも、私の身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています。私にとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。けれども、肉において生き続ければ、実り多い働きができ、どちらを選ぶべきか、私には分かりません。この二つのことの間で、板挟みの状態です。一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。だが他方では、肉にとどまる方が、あなたがたのためにもっと必要です」。
・キリストの為に苦しむ事も、恵みなのだ。その事を通して、キリストを証ししようとパウロは述べる。
-フィリピ1:27-29「ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい。そうすれば、そちらに行ってあなたがたに会うにしても、離れているにしても、私は次のことを聞けるでしょう。あなたがたは一つの霊によってしっかり立ち、心を合わせて福音の信仰のために共に戦っており、どんなことがあっても、反対者たちに脅されてたじろぐことはないのだと・・・あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです」。
3.フィリピ1章の黙想
・パウロは獄中にいる。監獄に捕らえられた者は、自分は無実であるのに拘束されたと不満を述べ、これからどうなるのかを心配し、いかにすれば放免されるかを悩む。しかし、パウロは憤慨もせず、落胆もせず、欲求不満にもならない。彼は自分がこの獄中にいるのは、神がこの出来事を通して、福音を伝えようとしておられるのだと理解している。フィリピ書には「喜ぶ」という言葉が17回も出てくる。パウロは死罪を言い渡され、処刑されるかもしれない状況の中で喜ぶ。
・フィリピ書は私たちに、「苦難の意味」を考えるように迫る。神はそれぞれの人に、異なった能力と境遇と運命を与えられる。ある人は健康に生まれ、別の人はそうでない。ある人は金持ちであり、ある人は家が貧しくて学校にいけなかった。私たちにはそれが何故か、理解できないが、理解できなくとも良いのであって、私たちは自分に与えられた運命の中で精一杯生きれば良い。それが現実を見つめる「平静さ」という勇気だ。
・人は苦しみに遭って初めて、自分の無力さ、弱さを知る。今まで自分一人の力で生きていると思っていたが、実は自分を超えたものに生かされている事を知る。私たちは苦難を通して人間に絶望し、その絶望の中で、暗闇も神の支配下にあり、苦しみが神と出会うために与えられたことに気がつく。
・日本基督教団議長を務めた鈴木正久牧師に最後の勇気を与えた書もフィリピ書だった。彼は重い病にかかり、死が避けられないことを知り、嘆いた。信仰者にとっても死は恐怖だ。彼を再び立ち上がらせたのは、フィリピ書だった。パウロはフィリピ書の中で、「死ぬとはキリストの元に行くことだ」と述べる。
-フィリピ1:21-24「私にとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。けれども、肉において生き続ければ、実り多い働きができ、どちらを選ぶべきか、私には分かりません。この二つのことの間で、板挟みの状態です。一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。だが他方では、肉にとどまる方が、あなたがたのためにもっと必要です」。
・鈴木正久は最後に「死を超えた明日」を与えられたことを感謝して死んでいく。
-鈴木正久・病床日記「フィリピ人への手紙を読んでもらっていた時、パウロが自分自身の肉体の死を前にしながら非常に喜びにあふれて他の信徒に語りかけているのを聞きました・・・パウロは、生涯の目標を自分の死の時と考えていません。それを超えてイエス・キリストに出会う日、キリスト・イエスの日と述べています。そしてそれが本当の「明日」なのです。本当に明日というものがあるときに、今日というものが今まで以上に生き生きと私の目の前にあらわれてきました」。