1.墓に葬られる
・イエス時代、十字架刑に処された罪人の遺体は、十字架上に放置されて曝しものにされるか、共同墓地に葬られるか、いずれにしても罪人の遺体は租末な扱いを受けていた。しかし、イエスの遺体は、アリマタヤのヨセフに引き取られ、新しい墓に葬られた。男の弟子たちは逃走していなかったが、婦人たちが、埋葬を見守った。野獣の侵入を防ぐために、墓の入り口は丸石を転がして閉じられた。
-マタイ27:57-61「夕方になると、アリマタヤ出身の金持ちでヨセフという人が来た。この人もイエスの弟子であった。この人がピラトのところに行って、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。そこでピラトは、渡すようにと命じた。ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、岩に掘った自分の新しい墓に納め、墓の入り口には大きな石を転がしておいて立ち去った。マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、墓の方を向いて座っていた。」
・イエス処刑日は金曜日であり、日没から安息日(土曜日)が始まる。祭司長たちは、イエスの墓を警備するようピラトに願い出た。「三日後に復活する」とのイエスの言葉が彼らの脳裏にあり、弟子たちがイエスの遺体を奪い、復活したと言いふらしかねない。彼らはイエスの墓を封印し、番兵に見張らせた。
-マタイ27:62-66「明くる日、すなわち準備の日の翌日、祭司長たちとファリサイ派の人々は、ピラトのところに集まって、こう言った。『閣下、人を惑わすあの者がまだ生きていた時、「自分は三日後に復活する」と言っていたのを思い出しました。ですから、三日後まで墓を見張るよう命令してください。そうでないと、弟子たちが来て死体を盗み出し、「イエスは死者の中から復活した」などと民衆に言いふらすかもしれません。そうなると、人々は前よりもひどく惑わされることになります。』ピラトは言った。『あなたたちには、番兵がいるはずだ。行って、しっかりと見張らせるがよい。』そこで、彼らは行って墓に封印をし、番兵をおいた。」
・聖書学者の佐藤研は、初代教会の復活信仰形成について、「イエスの墓が空であった」という事実が基礎になったと想定する。日曜日の朝、イエスの死体が葬られたはずの墓から消失してしまっていたのであり、その事態が当所を訪れた女たちにまず明らかになったのである。このことの史実性だけはカンペンハウゼンの言うとおり、ほとんど否定できない。そしてそのことは、その報を受けた弟子たちを甚だしい混乱に陥れたことであろう」。
2.復活する
・安息日が終わった週の初めの日(日曜日)の明け方に、マグダラのマリアたちが墓へ行くと、地震が起こり、墓を封印した石は脇へ転がされて墓は開かれていた。そして、まっ白に輝く衣の天使が石の上に座っていた。番兵たちは、目の前に起こったことの驚きと恐れで、死人のように青ざめ、震えていた。
-マタイ28:1-4「さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上り、死人のようになった」。
・天使は婦人たちに、「イエスは復活された。もうこの墓にはいない。弟子たちとガリラヤで再会するであろう」と告げた。
-マタイ28:5-8「天使は婦人たちに言った。『恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方はここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。「あの方は死者の中から復活された。そして、あなた方より先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。」確かにあなたがたに伝えました。』」
・天使からイエスの復活を告げられた二人の女性は、弟子たちに知らせようと駈けだした。ところがイエスが彼女らの前方に立ち、迎えた。二人はイエスの前にひれ伏した。
-マタイ28:9-10「婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて、『おはよう』と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。イエスは言われた。『恐れることはない。行って、私の兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこで私に会うことになる。』」
・番兵から「イエスの遺体が無くなった」と報告され、祭司長たちは狼狽した。彼らはイエスの弟子たちが、イエスの遺体を盗んだという虚偽の情報を流し、番兵に口止めした。マタイ独自の記事である。
