江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2022年8月3日祈祷会(ルカ福音書12:1-34、思い悩むな)

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1.迫害に備えよ

 

・12章前半でイエスは「ファリサイ派のパン種」に言及される。11章からのファリサイ派批判に続くもので、「ファリサイ派の悪い慣習に染まるな」という意味だ。

-ルカ12:1-2「数えきれないほどの群衆が集まって来て足を踏み合うほどになった。イエスは、まず弟子たちに話し始められた。『ファリサイ派の人々のパン種に注意しなさい。それは偽善である。覆われているもので現わされないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはない』」。

・4節以降に展開されるのは、迫害時における弟子の在り方である。これから行くエルサレムでイエスは十字架にかけられ、弟子たちも迫害される。弟子たちは迫害者の前にどう立つべきかをイエスは教えられる。

-ルカ12:4-5「体を殺しても、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない。だれを恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄へ投げ込む権威を持っている方だ・・・この方を恐れなさい。』」

・イエスの弟子として生きていこうとすれば世から憎まれる。キリストに従う者は常に少数者だからである。その弟子たちに、イエスは「父なる神が共におられるから心配するな」と言われる。

-ルカ12:6-7「『五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかに勝っている。』」

・8節以降では、「教会の人々への警告」が語られる。イエス死後、「イエスは救い主である」と伝道を始めた教会には迫害が及んだ。人の前でイエスを否認する者は神の前で否認されると語られる。

-ルカ12:8-10「『言っておくが、だれでも人々の前で自分を私の仲間であると言い表す者は、人の子も神の天使の前で、その人を自分の仲間であると言い表す。しかし、人々の前で私を知らないと言う者は、神の天使の前で知らないと言われる。』」

・紀元70年代以降、教会はユダヤ教とローマ官憲の双方からの迫害に苦しむようになっていた。その中で、イエスを受け入れない者を赦されるが、聖霊(復活のキリスト)を冒涜する者は赦されないと語られる。初代教会の中心教義は「イエスは天に昇り、今も生きておられる」であった。ルカの教会や戦時下の日本教会は迫害されたが、そのことが伝道の起爆剤になった。

-ルカ12:10-12「『人の子の悪口を言う者は皆赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は赦されない。会堂や役人、権力者のところに連れて行かれた時は、何をどう言い訳しようか、何をどう言おうかなどと心配してはならない。言うべきことは、聖霊がその時に教えて下さる。』」

 

2.「愚かな金持ち」の譬え

 

・ラビは律法の教師であり、法律家として、事件や争いの調停も求められた。イエスもラビとして、相談を受けるが、相続の調停を求めて来た者に、「金で買えない命の大切さ」を教えられた。

-ルカ12:13-15「群衆の一人が言った。『先生、私にも遺産を分けてくれるように兄弟に言って下さい。イエスは言われた。『だれが私をあなたがたの裁判官や調停人に任命したのか。』そして一同に言われた。『どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほどの物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。』」

・「命は金で買えない」という真理を示すために、イエスは「愚かな金持ちの譬え」を話される。ある金持ちがいた。彼に幸運が訪れ、倉に納められないほど作物が収穫された。彼は有頂天になり、倉を増築したが、皮肉にも彼の寿命は尽きていた。

-ルカ12:16-19「それからイエスは譬えを話された。『ある金持ちの畑が豊作だった。金持ちは、「どうしょう。作物をしまっておく場所がない」と思い巡らしたが、やがて言った。「こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、こう自分に言ってやるのだ、『さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして食べたり飲んだりして楽しめ』と。」

・「人は物や金が自分の命を支えると思っているが、命の支配権は人にはない」。そして「人は財産を墓の中に持っていくことは出来ない」とイエスは語られた。

-ルカ12:20-21「『神は、「愚かな者よ。今夜お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったい誰のものになるのか」と言われた。自分のために富を積んで神の前に豊かにならない者はこの通りだ。』」

