江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2020年8月5日祈祷会(ヨハネ黙示録8章、第七の封印が開かれる)

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1.第七の封印が開けられた

 

・最後の封印が開かれると、七人の天使がそれぞれにラッパを持って現れた。ラッパは初代教会で、キリスト再臨の合図と考えられていた。ここでは、ラッパが吹かれるごとに災いが臨む。8章では1~4のラッパの告げる災いが、9章では5~6のラッパの告げる災いが記されている。

-黙示録8:1-2「小羊が第七の封印を開いたとき、天は半時間ほど沈黙に包まれた。そして、私は七人の天使が神の御前に立っているのを見た。彼らには七つのラッパが与えられた」。

・その時、別の天使が香炉を持ってきて、殉教者たちの祈りに添えて香がたかれた。神の怒りである祭壇の火が香炉に満たされ、地上に投げつけられた。地上の不正が正される時が来たことをヨハネは見た。

-黙示録8:3-5「別の天使が来て、手に金の香炉を持って祭壇のそばに立つと、この天使に多くの香が渡された。すべての聖なる者たちの祈りに添えて、玉座の前にある金の祭壇に献げるためである。香の煙は、天使の手から、聖なる者たちの祈りと共に神の御前へ立ち上った。それから、天使が香炉を取り、それに祭壇の火を満たして地上へ投げつけると、雷、さまざまな音、稲妻、地震が起こった」。

・いよいよ最後の審判を告げるラッパが吹かれる。最初のラッパが吹かれると、雹と火が地上に投げ込まれた。

-黙示録8:6-7「七つのラッパを持っている七人の天使たちが、ラッパを吹く用意をした。第一の天使がラッパを吹いた。すると、血の混じった雹と火とが生じ、地上に投げ入れられた。地上の三分の一が焼け、木々の三分の一が焼け、すべての青草も焼けてしまった」。

・ここには出エジプト9章の災いが幻想の中で再現されている。

-出エジプト記9:23-25「モーセが杖を天に向けて差し伸ばすと、主は雷と雹を送り、火が地に向かって走った。主はエジプトの国に雹を降らせた。雹が降り、雹のただ中を火がひらめき渡った。建国以来エジプトの国中どこにもそのようなことのなかった、きわめて激しいものであった。雹はエジプト全土にわたって、人をはじめ獣に至るまで、野にいるすべてのものを打ち、また野の草をみな打った。野の木もことごとく打ち砕いた」。

・第二のラッパが吹かれると、火の塊が海に投げ入れられた。ヨハネは79年のヴェスヴィアス山の大噴火により、ポンペイの町が火に包まれた様子を再現している。

-黙示録8:8-9「第二の天使がラッパを吹いた。火で燃えている大きな山のようなものが、海に投げ入れられた。海の三分の一が血に変わり、また、被造物で海に住む生き物の三分の一は死に、船という船の三分の一が壊された」。

・第三のラッパが吹かれると、水の三分の一が「苦よもぎ」のようになり、多くの人が死んだ。

-黙示録8:10-11「第三の天使がラッパを吹いた。すると、松明のように燃えている大きな星が、天から落ちて来て、川という川の三分の一と、その水源の上に落ちた。この星の名は「苦よもぎ」といい、水の三分の一が苦よもぎのように苦くなって、そのために多くの人が死んだ」。

・これはモーセが杖でナイル川を打つと、水が血に変わり誰も水を飲めなくなった故事を想定している。

-出エジプト7:20-21「モーセとアロンは、主の命じられた通りにした。彼は杖を振り上げて、ファラオとその家臣の前でナイル川の水を打った。川の水はことごとく血に変わり、川の魚は死に、川は悪臭を放ち、エジプト人はナイル川の水を飲めなくなった。こうして、エジプトの国中が血に浸った」。

・第四のラッパが吹かれると、天体の1/3が損なわれ、昼の光が暗くなった。

-黙示録8:12「第四の天使がラッパを吹いた。すると、太陽の三分の一、月の三分の一、星という星の三分の一が損なわれたので、それぞれ三分の一が暗くなって、昼はその光の三分の一を失い、夜も同じようになった」。

・暗闇の災いも出エジプト記に記されている。

-出エジプト記10:22「モーセが手を天に向かって差し伸べると、三日間エジプト全土に暗闇が臨んだ。人々は、三日間、互いに見ることも、自分のいる場所から立ち上がることもできなかったが、イスラエルの人々が住んでいる所にはどこでも光があった」。

 

2.黙示録の預言をどのように読むのか

 

・8-9章の災いは、出エジプト記において下された災いと酷似している。ヨハネはローマ帝国からの教会の救いを、イスラエルがエジプトから救われた解放の出来事と重ね合わせて理解している。出エジプト記7-12章では「ナイルの水が血に変わり、かえるやぶよが出現し、疫病が流行し、雹の害、イナゴの害が頻発し、闇が出現した」と伝える。それらはイスラエルの民をエジプト王から解放するための災いだった。その神の救済が、今実現するとヨハネは預言する。

