江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2021年10月13日祈祷会(マタイ20:17-34、偉くなりたいという弟子たちの願い)

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1.ヤコブとヨハネの母の願い

 

・エルサレムに近づいた時、イエスは三度目の受難予告をされた。

-マタイ20:17-19「イエスはエルサレムへ上って行く途中、十二人の弟子だけを呼び寄せて言われた。『今、私たちはエルサレムへ上って行く。人の子は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して、異邦人に引き渡す。人の子を侮辱し、鞭打ち、十字架につけるためである。そして、人の子は三日目に復活する』」。

・その直後に、弟子のヤコブとヨハネが進み出て、イエスに言う「栄光をお受けになる時、私どもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください」。三度目の受難予告を聞いたばかりなのに、弟子たちはまだエルサレムで何が起こるかを理解しておらず、イエスがエルサレムで王になられる時に自分たちも報償が欲しいと言う。なおマタイでは、ゼベダイの子ヤコブとヨハネの母が、「エルサレムであなたが即位される時は、息子たちをあなたの左右の座に着く大臣に取り立ててほしい」と願い出たとある。

-マタイ20:21「その時、ゼベダイの息子たちの母が、その二人の息子と一緒にイエスのところに来て、ひれ伏し何かを願おうとした。イエスが『何が望みか』と言われると、彼女は言った『王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右にもう一人はあなたの左に座れるとおっしゃってください』」。

・マタイでは彼らの母親が大臣就任を願い出ているが、原本のマルコではヤコブとヨハネの本人が願い出ている。マタイが十二弟子たちの名誉を守るために、申出者を本人から母親に変えたと思われる。

-マルコ10:35「ゼベダイの子ヤコブとヨハネが進み出て、イエスに言った『先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが』。イエスが、『何をしてほしいのか』と言われると、二人は言った。『栄光をお受けになるとき、私どもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください』」。

・イエスは息子たちに、「あなたたちは自分が何を求めているか、分かっていない」と言われた。イエスは彼らに「私が飲もうとしている杯を飲めるか」と反問された。彼らは即座に「飲めます」と答えているが、これは空返事である。なぜなら、イエスがこれから飲もうとしている杯は「十字架の死」でああり、当時の彼らには、その意味が理解できていない。

-マタイ20:22-23「イエスはお答えになった『あなたがたは自分が何を願っているか、分かっていない。この私が飲もうとしている杯を飲むことができるか』。二人が『できます』と言うと、イエスは言われた『確かに、あなたがたは私の杯を飲むことになる。しかし、私の右と左にだれが座るかは、私の決めることではない。それは、私の父によって定められた人々に許されるのだ』」。

・ヤコブは使徒の中で最初の殉教者になった(使徒12:1、ヤコブは紀元43年ヘロデ・アグリッパ王により殺された)。ヨハネは長寿を全うしたが、晩年には迫害の中でエルサレムから小アジアに移住している。イエスの「あなたがたは私の杯を飲むことになる」という言葉は、二人の運命を知っていた初代教会が、イエスの言葉に補筆したものであろう。イエスに従うとはイエスと共に十字架を負うことである。弟子たちはイエスの復活後、そのことに気づいた。

-第一ペテロ2:21-25「あなたがたが召されたのはこのためです。というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。この方は・・・十字架にかかって、自らその身に私たちの罪を担ってくださいました。私たちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり、監督者である方のところへ戻って来たのです」。

・弟子たちはイエスを理解していなかった。その彼らに、イエスの十字架死は恐ろしい衝撃だったと思える。しかし弟子たちは復活のイエスとの出会いを通じて、「イエスが今も生きておられる」との確信が与えられ、イエスの死を「罪を贖う犠牲の死」だと理解し、そこからイエスが生前説いていた罪の赦しを理解した。そして、赦しを経験した彼らは、新しい人生を歩むようになる。私たちもこの赦しの中で教会生活を続ける。

 

2.人の子が自分の命を献げるために来たように

 

・母親を巻き込んでのヤコブとヨハネの抜け駆けは、たちまち他の弟子たちに伝わり、彼らは憤慨した。弟子の中で誰が偉いかという議論は、イエスからみれば愚かなことだが、集団の中では、よく起こる。