・ギリシャ語には命を表わすのに二つの言葉がある。「ビオス」と「ゾーエー」だ。ビオスとは生理学的命、それに対してゾーエーは人格的な命、人間らしく生きるという時の命である。人間は動物と異なり、生理学的命だけでなく人格的命も生きる。だから「将来に希望を無くし、生きていても仕方がない」と思う時、この生理学的命(ビオス)では生きているが、人格的命(ゾーエー)では死んでいることになる。イエスがこの愚かな金持ちのたとえで私たちに問われていることは、生理学的命(ビオス)にとらわれすぎる時、本当に必要な人格的命(ゾーエー)を失うのではないかということである。

・人の生命維持に必要なものは、物質的な糧と霊的糧である。前者は生物体としての命維持のために必要であり、後者は人格的命の維持のために必要である。ビオスのための糧(衣食住)は父なる神が与えてくださるから、あなた方はゾーエーのための糧、即ち神の国を求めよと。人が必要以上に物質的な富を蓄えても、命を質的にも量的にも増やすことは出来ないし、逆に物質的な所有を貪ることによって霊的な命は枯渇していく。愚かな金持ちの場合、関心は自分だけで、そこには自分が神により、また人により生かされているという気持ちはない。彼はビオスを貪ぼることにより、ゾーエーを殺してしまった。

・私たちは人生の大半を衣食住、ビオスを養うための物質確保のために働く。少しでも良い暮らしをしたい、そのためにもっとお金が欲しいと思う。しかし、本当に必要なものはそんなに多くないではないか。仮に私たちが癌に罹り、余命半年と宣告された時、私たちは今と同じ生活を続けるだろうか。半年後に死ぬのであれば他の生き方をすると思う時、人は本当に必要なものをまだ得ていない。本当に今の生き方のままでよいのか、死んでも悔いないほどに充実して生きているかが、この喩えで私たちに問われている。それは現在の生活を絶対視せず、相対化することによって新しい命のための糧を求めよということである。

 

3.思い悩むな

 

・「愚かな金持ちは何が一番大切なものか知らなかった」。人はいつも将来を思い悩むが、イエスは弟子たちに「思い悩むな」と教え始められる。

-ルカ12:22-24「それからイエスは弟子たちに言われた。『だから言っておく。命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切だ。烏のことを考えてみなさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。だが、神は烏を養って下さる。あなたがたは、鳥よりもどれほど価値があることか。』」

・ここの鳥は「空の烏」(12:24)である。イエスは嫌われる烏でさえ、神の養いの中にあると語られる。野の花は自然に従って咲き、かつ散るが、それでも栄華を極めたソロモン王より美しい。

-ルカ11:25-28「『あなたがたのうちのだれが、思い悩んだからと言って寿命を僅かでも延ばすことができようか。こんなごく小さいことさえできないのに、なぜ、他のことまで思い悩むのか。野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾っていなかった。今日は野にあって明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたはなおさらである。信仰の薄い者たちよ。』」

・「思い悩む人々よ、あなたがたは、空の烏や野の花より大きな存在である。神が忘れるわけがない。神はあなたがたが生きて行くに必要なものは、すべてご存知である」とイエスは語られる。

-ルカ12:29-31「『あなたがたも何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない。また思い悩むな。それはみな世の異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要なことをよくご存じである。ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。』」

・私たちは、自分の蓄えや地位等で自分の命を救おうと思い、また救うことができると思っている。金持ちは穀物を倉に貯め込んで「もう安心だ」と思った。しかし私たちの命は、私たちの力や努力、所有によって支えられるのではなく、神の守りと支えをいただくことこそが、本当に命を得ることになる。

―ルカ12:32-34「『小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国を下さる。自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦りきれることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。あなたがたの富のある処に、あなたがたの心もあるのだ。』」

・ペテロは人々に福音を伝道して言った「金銀は私には無い。しかし、私にあるものをあげよう」(使徒3:6)。教会には肉の命を養う金銀はない。しかし、霊の命を養う神の言葉、聖書がある。共に聖書を読むことによって、内面から私たちを縛るものから解放される。聖書はそれを「神の前に富む」あるいは「天に富を積む」と言う言葉で表現する。神の前に豊かな人は、世の所有物は乏しくとも心は平安である。時が来て地上の生を終える時は、信仰と希望と愛を持って天の国に行く。このような生活がありうるし、成立しうる。聖書はそう主張する。生理学的命の維持のためには必要最小限があればよい。霊的命のためには神の言葉である聖書によって養われる。そういう生活に招くために、ここに教会が建てられた。

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