1.総督フェリクスの前で訴えられたパウロ
・大祭司アナニアはローマ総督にパウロを訴え、弁護士テルティロに告発させた。テルティロは、まず総督フェリクスの治世を賞賛し、美辞麗句を並べた後、「パウロは疫病のような危険人物で、世界中のユダヤ人に暴動を伝染させるから排除すべきだ」と告発理由を述べた。
-使徒24:4-6「『さて、これ以上御迷惑にならないよう手短に申しあげます、御寛容をもってお聞きください。実はこの男は疫病のような人間で、世界中のユダヤ人の間に騒動を引き起こしている者、「ナザレ人の分派」の首謀者であります。この男は神殿さえも汚そうとしたので逮捕しました』」。
・皇帝クラウディウスは紀元49年に「ローマからのユダヤ人追放令」を出しており、キリスト教伝道者がユダヤ人の間に騒ぎを起こしていたことは事実である(キリスト教の伝道はユダヤ人会堂を中心に展開されており、ユダヤ人が騒ぐのもある意味で当然だった)。テルティロは千人隊長がパウロを保護した経過を逆用し、騒動の責任をすべてパウロと千人隊長に押し付けようとした。
-使徒24:7-9「『そして私どもの律法で裁こうとした所、千人隊長リシアがやって来て、この男を無理やり私どもの手から引き離し、告発人たちには、閣下の所に来るようにと命じました。閣下御自身でこの者をお調べくだされば、私どもの告発していることがすべてお分かりになるかと存じます。』他のユダヤ人たちもこの告発を支持し、その通りであると申し立てた。」
・総督フェリクスは紀元52年、ユダヤ総督の地位についた(52-60年)。彼は奴隷出身の総督だった。彼の兄弟パラスの友人は後に皇帝になったクラウディオであり、クラウディオはパラスの願いで彼を総督に任命した。フェリクスは反ローマの反乱者を次々に処刑した残酷な統治者だったと歴史家ヨセフスは記述する(ユダヤ戦記)。彼は連日処刑を実行し、ユダヤ人の代表者が皇帝に彼の非行を訴えたため、罷免された。彼の行政は腐敗と不正の温床となった。歴史家タキトウスは「フェリクスは王の特権を奴隷根性で行使した」と酷評した。大祭司の代理人テルティロはフェリクスへの挨拶で「閣下のおかげで、すばらしい平和が与えられ・・・」(24:3)と述べるが、それはへつらい以外のなにものでもなかった。
2.フェリクスの前で弁明するパウロ
・大祭司の告発はパウロが社会的騒乱を引き起こしているというものであったが、それに対してパウロは「ローマの法律に反することはしていない」と主張する。使徒言行録は一貫して、キリストの教えが社会に騒乱をもたらすものではないと述べる。総督に促されて答弁に立ったパウロは、身の潔白を述べた。
-使徒24:10-13「総督が、発言するように合図したので、パウロは答弁した。『私は、閣下が多年この国民の裁判をつかさどる方であることを、存じあげておりますので、私自身のことを喜んで弁明いたします。確かめていただけば分かることですが、私が礼拝のためエルサレムに上ってから、まだ十二日しかたっていません。神殿でも会堂でも町の中でも、この私がだれかと論争したり、群衆を扇動したりするのを、だれも見た者はおりません。そして彼らは、私を告発している件に関し、閣下に対して何の証拠もあげることができません。』」
・パウロは弁明を続ける。彼は自己の信仰が伝統的なユダヤ教に立つのではなく、ナザレ派と呼ばれる信仰に立つことを、総督の前に隠さない。弁明とは弁証、証しであり、それを述べることが伝道なのである。
-使徒24:14-16「『私は、彼らが「分派」と呼んでいるこの道に従って、先祖の神を礼拝し、また、律法に則したことと預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じています。更に、正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。この希望は、この人たち自身も同じように抱いております。こういうわけで私は、神に対しても人に対しても、責められることのない良心を絶えず保つように務めています。』」
・パウロはここで彼の信仰の中核を述べる「正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を神に対して抱いています」。すべての人が復活するとは注目すべき言葉である。鶴川北教会の田中牧師は述べる。
-「パウロの言葉は、主イエスが語られた御言葉のアレンジである。マタイ5章45節「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである」。このみ言葉を強く意識して、「正しい者も正しくない者も」と発言しているのであろう」。
