江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2022年10月26日祈祷会(ルカ18:1-17、やもめと裁判官、ファリサイ派と徴税人の譬え)

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1.「やもめと裁判官」の譬え

 

・イエスは先に「熱心に祈り求める」ことの例として、「夜中の友人」の譬えを語られ、「夜中にパンを求めるような、迷惑な祈りであっても、必死の祈りは神に聞かれる」と語られた。イエスは、「辛抱強く絶えず祈り続ければ祈りは必ず聞かれる」例として、このたびは「やもめと裁判官の譬え」を用いて祈りの心構えを教えられた。

-ルカ18:1-3「イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちに譬えを話された。ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては『相手を裁いて、私を守ってください』と言っていた。」

・やもめが裁判に訴えたのは、相続されるべき夫の財産が他人にかすめ取られたため、裁判によって自分の権利の回復を願ったのであろう。しかし、裁判官は「神を畏れぬ、人を人と思わぬ」人だった。裁判官は当初はやもめの訴えを無視していた。訴えを聞いても賄賂や報酬を彼女から期待できないからだ。それでも何度も何度も来られたらうるさくてたまらない。そのために彼は訴えを聞くことにした。

-ルカ18:4-5「裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、私をさんざんな目に遭わすにちがいない』」。

・不正な裁判官でさえ、必死に求める者には便宜を図る。そうであれば、「公正な裁判官である父が祈りを聞かれないことがあろうか」とイエスは語られる。

-ルカ18:6-8「それから、主は言われた。『この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。まして神は、昼も夜も叫び求めている、選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来る時、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。』」

・やもめは貧しい者の象徴として、神も人も畏れぬ裁判官に立ち向かう。彼女には裁判官を動かす蓄えもなく、知己もない。彼女は持ち前の執拗さで裁判官を動すしかなかった。イエスが教えたかったのは、この神も人も畏れぬ裁判官が、やもめの執拗さに根負けして、やもめに有利な裁判をするとしたら、慈愛の神がその子らの祈りを聞いてくださらぬはずはないということであろう。

 

2.「ファリサイ派と徴税人」のたとえ

 

・イエスは「人の子が来る時、果たして地上に信仰を見いだすだろうか」と嘆かれた。信仰とは何かを説明するため、イエスは「ファリサイ派と徴税人」の譬えを語られる。「自分を正しいとして他人を見下している人の祈りは本当に信仰者の祈りであろうか」とイエスは問われる。

-ルカ18:9「自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対しても、イエスは次の譬えを話された。」

・まずファリサイ人が立ち上がり、自分こそ神の前に正しい者、神のみ旨に従う者、徴税人のように罪深くない者であると胸を張って祈った。ファリサイ人は律法と口伝律法(慣習法)に精通し、自分達こそ神の国を継ぐにふさわしい者と自負し、人々から畏怖されていた。

-ルカ18:10-12「『二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。ファリサイ派の人は立って心の中でこう祈った。「神様、私はほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でないことを感謝します。私は週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。」』」

・ラビ・ユダの祈りが伝えられている「主は讃えられよ、彼は私を異教徒に造られなかった、すべての異教徒は神の前に無であるから。主は讃えられよ、彼は私を女に造られなかった、女は律法を満たす義務をもたないから。主は讃えられよ、彼は私を無教養な者に造られなかった、無教養な者は罪を避ける用心をしないから」。自分を正しいとする者は正しくない人を必要とする。ラビ・ユダにはそれが異邦人や女性や文字が読めない人だった。譬えのファリサイ人が徴税人を引き合いにして祈ったことはおかしくはない。

・他方徴税人は目を天に上げることもせず、胸を打ちながら、「神様、罪人の私を憐れんでください」と祈る。彼は自分の中に正しさを見いだせず、罪を認めている。罪から救われたいと願っているが、彼にはそうする力はない。徴税人を辞めることも出来ない。辞めれば生活が出来ない。

-ルカ18:13「『ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。「神様、罪人の私を憐れんでください。」』」

