江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2021年2月3日祈祷会(マタイによる福音書5:21-32、心の思いから生じる罪) 

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1.殺すな

 

・イエスは、「あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは天の国に入ることができない」(5:20)と言われた。その内容を具体化する形で、21節以下の言葉が語られている。

・21節からの段落では、「殺すな」との戒めに対して、兄弟に対して腹を立て、「ばか」とか、「愚か者」と人をののしることも、殺すことと同じだと言われる。律法学者やパリサイ派の義は、殺人を犯さなければ、「殺すな」という律法を守ることになるが、イエスは、「あなたがたは隣人に対する怒りの心をも抑えていくのだ、それが律法学者やパリサイ派の人々にまさる義なのだ」と語られる。

-マタイ5:21-22「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、私は言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる」。

・兄弟に腹を立てるとは、怒りや憎しみの感情を相手に持つことで、その怒りや憎しみがやがて兄弟を殺すという行為にまでなる。創世記「カインとアベルの物語」はその典型で、弟アベルに嫉妬したカインは怒りのあまり弟を打ち殺す。怒りが人を憎しみに追いやり、やがては殺人という忌まわしい行為に導く。私たちは反論する「私は人殺しなどしたことはない」、その私たちにイエスは語られる「殺したいほど人を憎んだことはないのか」、だから「手遅れにならない内に相手と和解せよ」と。

-マタイ5:23-26「だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。あなたを訴える人と一緒に道を行く場合、途中で早く和解しなさい。さもないと、その人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれるにちがいない。

はっきり言っておく。最後の一クァドランスを返すまで、決してそこから出ることはできない。」

 

2.姦淫するな

 

・27節から始まる姦淫の戒めもそうだ。律法学者は「不倫を犯さなければ姦淫ではない」とするが、イエスは「情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をした」(5:28、口語訳)と言われる。イエスは語られる「表に現れた罪(Crime)だけでなく、心の中にある罪(Sin)の思いをも神は見られる、それが出来なければ、律法学者やパリサイ派の人々の義にまさる義とは言えない」と。

-マタイ5:27-28「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。しかし、私は言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである」。

・「姦淫するな」との戒めは、「情欲をいだいて女を見る者は姦淫した」とイエスは言われる。不倫は目から始まり、心の中にある情欲がやがては不倫にまで行きつく。その時は「目を抉り出してしまえ」とさえ言われる。

-マタイ5:29-30「もし右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである。もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましである」。

・人は肉体的欲望を抑制することはできない、たとえ不倫をしなくとも、不倫したいという思いに心を乱したことのない人はいない。現代は「3組に1組が離婚する」時代であり、離婚原因の筆頭は配偶者の不倫だ。心の中にある情欲が不倫という行為になり、家族を崩壊させる。イエスは血が通わなくなって形骸化した律法に新しい命を吹き込む教えを説かれた。それを聞く私たちは、「殺すな」、「姦淫するな」という世の戒めを超える生き方、恵みを生活化する生き方が求められている。

 

3.イエスの業の応答としての律法の遵守

 

・「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」は代表的な律法の規定である。この規定は日本語では禁止命令だが、原語のヘブル語では、「姦淫しないであろう、殺さないであろう、盗まないであろう」となる。神の恵みの共同体に入れられた者が殺しあうことはないし、姦淫することはありえない。何故ならば神は全ての人を愛されており、お互いは兄弟姉妹だからだ。「兄弟姉妹を貪り、相手を傷つけるような行為をあなたがするはずはない」とイエスは言われ、そのイエスの言葉を「新しい律法」として明文化したのが、パウロである。

-ローマ13:9-10「人を愛する者は、律法を全うしているのです。『姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな』、そのほかどんな掟があっても、『隣人を自分のように愛しなさい』という言葉に要約されます。愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです」。

・神に愛された者は力の限りに神を愛し、神を愛する者は隣人に悪を行わない。だから盗むことも殺すこともしない。本来の律法とはこのようなものである。だからイエスは「私が来たのは律法や預言者を廃止するためではなく、完成するために来た」と言われた。

-マタイ5:17-18「私が来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない」。

・私たちはイエスに従って生きることを決意した。信仰による恵みとは、「何もしなくても良い」ということではなく、「恵みを生活化する」ことだ。パウロは「愛は隣人に悪を行なわない」、だから「悪に対して善で対抗せよ」と教える。

-ローマ12:20-21「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい」。

・これを実践化したのが黒人解放運動の指導者キング牧師だ。彼は黒人差別を行う白人を敵ではなく、隣人と考えた。彼は語る。

-キング説教集「汝の敵を愛せ」から「イエスは汝の敵を愛せよと言われたが、どのようにして私たちは敵を愛することが出来るようになるのか。イエスは敵を好きになれとは言われなかった。我々の子供たちを脅かし、我々の家に爆弾を投げてくるような人をどうして好きになることが出来よう。しかし好きになれなくても私たちは敵を愛そう。何故ならば、敵を憎んでもそこには何の前進も生まれない。憎しみは憎しみを生むだけだ。また、憎しみは相手を傷つけると同時に、憎む自分をも傷つけてしまう悪だ。自分たちのためにも憎しみを捨てよう。愛は贖罪の力を持つ。愛が敵を友に変えることの出来る唯一の力なのだ」。

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