-田中牧師は続ける「正しい者にも正しくない者にもというみ言葉を、神の前の平等、神の前の公平の教えとして理解するのはどうだろうか。「太陽が昇り、雨が降る」という事柄は大きな恵みではあろうが、日照りが続けば「熱中症」で生命の危険をもたらし、あるいは干ばつを来たらせる。田畑を潤す雨も、大雨が続けば、川はあふれ洪水を引き起こし、生命の危険をもたらす。パウロの言葉にしても、「正しい者も正しくない者も復活をする」という。私たちはこの世の生を終え、亡くなったとしても、いつか目を覚ますことになるのである。では「復活」した後、私たちはどうなるのか。どのような新しい生がそこには待っているのか・・・私たち人間は、「正しい」、「正しくない」、どこかで決めつけながら生きている。そうでないと社会は滅茶苦茶になると考えるからだ。パウロもそうであった。しかし神は、人間の正しさに従われる方ではない。正しかろうが正しくなかろうが、「復活」即ち、神の新しい生命をもって、私たちに出会ってくださる。それをただ受けるしかない」。
・パウロは神殿での騒動が私の責任というなら、「証人を喚問せよ」と主張した。
-使徒24:17-19「『さて、私は、同朋に救援金を渡すため、また、供え物を献げるために、何年ぶりかで戻って来ました。私が清めの式にあずかってから、神殿で供え物を献げているところを人に見られたのですが、別に群衆もいませんし、騒動もありませんでした。ただ、アジア州から来た数人のユダヤ人はいました。もし、私を訴えるべき理由があるというのであれば、この人たちこそ、閣下のところへ出頭して告発すべきだったのです。』」
・証人を喚問出来ないなら、この場にいる者が証人になればよいとパウロは議場に要求した。総督フェリクスはパウロを無罪放免すべきだったが(ローマ法に反することはしていない)、彼は動かなかった。ユダヤ人の憎むパウロを釈放することによる騒乱を、彼は恐れた。
-使徒24:20-22「『さもなければ、ここにいる人たち自身が、最高法院に出頭していた私にどんな不正を見つけたか、今言うべきです。彼らの中に立って、「死者の復活のことで、私は今日あなたがたの前で裁判にかけられているのだ」と叫んだだけなのです。』フェリクスはこの道についてかなり詳しく知っていたので、『千人隊長ルシアが下って来るのを待って、あなたたちの申し立てに対して判決を下すことにする』と言って裁判を延期した。」
3.二年間のカイサリア幽閉
・フェリクスはアジサス王の妻ドルシラ(ヘロデ・アグリッパ王の娘)に横恋慕し、これを奪い取っていた。パウロがそれを批判し、正義と節制、審判について説いた。バプテスマのヨハネも、ヘロデ・アンティパスが兄弟の妻ヘロデヤを娶ったことを批判しために処刑された(マルコ6:17-19)。パウロもまた総督の不道徳を批判したために、釈放されなかったのかもしれない。
-使徒24:23-27「(総督は)パウロを監禁するように、百人隊長に命じた。ただし、自由をある程度与え、友人たちが彼の世話をするのを妨げないようにさせた。数日の後、フェリクスはユダヤ人である妻のドルシラと一緒に来て、パウロを呼び出し、キリスト・イエスへの信仰について話しを聞いた。しかし、パウロが正義や節制や来るべき裁きについて話すと、フェリクスは恐ろしくなり、『今回はこれで帰ってよろしい。また適当な機会に呼び出すことにする』と言った。さて、二年たって、フェリクスの後任者としてポルキウス・フェストウスが赴任したが、フェリクスはユダヤ人に気に入られようとして、パウロを監禁したままにしておいた。」
・パウロはやがてローマ皇帝に上訴してローマに送られるが、新しい総督(フェストス)もパウロが有罪だとは思っていない。彼は2年間のカイザリアでの獄中生活を強いられる。
-使徒26:30-32「そこで、王が立ち上がり、総督もベルニケや陪席の者も立ち上がった。彼らは退場してから、『あの男は、死刑や投獄に当たるようなことは何もしていない』と話し合った。アグリッパ王は総督フェストゥスに、『あの男は皇帝に上訴さえしていなければ、釈放してもらえただろうに』と言った」。
・パウロは上訴し、その結果ローマに連行される。不思議な方法でローマへの福音伝道が為される。これが神の摂理である。パウロは獄中から、エペソ、ピリピ、コロサイ、ピレモンの四つの獄中書簡を書いている。パウロがどこで書いたかは不明だが、カイザリア説(56-58年幽閉)、ローマ説(59-61年幽閉)が有力である。これまで多忙な伝道生活をしてきたパウロに考察の時が与えられ、パウロはこれを機会として用いたのであろう。投獄さえも信仰者には恵みとなる。
-エペソ4:1「主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい」。