・その徴税人をイエスは評価され、「義とされて家に帰ったのはこの人(徴税人)であって、あのファリサイ派の人ではない」と言われた。当時の常識からすれば、救われるべきは義人ファリサイ人であり、罪人の徴税人ではない。しかし、イエスは救われるのは罪人の方であり、義人の方ではないと、驚くべきことを言われる。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人」である、ここに福音がある。

-ルカ18:14「『言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。』」

・神学校の連続講座「イエスのたとえ話を読む」の中で、一人の学生はレポートした。

-「今回の授業で考えさせられたのは徴税人の祈りです。彼は胸を打って自分を贖って欲しいと心から祈りました。心の中に罪意識ははっきりと持っていたと思われます。しかし、彼は悔い改めをはっきりと示すことはできませんでした・・・やはり彼自身が罪から逃れられないことを良く分かっていたからだと思います。家に帰った後もおそらく彼は再び徴税人として働き、罪を犯していたと思われます。徴税人は支配者ローマのために税を徴収する仕事で、同胞からお金を貪る罪人として侮蔑されていました。しかし彼は生きるために徴税人の仕事を続けるしかない。そこに彼の苦しみがあります」。

・学生は続ける。

-「この徴税人のように、悪いと分かっていても、社会構造上どうしてもそこから抜けられない人々について考えさせられました。コロナウイルスの蔓延防止のために、多くの飲食店が営業時間を短縮させられています。その中で生きて行くためにどうしても夜間、店を開けざるを得ない人も出てきています。彼らも本当はそんなことはやりたくないのですが、それしか生きていく道がない。そのような人たちを非難している人たちは、自宅でリモートワークができ、給料も減っていない公務員や大企業の従業員なのではないでしょうか。自分たちはルールを守っているが、ルールを守らない人がいるからコロナが収まらないという考えを持っている人と、このファリサイ人が重なって見えてきました」。

 

3.幼子のように生きる

 

・ユダヤの習慣では、満一歳になった子供を、ラビに手を置いて祝福してもらう習慣がある。この時もイエスに祝福してもらおうと、親達が乳飲み子を連れて集まって来た。しかし、弟子達は子供達を追い払おうとした。見ていたイエスは弟子達を制し、乳飲み子たちを近くに招き寄せた。

-ルカ18:15「イエスに触れていただくために、人々は乳飲み子までも連れて来た。弟子たちは、これを見て叱った。」

・イエスは「子供のように神の国を受け入れる者こそ救われる」と弟子達に教えられた。

-ルカ18:16-17「しかし、イエスは乳飲み子たちを呼び寄せて言われた。『子供たちを私のところに来させなさい。妨げてはなたない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこへ入ることはできない。』」

・イエスは神の国は、子供達のような者の国だと言われた。子供の生活はすべて親に対する信頼から成り立っている。幼い子供は両親のもとで、食事ができ、遊び、夜眠れることに何の疑念も抱かない。幼な子の両親に対する信頼、神に対する信仰も正にそのようなものである。それに対し、大人は自分の力で生きて行くべきだと思い、救いを自分の手で獲得しようとする。イエスは言われる「神の救いは人間の業績に応じて与えられるものではなく、必要に応じて与えられる。だから助けを必要としている小さな者たちにこそ、神の国が約束されている」と。「幼な子のようになる」とは、自分の弱さを認め、助けなしには生きていけないことを認めることだ。

・神を信じることの出来ない人は、人を信じることも出来ないから、他者が常に自分の競争相手となり、彼には平安がない。自分が弱いことを認め、弱い存在のままで神に受けいれられている事を知る時、その弱さが強さになる。それが幼な子の強さであり、それこそ神の国に入る唯一の道であるとイエスは言われている。パウロは強い者が弱くなるために、神は必要な「とげ」をお与えになると理解している。

-第二コリント12:7-9「思い上がることのないようにと、私の身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、私を痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、私は三度主に願いました。すると主は、『私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力が私の内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」

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