江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2023年5月24日祈祷会(使徒言行録16:1-40、福音がヨーロッパに伝えられる)

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1.テモテ、ルカ、伝道旅行に加わる

 

・パウロは再度の宣教旅行をバルナバに提案したが、マルコの同伴には反対した。

-使徒15:36-38「数日の後、パウロはバルナバに言った。『さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へもう一度行って兄弟たちを訪問し、どのようにしているかを見てこようではないか。』バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネも連れて行きたいと思った。しかしパウロは、前にパンフィリア州で自分たちから離れ、宣教に一緒に行かなかったような者は連れて行くべきでないと考えた。」

・マルコ同伴問題がこじれ、二人は別行動をとることになった。おそらくはバルナバの甥マルコの問題以上に、バルナバの割礼に関する妥協的な態度にパウロは腹を立てていた。

-使徒15:39-41「そこで、意見が激しく衝突し、彼らはついに別行動をとるようになって、バルナバはマルコを連れてキプロス島へ向かって船出したが、一方、パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みに委ねられて、出発した。そして、シリアからキリキア州を回って教会を力づけた。」

・パウロが計画した第二回宣教旅行は開拓伝道ではなく、第一回宣教旅行で建てた教会の維持強化だった。パウロは既存教会の維持強化は、新しく教会を建てるのと同じように大切だと考えた。パウロは二度目の伝道旅行で、テモテに出会い、彼を弟子とする。テモテはギリシア人とユダヤ人の血が混じった半ユダヤ人であった。彼は後にパウロの最愛の弟子となる。パウロは異邦人の割礼に反対していたが、テモテには割礼を受けさせた。それはユダヤ人に配慮した宥和策であり、彼は柔軟に対応した。

-使徒16:1-4「パウロはデルベにもリストラにも行った。そこに、信者のユダヤ人の子で、ギリシア人を父親に持つ、テモテという弟子がいた。彼はリストラとイコニオンの兄弟の間で評判の良い人であった。パウロはこのテモテを一緒に連れて行きたかったので、その地方に住むユダヤ人の手前、彼に割礼を授けた。父親がギリシア人であることを皆が知っていたからである。彼らは方々の町を巡回して、エルサレムの使徒と長老たちが決めた規定(使徒指令)を守るようにと、人々に伝えた」。

・彼らはその後アジア州の州都エペソに向かおうとするが、「聖霊が禁じた」ので、海岸地方のトロアスに向かう。そのトロアスで彼らはルカに出会い、その要請でマケドニアに行くようになる(マケドニアへの来訪を要請した幻とはルカのことであろう)。

-使徒16:6-9「彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊に禁じられたので、フリギア・ガラテア地方を通って行った。ミシア地方の近くまで行き、ピティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった。それでミシア地方を通ってトロアスに下った。その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って『マケドニア州に渡って来て、私たちを助けて下さい』と言って、パウロに願った。」

・「聖霊が禁じた」とは、何らかの事情で、予定の訪問が出来なくなった、あるいは祈りの中で道を示されたのかもしれない。パウロはおそらく病気になり、医者を求めてトロアスに行き、その地で医者ルカに出会ったのであろう。16:10から有名な「私たち」文書が現れる。使徒言行録の著者ルカが一行に合流したことを示す。

-使徒16:10「パウロがこの幻を見たとき、私たちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神が私たちを召されているのだと、確信するに至ったからである」。

・聖霊がアジアに行くことを禁じなければ、パウロはルカとは出会わず、ルカ福音書や使徒言行録は書かれていなかったであろう。“聖霊による中断”、人間の目から見れば挫折だ。しかし、人間の計画が崩れる時、神の計画が成る。「人生は偶然の連続に過ぎない」と思う時、挫折や中断は失敗となる。しかし「人生は神の導きの下に在る」と信じる時、挫折や中断が新しい道を開く。使徒言行録が「聖霊行伝」と言われるゆえんである。

 

2.福音がヨーロッパへ

 

・パウロ一行はトロアスを出航し、ネアポリス経由でフィリピに到着する。フィリピは退役軍人の入植によりつくられた軍人の町であった。パウロは川岸の祈りの家に集っていた紫布を商う裕福な婦人リディアを信仰に導き(主が彼女の心を開かれた)、バプテスマを授けた。ヨーロッパ最初の回心者である。

-使徒16:11-14「私たちはトロアスから船出してサモトラケ島に直航し、翌日ネアポリスの港に着き、そこから、マケドニア州第一区の都市で、ロ-マの植民都市であるフィリピに行った。そして、この町に数日間滞在した。安息日に町の門を出て、祈りの場所があると思われる川岸に行った。ティアテラ市出身の紫布を扱う人で、神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていたが、主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた」。

