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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2020年9月16日祈祷会(ヨハネ黙示録15章、最後の七つの災い)

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1.最後の七つの災い

・紀元1世紀末のキリスト教徒たちにとって、「世界史の行く先はどうなるか」ということが深刻な問題であった。当時のローマ帝国は政治的、経済的、軍事的に絶大な力を持っていて、それに対抗できる勢力は地上のどこにもなかった。帝国による理不尽なキリスト教徒迫害も止めようがなく、キリスト教徒たちの心は、「これから先、世界は、教会は、そして私たちはどうなるのだろうか」という、先の見えない不安で一杯だった。その中で、ヨハネは最後の勝利の時が来て、天使が七つの鉢を持って神殿を出てくる幻を見た。
-黙示録15:1「私はまた、天にもう一つの大きな驚くべきしるしを見た。七人の天使が最後の七つの災いを携えていた。これらの災いで、神の怒りがその極みに達するのである」。
・最後の勝利を前に、殉教した信徒たちが天の海の前に立ち、主を讃美するのを、ヨハネは見た。
-黙示録15:2「私はまた、火が混じったガラスの海のようなものを見た。更に、獣に勝ち、その像に勝ち、またその名の数字に勝った者たちを見た。彼らは神の竪琴を手にして、このガラスの海の岸に立っていた」。
・彼らは、獣と配下であるローマ皇帝を拝まず、666と記されたネロと後継の皇帝たちにより殺された者たちである。しかし、今彼らが勝利の歌を歌う「不義は必ず裁かれる」と。

-黙示録6:9-11「神の言葉と自分たちがたてた証しのために殺された人々の魂を、私は祭壇の下に見た。彼らは大声でこう叫んだ『真実で聖なる主よ、いつまで裁きを行わず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか』。すると、その一人一人に、白い衣が与えられ、また、自分たちと同じように殺されようとしている兄弟であり、仲間の僕である者たちの数が満ちるまで、なお、しばらく静かに待つようにと告げられた」。
・彼らはモーセの歌と子羊の歌を歌う。モーセは紅海で前には海、後ろにはエジプト軍という苦難の中で主の名を呼び、主は彼を助けられた。子羊は「わが神、何故私を捨てられたのか」という絶望の中から復活させられた。
-黙示録15:3-4「彼らは、神の僕モーセの歌と小羊の歌とを歌った『全能者である神、主よ、あなたの業は偉大で、驚くべきもの。諸国の民の王よ、あなたの道は正しく、また、真実なもの。主よ、だれがあなたの名を畏れず、たたえずにおられましょうか。聖なる方は、あなただけ。すべての国民が、来て、あなたの前にひれ伏すでしょう。あなたの正しい裁きが、明らかになったからです』」。
・ここには出エジプトの出来事に対する想起がある。かつて民を救われた主は、再び民を救われるとの讃美である。

-出エジプト記15:20-21「アロンの姉である女預言者ミリアムが小太鼓を手に取ると、他の女たちも小太鼓を手に持ち、踊りながら彼女の後に続いた。ミリアムは彼らの音頭を取って歌った。『主に向かって歌え。主は大いなる威光を現し、馬と乗り手を海に投げ込まれた』」。

・礼拝とは神が行って下さった事への感謝であり、出エジプトの民が歌った歌を私たちも歌う。
-第二コリント1:8-10「兄弟たち、アジア州で私たちが被った苦難について、ぜひ知っていてほしい。私たちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました。私たちとしては死の宣告を受けた思いでした。それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。神は、これほど大きな死の危険から私たちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、私たちは神に希望をかけています」。

2.報復としての裁きではなく

・ヨハネは、天の神殿が開かれ、そこから七つの災いを金の鉢に入れた七人の天使が出てくるのを見た。

-黙示録15:5-8「この後、私が見ていると、天にある証しの幕屋の神殿が開かれた。そして、この神殿から、七つの災いを携えた七人の天使が出て来た。天使たちは、輝く清い亜麻布の衣を着て、胸に金の帯を締めていた。そして、四つの生き物の中の一つが、世々限りなく生きておられる神の怒りが盛られた七つの金の鉢を、この七人の天使に渡した。この神殿は、神の栄光とその力とから立ち上る煙で満たされ、七人の天使の七つの災いが終わるまでは、だれも神殿の中に入ることができなかった」。

・彼らが鉢を傾けると、次々に災いが地上に臨む。それが16章の記述である。
-黙示録16:1-4「また、私は大きな声が神殿から出て、七人の天使にこう言うのを聞いた。『行って、七つの鉢に盛られた神の怒りを地上に注ぎなさい』。第一の天使が出て行って、その鉢の中身を地上に注ぐと、獣の刻印を押されている人間たち、また、獣の像を礼拝する者たちに悪性のはれ物ができた。第二の天使が、その鉢の中身を海に注ぐと、海は死人の血のようになって、その中の生き物はすべて死んでしまった。第三の天使が、その鉢の中身を川と水の源に注ぐと、水は血になった」。
・裁きが続く中で、天使は歌う「この者たちは聖なる者たちの血を流した。今は彼らが血を飲む」。
-黙示録16:5-6「今おられ、かつておられた聖なる方、あなたは正しい方です。このような裁きをしてくださったからです。この者どもは、聖なる者たちと預言者たちとの血を流しましたが、あなたは彼らに血をお飲ませになりました。それは当然なことです」。

 

3.ヨハネ黙示録は血の報復を求めているのだろうか

・ヨハネ黙示録が求めるのは「血の報復」なのだろうか。違う、「正義の実現」なのだ。報復と正義は異なる。私たちは裁きを望むが、それは敵が滅びることではなく、彼らが悔い改めることだ。イエスは十字架上で自分を殺そうとする者たちのために祈られた。ここに本当の奇跡が、「敵のために祈る」人格的奇跡がある。私たちはこのイエスに従う。
-ルカ23:33-34「されこうべと呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。そのとき、イエスは言われた。『父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです』。人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った」。
・2001.9.11のテロ事件で3千人が殺され、報復として、アメリカはアフガン・イラクを攻撃したが、終わってみるとアメリカ軍死者は両戦争で7千人を超え、後遺障害を負った者は数十万人を超えた。アフガン・イラクの民間人死者は10万人を超える。神が求められる裁きはこのようなものではない。「自分の肉に蒔く者は肉から滅びを刈り取る」のだ。
-ガラテヤ6:7-8「思い違いをしてはいけません。神は、人から侮られることはありません。人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります」。

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