-マタイ28:11-15「婦人たちが行き着かないうちに、数人の番兵は都に帰り、この出来事をすべて祭司長たちに報告した。そこで、祭司長たちは長老たちと集まって相談し、兵士たちに多額の金を与えて言った。『「弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った」と言いなさい。もし、このことが総督の耳に入っても、うまく総督を説得して、あなたがたには心配をかけないようにしょう』。兵士たちは金を受け取って、教えられた通りにした。この話は今日に至るまでユダヤ人の間に広まっている。」
・復活伝承はパウロの手紙の中で、初代教会の言い伝えが文言として残されている。
-第一コリント15:3-5「最も大切なこととして私があなたがたに伝えたのは、私も受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおり私たちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです」。
・カトリックの聖書学者・百瀬文晃は述べる「イエスの復活と呼ばれる出来事も、ユダヤ教黙示文学の中で流布していた『終末時の死者の復活』という概念抜きには理解出来ない。無類の出来事を経験したイエスの弟子たちは、これを黙示文学の概念に則って、終末に起こる『死者の復活』という出来事が、イエスにおいて先取られたものと理解し、これを『イエスの復活』と呼んだのである」(「イエス・キリストを学ぶ、下からのキリスト論」)。
3.弟子たちへの派遣命令
・イエスを裏切って逃げた弟子たちに「イエスはガリラヤで待っておられる」との使信が届いた。弟子たちはそこに赦しの言葉を聞き、半信半疑でガリラヤに戻り、そこで復活されたイエスと出会う。マタイはその記事を復活物語の締めくくりとして書く。この出会いを通して、弟子たちは「イエスは神の子であった」と言う信仰を与えられ、新しく生きる者になる。
・弟子たちはガリラヤでイエスに再会し、その地で世界伝道への宣教命令が弟子たちに下される。弟子たちはこの命令を受けて、ユダヤ人社会の枠を越えて異邦人世界へ向かって宣教した。
-マタイ28:16-20「さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い。ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは近寄って来て言われた。『私は天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民を私の弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るよう教えなさい。私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。』」
・社会学者ロドニー・スターク「キリスト教とローマ帝国」によれば、福音書が書かれた紀元100年当時のキリスト教徒は数千人という小さな集団であり、紀元200年においても数十万人に満たない少数であった。その彼らが紀元300年には600万人を超え、キリスト教が国教となる紀元350年頃には3千万人、人口の50%を超えたとされる。スタークは「キリスト教の中心教義が人を惹き付け、自由にし、効果的な社会関係と組織を生み出していった」からだとする。ローマ時代には疫病が繰り返し発生し、時には人口の相当数を失わせるほどの猛威を振るった。人々は感染を恐れて避難したが、キリスト教徒たちは病人を訪問し、死にゆく人々を看取り、死者を埋葬したと伝えられている。何故ならば聖書がそうせよと命じ、教会もそれを勧めたからだ(紀元251年司教ディオニシウスの手紙、エウセビオス「教会史7.22.7-8」)。イエスは弟子たちを通して、生きておられたのである。
・マルコム・ルテはイースター2020年という詩を書いた。「イエスはどこにおられるのか、閉鎖した我らの教会で行く場を失ったわけでもなく、暗き墓場に封印されているのでもない。鍵は解かれ、石は転がされ、彼は起き上がり、よみがえった・・・彼は今、リネンの帯を解き、看護師と一緒の看護用エプロンをつけ、ストレッチャーをつかみ、引上げ、死にゆく人々の弱々しい肉体をやさしい手で撫で、希望を与え、息苦しい人に呼吸を、それに耐える力を、彼らに与えた・・・彼はわれらの病室にモップをかけ、コロナの痕跡をふき取った。それは彼にとって死を意味した。聖金曜日の十字架は千ものの場所で起こった。そこで、なすすべのない者をイエスは抱き、彼らと共に死んだ。それこそ、それを必要とする人とイースターを分かち合うために。今や彼らは彼と共によみがえった。実によみがえったのだ」(N.T.ライト「神とパンデミック」から)。