・フィリピにはシナゴークがなく、それに代わる集会所として「祈りの家」が川沿いにあったのであろう。そこにいたリディアがヨーロッパ最初のキリスト者となった。「主が彼女の心を開かれた」、リディアは「神を崇める婦人」、改宗ユダヤ教徒であり、もともとの信仰がパウロによって確認されたのであろう。

-使徒16:15-16「そして、彼女も家族の者も洗礼を受けたが、そのとき、『私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ、私の家に来てお泊まりください』と言って私たちを招待し、無理に承知させた」。

・彼女は自宅を伝道の拠点として提供し、このリディアの家がやがてフィリピ教会となっていく。

-フィリピ1:3-4「私は、あなたがたのことを思い起こす度に、私の神に感謝し、あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。それは、あなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです。」

 

3.困難を超えて福音が伝えられる

 

・パウロとシラスはフィリピで投獄されたが(使徒16:19-21)、牢に入れられたパウロたちは獄中で賛美し、祈る。その祈りに答えるように地震が起き、監房の扉が開き、囚人の鎖はみな外れてしまった。看守は絶望して自害しようとしたが、パウロに制止された。

-使徒16:25-28「真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌を歌って神に祈っていると、ほかの囚人たちは、これに聞き入っていた。突然、大地震が起こり、牢の土台が揺れ動いた。たちまち牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまった。目を覚ました看守は、牢の戸が開いているのを見て、囚人たちが逃げてしまったと思い込み、剣を抜いて自殺しようとした。パウロは大声で叫んだ『自害してはいけない。私たちは皆ここにいる。』」

・パウロの勧めで回心した看守は、家族もろともバプテスマを受ける。

-使徒16:29-33「看守は牢の中に明かりを持って来させて牢の中に飛び込み、パウロとシラスの前にひれ伏し、二人を外へ連れ出して言った。『先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。』二人は言った。『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます』。そして、看守とその家の人たち全部に主の言葉を語った。まだ真夜中であったが、看守は二人を連れて行って打ち傷を洗ってやり、自分も家族の者も皆すぐに洗礼(バプテスマ)を受けた」。

・パウロは後にこのフィリピでの体験を回想する。

-第一テサロニケ2:1-2「兄弟たち、あなたがた自身が知っているように、私たちがそちらへ行ったことは無駄ではありませんでした・・・知ってのとおり、私たちは以前フィリピで苦しめられ、辱められたけれども、私たちの神に勇気づけられ、激しい苦闘の中であなたがたに神の福音を語ったのでした」。

・牢を出たパウロたちはリディアの家を訪れた後、次の訪問地テサロニケに向けて旅立った(16:38-40)。フィリピ牢獄の看守はパウロの執り成しで一命を取り留めた。もしこの時、看守が自害していたら、その家族は将来を悲観して自殺したかもしれない。しかしパウロと出会い、家族全員がパウロの勧めに従って洗礼に導かれた。この看守たちがその後どのようになったかをパウロは手紙で示唆する。看守は職を取り上げられ、同胞たちから非難されたが、それでもフィリピ教会の中心になって活動したのであろう。

-第一テサロニケ2:14「兄弟たち、あなたがたは、ユダヤの、キリスト・イエスに結ばれている神の諸教会に倣う者となりました。彼らがユダヤ人たちから苦しめられたように、あなたがたもまた同胞から苦しめられたからです」。

・パウロたちの第二回宣教旅行はおよそ三年かかった。パウロたちの旅行はアンテオケから始まり、シリア、キリキア、デルベ、ルステラ、イコニオム、ピシデアのアンテオケの教会の再訪問、その後、幻の指示でテサロニケ、ネアポリス、フィリピ、アテネ、コリントへ進み、そこで18か月間滞在し、コリントからエフェソを通過してエルサレムへ向かい、出発地点のアンテオケへ帰還した。この旅行で初めてキリスト教がヨ-ロッパまで伝えられた。その後の歴史を振り返るとその意味は重大であった。

・福音がアジアから海を越えてヨーロッパ大陸に伝わっていく、歴史的な第一歩が使徒16章に記される。もし、“福音がヨーロッパに伝わる”ことがなかったら、歴史は大きく変わったであろう。そのきっかけが、“聖霊に禁じられて”だった。エフェソに向かうはずのパウロたちがマケドニアに向かい、そのことを通して世界史が書き換えられていった。私たちは、キリスト教は西洋の宗教と考えがちだが、実は西洋にとってもキリスト教は「伝えられた宗教」だったことを思い起こす必要がある。ドイツやアメリカの神学を鵜呑みにした信仰、あるいは教理から、私たちは自由になる必要がある。

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