-出エジプト7:4-5「私はエジプトに手を下し、大いなる審判によって、私の部隊、私の民イスラエルの人々をエジプトの国から導き出す。私がエジプトに対して手を伸ばし、イスラエルの人々をその中から導き出すとき、エジプト人は、私が主であることを知るようになる」。

・黙示録の著者ヨハネは、ローマ帝国の迫害の下で苦しんでいるキリスト教徒たちを、エジプトから解放されたイスラエル民族になぞらえて記事を書いていることに留意すべきであろう。ここに描かれた天変地異は、終末の「荒唐無稽の破滅の前兆」などではない。「イスラエル民族が奴隷の境遇から解放されたように、今苦しんでいるあなたがたもやがてその苦しみから解放される。その前兆を私は見た」とヨハネは語っている。

 

3.歴史の文脈から離れて黙示録を読んではいけない

 

・ヨハネ黙示録はローマ帝国の圧制と教会への迫害の中で書かれた。ここではローマ帝国の滅亡が預言されているのであり、その歴史的文脈での理解が必要だ。「苦よもぎ」のロシア名は「チェリノヴイリ」、ある人々はチェルノヴイリの原発事故を聖書が預言していると読むが、明らかな誤読である。聖書はキリストの十字架と復活によって、神の裁き=人々の救いが始まったことを告げているのであり、人々に対する脅しの書ではない。

-ヨハネ5:39「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書は私について証しをするものだ」。

・現代でも人々はヨハネ黙示録を誤読し、多くの誤った言説を唱える。黙示録的な表象を代表する言葉「ハルマゲドン」をめぐる論争がそれである。

-ヨハネ黙示録16:14-16「これはしるしを行う悪霊どもの霊であって、全世界の王たちのところへ出て行った。それは、全能者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである・・・汚れた霊どもは、ヘブライ語で「ハルマゲドン」と呼ばれる所に、王たちを集めた」。

・「ハルマゲドン」は、ヘブライ語「メギドの山」を意味する。そこはイスラエルの古戦場である。メギドの周辺で、歴史上何度も決定的な戦闘が行われた。士師記4章には、女預言者デボラがメギドでカナンの王シセラを破った。ユダの王アハズヤが将軍イエフと戦って死んだのがメギドである(列王記下9章)。ユダ王国で宗教改革を実行したヨシヤ王は、このメギドでエジプトのファラオ・ネコを迎え撃とうとして戦死した(列王記下23章)。こうした民族の記憶を呼び起こしながら、黙示録の著者ヨハネは「終末時に起こる決定的な戦い」について書いた。

・しかし多くの人はこの物語を自分の置かれた境遇の中で聞いた「イギリス宗教改革の黙示論的伝統において、キリストとアンチ・キリストの戦い、神と悪霊との戦い、信仰者と不信仰者の戦いが重要であった。ヨーロッパの中でイギリスほど黙示録の注解書が多く書かれた国はない。イギリスのピューリタン革命やアメリカへの移民が黙示録的終末観を背景に為されたことは歴史的な事実である。終末論的千年王国論とは、善と悪の戦いの場であるこの世で、両者の間に最終戦争が起こり、悪の完全な敗北によって世界は徹底的に破壊し尽くされ、そのカオスの後に新しい神の王国が出現するとした。世界のアンチ・キリストたちに対してキリスト教徒としての正義を追求し続けるアメリカ、このような現代アメリカのさまざまな姿のなかに、千年王国論的な終末論と初期ピューリタンの原体験がいまだに息づいている」。(モルトマン「キリスト教倫理」から)。

・それは今日において、キリスト教シオニズムを生む。彼らは語る「ユダヤ人が離散状態から故郷へ戻り、イスラエル国家を建設する。その時、悪魔に支配された異教徒たちがイスラエルに激しく抵抗する。サタンはハルマゲドンで神によって滅亡させられ、キリストが再臨して神の国が始まる」。アメリカの福音主義キリスト者たちはテレビ説教者パット・ロバートソンに勧められて、ロシア系ユダヤ人の帰還のために数百万ドルの資金を集めた。

・ハル・リンゼイ「地球最後の日」(1970年)ではロシア赤軍はイスラエルに押し寄せ、アメリカの原爆によって滅ぼされ、やがて来る中国人民軍も水爆で滅ぼされ、キリストが再臨し、神の国が来ると語る。この本はアメリカで4千万部も売れた。モルトマンは語る。「こうしたすべてを黙示論的な虚言として片づけることはできるが、残念ながらそのような思想がアメリカの政治家たちに感銘を与えている。アメリカ大統領ロナルド・レーガンは語った“私は旧約聖書の預言者たちとハルマゲドンが告げ知らせているしるしへと立ちかえります。そして私たちはハルマゲドンを経験する世代ではないかと自問します。あなたが最近こうした何らかの預言に気づいたかどうかわかりません。でも私を信じてください。それらの預言は確かに私たちが生きている時代を描いているのです”(1983年・エルサレム・ポスト紙へのインタービュ-)」。歴史の文脈から離れて黙示録を読んではいけないのである。

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