-マタイ20:24「ほかの十人の者はこれを聞いて、この二人の兄第のことで腹を立てた」。

・イエスは弟子たちを呼ぶ集め、

「異邦人の間では偉い人たちが民を支配しているが、あなた方の間ではそうであってはならない」と諭し、皆の中で偉くなりたい者は、僕となり皆に仕えなさいと諭した。偉い人=ギリシャ語メガス、ラテン語マイヨール=大いなる者、ローマ皇帝の別称だ。イエスは「支配者とみなされているローマ帝国の者たちは諸民族の上に君臨し、皇帝が諸民族に対して権力を振るっている。だが君たちは決してそうであってはならない」と語る。

-マタイ20:25-28「そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。『あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるためにきたのと同じように』」。

・三回目の受難予告を通して明らかになることは、弟子たちの上昇志向だ。彼らはイエスがエルサレムで王になられ、その時は自分たちも特権的な地位につけると思っているから、イエスに従って来た。彼らはイエスの苦しみを理解することなく、自分たちのことだけを考えている。私たちもまた「上昇志向」の中にある。身分の高い人や権力者や資産家の周りには大勢の人々が寄ってくる。人に評価され、賞賛されることは心地よいものであり、私たちもそういう人になりたいと思っている。しかし上に立つ人がいれば下で苦しむ人もいる。上に立つ人は、周りの人が耐えている痛みや苦しみ、悲しみが見えなくなる。メシアとしてのイエスの生涯を駆り立てるものは、苦しむ人々への共感であり、私たちがイエスの後に従いたいのであれば、私たちの生き方も修正を迫られる。

・イエスは、「人は罪を背負った存在であるが、その罪人を神は一方的に受容して下さった。あなたがたは既に神に赦されている。だから、この世的な支配-被支配の生き方から解放されよ」と言われる。それが「あなたがたの中で偉くなりたい者は皆に仕える者になり、一番上になりたい者はすべての人の僕になりなさい」という意味であろう。教会におけるリーダーシップは「導くことではなく、仕えること」である。

-ヨハネ13:14-15「ところで、主であり、師である私があなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。私があなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである」。

 

3.二人の盲人をいやす

 

・二人の盲人の癒しの記事はマタイ9:7-21に既出している。二つの記事を同一の出来事の別の記録とする研究もあるが、状況は異なっている。エリコの城門に物乞いの盲人がたむろしていた。彼らの一人が門を通過するイエス一行に気づき、助けを求めて叫び始め、他の盲人も呼応して助けを求めて叫んだ。盲人の呼びかけの「主よ」は、イエスの権威を認める称号であり、「ダビデの子よ」はユダヤ世界のメシアとしての称号であった。イエスはどちらの呼びかけも拒否されなかった。

-マタイ20:29-31「一行がエリコの町を出ると、大勢の群衆がイエスに従った。そのとき、二人の盲人が道端に座っていたが、イエスがお通りと聞いて『主よ、ダビデの子よ、私を憐れんでください』と叫んだ。群衆は叱りつけて黙らせようしたが、二人はますます『主よ、ダビデの子よ、私を憐れんでください』と叫んだ」。

・イエスは立ち止まり彼らに「何をしてほしいか」と尋ねられた。

-マタイ21:32-34「イエスは立ち止まり、二人を呼んで、『何をしてほしいのか』と言われた。二人は、『主よ、目を開けていただきたいのです』と言った。イエスが深く憐れんで、その目に触れられると、盲人たちはすぐ見えるようになり、イエスに従った。」

・原本のマルコではこの盲人はバルティマイとされている。名前が知られていることはバルティマイがその後イエスの弟子となり、初代教会の人々は彼を知っていたことを示すものである。ここにあるのは奇跡物語ではなく、イエスに臣従した弟子の記録である。

-マルコ10:46-52「一行はエリコの町に着いた。イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に、エリコを出て行こうとされたとき、ティマイの子で、バルティマイという盲人の物乞いが道端に座っていた・・・イエスは『何をしてほしいのか』と言われた。盲人は『先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。そこで、イエスは言われた『行きなさい。あなたの信仰があなたを救った』。盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った」。

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